マミさんスレ300記念 まどか編 【So Sweet, So Happy】 「マミさん、バターってこのくらいで大丈夫ですか?」 真新しいピンクのエプロン姿のまどかが、隣のマミに声をかける。 慣れない手つきで格闘していたボウルの中身を見せると、マミは笑顔でひとつ頷いた。 「どれどれ……? うん、良い感じね。それじゃ、その3分の1くらい、こっちのチョコレートの中に入れてもらえる?」 「3分の1だけでいいんですか?」 「ええ、いきなり全部入れてしまうと、ちゃんと均一に混ぜるのが難しいのよ。だから先に3分の1だけ混ぜてから残りを混ぜるの」 まどかはマミの言葉を一言も聞き逃さないぞというように頷きながら、可愛らしいメモ帳に書き込んでいく。 キッチンには、早くもチョコレートの甘い香りやバターのいい香りが漂っている。 いつもならリビングの三角テーブルに座って、その香りに胸をわくわくさせているのだろうけど、今日は少し違うのだ。 『マミさん、今度お料理……いえ、お菓子作りを教えてください』 まどかがマミに真剣な表情で頼み込んだのは先週のこと。 『あら、急にどうしたの鹿目さん。私で教えられるものなら構わないけど』 『はい、実は……』 まどかの話をかいつまむと、父の知久の誕生日に、お祝いするケーキを作ってあげたい、ということだった。 『だからパパには内緒にして驚かせたくて、マミさんにじゃないと頼めないんです……すみません』 まどかが言いづらそうな理由は、突然の頼みごとというだけではないのだろう。 マミはそんなまどかに優しく微笑んで、つん、とおでこを突っついた。 『もう、変なこと気にしないの。素敵な理由じゃない。ぜひとも協力させてもらうわよ、鹿目さん』 そして、悪戯っぽい笑みを浮かべて付け加える。 『料理上手の鹿目さんのお父さんをびっくりさせなきゃいけないものね。ビシバシ、厳しく行くわよ?』 『ふぇぇぇ……っ!?』 そんなわけで、休日の巴家のキッチンで、お菓子づくりの個人レッスンが開かれているのである。 「うう、なかなか思ったように混ざらないです」 「ちょっと交代しましょう。鹿目さん、代わりに粉をふるってもらえるかしら?」 苦戦するまどかからボウルとへらを受け取ると、さくさくと切るようにへらを入れ、手際よく材料を混ぜていく。 誕生日のケーキといえばスポンジ生地に生クリームたっぷりのショートケーキというのが定番かもしれない。 けれど、初心者にとってはスポンジ生地をうまく作るのも、クリームをふんわりと泡立てるのも案外難しい。 マミが今日のレッスンに選んだレシピは、もっと別のケーキだ。 「なんだかいいわね、こういうのって」 チョコレートの黒とバターの白、マーブル模様のそれを混ぜあわせながらマミが言う。 「えっ?」 「まだ私が小さい頃、お菓子を作りたいってお母さんに駄々をこねてね」 まどかは黙って聞いている。 「小さかったし、普段のお手伝いだってろくにしたことなかったから、もうひどい有様で……失敗作なんてものじゃなかったわ」 クスクスと笑いを漏らす。懐かしい記憶をたどるように宙を泳ぐ目は、ほんの少し潤んでいた。 「でもお母さんも私も、それを見ていたお父さんも笑ってた。料理って楽しいんだって思ったわ」 とん、と軽く縁を叩いてへらを止める。ボウルの中身はすっかり混じり合っていた。 「実はね、その時に作ったのがこのケーキなの。だから私にとっても思い出のお菓子なのよ、これは」 「そう、だったんですか……」 「あっ……ごめんなさい、いきなり変なこと言って」 「い、いえ! そんなこと……」 もらい泣きのように目を潤ませるまどかの手元で、粉はすっかりふるわれてこんもりと下に積もっている。 マミがそっと目じりを拭って、明るく言った。 「さっ、まだまだこれからよ。ふるった粉をこっちにいれて、さらに混ぜないと」 「は、はい!」 「そうよ、うまく伸ばして、隙間ができないように生地を詰めてね」 「はい、角のところにもですよね」 すっかり出来上がった生地を、へらで伸ばしながら型に流し込んでならしていく。 すでにオーブンは温まっていて、後はこの生地を焼き上げるばかりだ。 「これで生地をオーブンに入れて、温度は160度で、時間はそうね……45分くらいかしら、最後は様子を見ながら調整しましょう」 ほう、とまどかは息を吐く。ここまで来たら、うまく焼きあがるように祈るしかない。 (そうだ、使ったボウルとかを片付けないと) 気づいて振り返ったけれど、既にマミが手際よくボウルやへらを洗いあげているところだった。 「はぅ……私、やっぱり全然ダメだなあ」 がっくりとするまどかが思わず漏らしたつぶやきに、マミが声をかける。 「大丈夫よ、鹿目さん。私がちょっと手が空いてただけだから」 「でも、私言われたことだけで頭がいっぱいで……」 「鹿目さんはまだ初心者だもの、一度にたくさんのことをやろうとしない方がいい。慣れればだんだん手際も良くなるわよ」 ぴっ、と手の水を切って、マミが微笑む。 「焼きあがるまで時間があるわ。お茶を淹れましょうか?」 「あ、ちょっと膨らんできましたよ、マミさん!」 「そうね、でもまだまだよ。中までじっくり火が通るまで待たないと」 はしゃいだようなまどかの声。答えるマミにも、期待するような声色が滲んでいた。 オーブンの前に二人並んで陣取って、生地が少しずつ焼けていくのにじっと見入っている。 「ふふっ」 「どうかしました、マミさん?」 「いえね、鹿目さん、とっても楽しみって顔をしてるなって」 「えっ、そうですか? や、やだな、なんか恥ずかしいです」 「いいじゃない。自分で作ったものが出来上がるのってどきどきするけど、同時にとってもわくわくするし、楽しみなことよ」 「マミさんもそうなんですか?」 「ええ。でも今日の楽しみは特別かな。よくお菓子は作るしケーキも焼くけれど、こんなに焼けるのが楽しみなのは久しぶり」 少し言葉を切って、マミが紅茶を一口含む。少し照れたように、言葉を継いだ。 「誰かと一緒に作るなんて、久しぶりだったから」 「マミさん……」 「ごめんね、変な意味じゃないの。でも、一人になってから、こういうことは全部一人で、自分のためにすることだった」 マミの指が、所在なげにカップの縁や取っ手を撫でる。 「その頃は楽しいなんて思わなかったわ。どんなに美味しいものを作っても、自分のためだけに作るのって、案外味気ないものよ」 ずっと家族と一緒だったまどかには、家族を失ったマミの孤独は想像するしかない。 けれど、ずっと知久の手料理を味わってきたまどかには、マミの言わんとすることがわかる気がした。 「お料理ってね、誰かに食べてもらうために作る時、それを食べてもらう時が、一番楽しいの」 マミの優しい笑顔は、いつも知久や、詢子が注いでくれる笑顔にも似て。 「だから、鹿目さんたちが来てくれるようになって、また楽しいって思えるようになったのよ。本当にありがとう」 「い、いえそんな! いっつもご馳走になっちゃって、それなのに……」 「いいのよ、私が楽しくてやってるんだから。そうだ、ついでだから覚えておいて」 まどかの目の前にぴっと指を一本立てて、若干芝居がかった口調でマミが言う。 「お料理で一番大事なのは、その楽しいっていう気持ち。食べてくれる誰かを思うこと」 「料理は愛情……ってことですか?」 「そう! どんな高級食材だって、どんなスパイスだってかなわない、無敵の調味料よ」 「む、無敵……ですか」 「そうよ、特に女の子のは効果バツグンなんだから。鹿目さんだってきっと、お父さんをびっくりさせられるわ」 「そうかな……そうだったら嬉しいんですけど」 「きっとそうよ。でももしお父さんが満足しないなら、次の手があるわ」 「次の手?」 「一緒に作ったらもっと楽しいってこと。今日の私みたいにね」 ちょうどその時、オーブンが焼き上がりを知らせるチーンという音が鳴った。 マミが鍋つかみをはめてオーブンの戸を開け、型を引っ張りだす。 いつの間にかキッチン中に立ち込めていた濃厚な甘い香りが、いっそう強くオーブンの中から立ち昇ってきた。 「うわぁ……」 まどかが目を輝かせる。 チョコレートとバターをたっぷりと使った生地は、ふっくらと盛り上がり、表面はぱりっと焼き上がっている。 「鹿目さん、ちょっと串で刺してみてくれるかしら?」 マミに渡された竹串を、おそるおそる刺してみる。 「どう? 変に柔らかかったりしない?」 「あ、えっと……よくわからないです……」 困ったようなまどかに、マミも苦笑いする。 「ごめんなさい、いきなり言われてもわからないわよね。ちょっと貸してみて」 竹串を受け取ると、自分でも刺してみて、さらに抜いた竹串を見て頷いた。 「うん、大丈夫ね。刺した時に手応えが途中で変わったりしないし、竹串に生地がくっついてないでしょう?」 「あ、本当ですね」 「これならちゃんと中まで焼きあがってるってこと。あとは室温で冷やしたら切り分けるだけよ」 さく、とわずかに音を立ててナイフが入る。 焼きたてに漂っていた濃厚な香りとはまた違う、ほんのりと鼻をくすぐる香り。 固く見えた表面の下から、しっとりとしたチョコレート生地の断面が顔をのぞかせる。 「うわぁ、本当にできてます」 まどかの感想は、表現は変でもマミにはよくわかった。 自分の手で作ったものがちゃんとした料理になっているというのは、初めての人間には驚きだし感動するものなのだ。 その断面を見てマミも頷く。 「うん、中の焼き具合もいいと思う。よくできてるわ。さてと、それじゃ後は……」 ちらっとまどかを見ると、わくわくと目を輝かせている。 その様子にマミは思わず吹き出してしまいそうになってしまった。 「くすっ……待ち切れないみたいね。でもその前に、よくやったわね、鹿目さん」 「ひゃっ、は、はいっ!」 まるでつまみ食いしようとしたのがバレたみたいな驚き方で、まどかが返事をする。 「それじゃ早速、いただきましょうか。鹿目さんが初めて作った、ブラウニー」 「はいっ!」 マミもまどかも、満面の笑顔で。 ブラウニーのほの甘い香りと、紅茶の芳しい香りが、溶け合うように二人を包み込んでいた。 まどか編【So Sweet, So Happy】 おわり