The hollow boat: an unidentified floating object (前篇・後編)/321編隊・作  時は江戸時代。当時地元民が「原舎浜」と呼んでいた浜辺。「はらやどりはま」とも「はらとのはま」とも読み、現在の茨城県北部のどこかであるという。  ある日の、日没まではまだ間がある程の刻限。漁を終えた若い漁師が、その原舎浜から沖をぼんやりと見ていた。睦月という名があるが、夢見がちで生産性が低い男であるゆえ「あだ睦月」という通り名で呼ばれていた。その日も漁の後始末にもたつき、浜に一人残っていたのだ。  睦月はふと沖合に、陽光を受けきらきらと輝く何かを見つけた。船の類ではないかと思われるが、こちらに近づいてくる様子もない。直観的にただならぬものを感じた睦月は、村に漁師仲間を呼びに行った。またあだ睦月が夢みたいな話を、とはじめ取り合わなかった彼らも、睦月のあまりのしつこさに腰を上げ、連れだって浜辺へ行くことになった。  浜辺より沖を見渡した漁師たちは、たしかに見慣れぬものがちらちらと光るのを目にした。船を出して確かめに行こう、という睦月の提案を受け、たしかに放っておくわけにもいくまい、と、睦月他数名の漁師が小船を出すことになった。  やがて睦月の小船を先頭に、数艘の小船が浮游物の間近にたどり着いた。物体は、大きさからして船の一種ではないかと思われたが、それにしても漁師たちがこれまで見たどんな船とも似ていない、奇妙な形をしていた。  外見は、直径三間、つまり五・五メートルほどの平たい椀を、逆さにして水上に浮かべたもの、と形容できそうだ。水に沈んでいる物体の下半分もまた椀のような形らしい。陽光を受けきらきら輝く上半分とは対称的に、下半分は黒ずんで見える。  漁師たちは奇妙な物体の真横に船をつけた。光っている部分には、どうやらガラス板のようなものがはめ込まれているらしい。第一発見者である睦月が、船から身を乗り出し、ガラス越しに中を覗き込んだ。 「あっ! 誰か乗ってる! ……女だ! しかも素っ裸だ!」  睦月が驚いて声を上げ、それを聞いた他の男どもはどよめきながら物体に船を寄せ、身を乗り出した。慌てるあまり海に落ちかけた男もいた。  漁師たちが覗き込むと、たしかに、厚みのある、松やにのようなものが塗られ幾分くすんだガラス越しに、中に横たわる、一糸まとわぬ女性とおぼしき白い影が透けて見える。  漁師たちは中空の舟を叩き、揺すって、中の女性に呼びかけた。反応が返ってこないことが分かると、どうにかして天蓋を外そうと四苦八苦した。やがてそれも難しいことが分かり、ある漁師の小船に積んであった網を舟に掛け、浜辺まで曳航することになった。  舟は浜辺に引き上げられ、斜めに傾いだ状態で砂の上に座していた。少々乱暴な上陸であったにもかかわらず、中の女性が動く様子は依然としてない。黒い鉄板のようなもので補強された下半分にも、出入口らしきものはない。正体不明の舟を囲み、漁師たちは困惑した。 「これは……追矢じいさんに聞くしかないんじゃねえか」  一人の漁師が提案し、他の者もうなずいた。追矢じいさん、とは村外れに住む古老である。この村では、世俗的なもめ事は村長役の有力者に相談し、前例のない問題が生じた場合はこの古老に相談する、という習わしであった。  かくして、追矢翁への使いが遣られた。追矢翁が到着する前に、噂を聞きつけた村人たちが浜辺に集まり、謎の舟とその中にいる裸女の影を確認して、これは一体何なのかと論議を始めた。臨時の寄り合いが浜辺で開始された格好である。  しばらくして、ひどく興奮した追矢翁が現れた。翁は舟の実物を見るや、目を見開き、口から泡を飛ばしながら叫んだ。 「やはりそうじゃ! うつろ舟じゃ! 蛮国のうつろ舟じゃ! なんたるものを引き寄せてきおった! 早よう沖へ戻すのじゃ!」  翁の激しい語調に、村人たちはぎょっとして注目する。翁は続けた。 「たしかな筋からの聞き伝えによれば、あの中に乗っておるのは、南蛮のとある国の王女じゃ。その王女は嫁ぎ先で不貞を働いた。しかし王族の子女という身分ゆえ死罪を免れ、その代わり、あのうつろ舟に乗せられ、漂流する刑に処せられたのじゃ……」 「おわっ!」  力説する追矢翁に皆が注目している中、いきなり素っ頓狂な叫びが上がった。叫びを耳にした村人たちは、声のした方に目を向けた。 「出た!」 「何あれ!」  人々が見たのは、例の物体の搭乗者とおぼしき女性の姿だった。「うつろ舟」の上半分が、椀を逆さにする形にぱたんと開いており、中で寝ていたらしき裸女が、上体を起こしこちらを見ているのである。  あらわになった裸女の姿は、人々の警戒心を強く煽った。体型は二十歳ほどの女性のそれであるが、体毛は頭髪と眉毛のみで、毛髪の色は鮮やかな赤色。見開いた両目は白目黒目の区別なく、鮮やかな青色をしている。曇りガラス越しには普通の色に見えた全身の皮膚は、絹糸のような純白で、夕映えのもとですらまったく血の気が感じられず、しかも不自然につるつるとしている。さらによく見ると、全身に半透明で水色の、波か雲を模したような文様が刻まれており、また左の胸から腹部にかけて、目玉と同じ、青いガラス玉のような物体が縦一列に五、六個埋め込まれている。赤い頭髪に混じり、頭頂部からは、白い、髪の毛よりも太い繊維の束が背中に向けて伸びている。村人は奇妙な入れ髪だと判断したが、現代人が見れば通信ケーブルの類ではないかと推察したであろう。他に目につくのが、女が白い箱を大事そうに抱えていることで、箱はおよそ二尺(約六十センチ)×二尺×四尺半という、かなり大きなものだ。材質は、桐のような上等の木材ではないかと村人は考えたが、現代人が見ればむしろ、多孔質の硬質樹脂ではないかと判断しただろう。  人々はおびえて怪しい女から距離を置き、翁の方を見た。翁もひどくうろたえ、群衆を盾にするように後じさり、声量を落として群衆に言った。 「あれが蛮女じゃ。この国の人間でないことは明らかじゃろ」  「蛮女」はそんな人々の様子をきょとんとした顔で、首を傾げながら眺めている。そんな蛮女を遠巻きに見ている群衆から、一人の男が歩み出た。睦月である。睦月はうつろ舟の前に立ち、蛮女に話しかけた。 「あの……どちらから来られたのですか? あなたが異国の王女様だと言っている人がいますが、本当なのでしょうか?」  睦月はどぎまぎとしていたが、それは異形のものへの恐怖心というより、美しい女性の前で恥じらっている風だった。  蛮女はやはりきょとんとした顔で睦月を見つめ、しばらくして口を開いた。 「○△≡♀○▽○」  意味の分からない、耳障りなノイズのような大きな音が口からほとばしり、睦月も群衆も思わず耳をふさいだ。その音は、データ通信を音声信号に変換したものに似ていたが、無論、村人たちはそのような音声を知らない。  人々の反応を見た蛮女は口を閉じ、微笑を浮かべて睦月や周囲の人々を見た。危害を加えてくる気配はなさそうだ、という安心感が群衆に広がり、数人の村人がうつろ舟の近くに寄り、中を覗き込んだ。  中には、現代人なら上等のリクライニング・シートとでも形容するであろう、柔らかそうな敷物が敷かれ、周囲にはビン詰めの飲料、菓子のような保存食、練り肉らしき食料などが配されている。壁のあちこちには見慣れぬ文字が記されていた。  物珍しげに中を覗き込む無遠慮な村人たちを、蛮女は不快感を表すでもなく、にこにこと見ていた。だが、一人の村人が、蛮女が抱える箱に手を出そうとしたところ、さっと身構え、箱を強く抱きしめた。その箱が蛮女にとって大事なものであろう、と瞬時に察した睦月は、無遠慮な村人を制した。村人もそれ以上はこだわらず、手を引っ込めた。  そうしてうつろ舟を取り巻き始めた群衆の背後で、追矢翁の大きな声が響いた。 「皆の衆! それ以上うつろ舟に近づくでない! 話はまだ終わっておらん」  権威者の一喝で、村人たちはしぶしぶうつろ舟から遠ざかり、再び追矢翁を中心に輪をなした。最後まで名残惜しそうにしていた睦月も、やむを得ずうつろ舟から離れた。  蛮女の出現に肝を抜かしかけた翁は、蛮女が無害そうであること、そして何より、蛮女が日本語を解さないらしいことを確認し、平静を取り戻したのであった。日没が迫り、夕闇が徐々に濃さを増していた。  翁はまた声を低めて一同に話しかけた。 「先も言ったとおり、あのおなごはさる国から追放された罪人じゃ。そんな身の上の者を村に長居させるわけにはいかん。だから、できるだけ早く、再び沖へ流してしまうのが一番じゃ」  残酷な話ではあった。だが、村人の脳裏にも近年、近隣で生じた異国人の漂着事件と、それに対する幕府の過剰反応気味の対応の噂が浮かんだ。異国人の漂着事件は平和な村をかき乱す火種となりうる。しかも、あの異国の女は、たしかに美しい面立ちをしているものの、同じ人類とは思えない異様な姿をしている。そのような者に対して、ほとんどの村人は同情よりも異種嫌悪の情を強めていた。  かくして、村人たちは翁の意見を受け入れる方に傾き始めた。有力者の中からは、幕府の役人を呼び、判断を仰ぐべきではないかという慎重論も出たが、翁に一喝された。 「うつけ! わしらだけの間で口を閉ざせば、村は平穏な日々を送れるのじゃ。役人を呼んだりすれば、わしらで余分な雑費を出さねばならぬ。あげく、調べずともよいところまで調べられ、年貢の加増などされかねん。好きこのんで騒動の種をまくのは愚か者じゃ」  慎重論者も、翁の案が村のための現実策であることを認め、口を閉ざした。  翁はぎろりと一同を見回した後、一瞬だけ不安げに蛮女を覗き見た。蛮女は相変わらずにこにこと笑みを浮かべ、こちらを眺めている。言葉が通じていないことに自信を深めた翁は、村人たちに向け、半ば恫喝する口調で言った。 「どうじゃ。他に異議のある者がいたら申し出てみよ。なければこれで……」  翁が言い終える前に、がたがたと震えながら睦月が前に出て、言った。 「……ざ、残酷だ。罪人で、村の厄介者だからって、見殺しにするなど、仁心ある者のできることじゃねえ。ひっそりかくまうことぐらいできるはずだ。も、もし引き取り手がなければ……俺が引き取る!」  一瞬、一同はしんと静まりかえった。それから一同は、腹を抱えて爆笑した。高度な政治的判断の場に、あまりに青臭い道徳論を持ち出してきたことも憫笑を誘ったが、それ以上に、この夢見がちな若者が、あの異形の女に一目惚れしてしまったらしい、ということがありありと見て取れたからだった。  ひとしきり笑いが収まると、翁が念を押すように言い足した。 「あだ睦月、いいことを教えてやる。別の浜の話では、あの蛮女の同類が、まな板に載った男の首を携えておったそうじゃ。あの箱の中身も、不貞の相手となり罰された男の首じゃろう。あの女はそんなものを肌身はなさず抱えて暮らす、いかれた異人じゃ。妙な情など抱くものではない」  睦月は何も言えずうつむいた。夕闇が濃くなりつつあることに気づいた翁が、少々慌て気味に言った。 「こう暗くなっては、沖まで舟を出すことは能わん。蛮女を流すのは明日にせよ。とりあえず蛮女が逃げ出さないよう、うつろ舟に閉じこめておくがよかろう」  指示に従い、村人はうつろ舟に群がり、中の蛮女が逃げ出すそぶりがないのを確かめると、開いていたキャノピーを強引に閉めた。ガラスごしの蛮女はうろたえるでもなく、相変わらず外の様子を興味深そうに眺めている。別の村人が大きく丈夫な網をうつろ舟にかぶせ、キャノピーを開けられないように縄でぐるぐる巻きに縛っても、その様子は変わらなかった。睦月はそんな村人を止める勇気もなく、無力感と悲しみに包まれてそれを見守っていた。  作業が終わると村人たちは翌朝の集合を打ち合わせ、夕闇に追い立てられるように帰路についた。漁師の夜は早いのである。  その晩。人々が寝静まった頃。旅支度を調えた睦月がうつろ舟へ向かっていた。睦月はあの蛮女を村人の残虐な仕打ちからも、流刑の罰からも救い出し、共にこの村を抜け出す計画を立てたのだ。  睦月にここまでの決意をさせたのは、あの蛮女が、睦月の夢みた理想の女を具現したかの如き存在だったからだ。  蛮女の、細面で目の大きな面立ちが睦月の好みに沿っていた、ということもある。だが何より、あの異様な目や肌や頭髪の色、全身に刻まれた異様な文様、それに、素肌をさらし怖じるところのない、浮世離れした感性が、睦月が日々の妄想で膨らませていた嗜好に見事に当てはまった。一言で言えば、睦月は異形の者、人外の者に強く惹かれる性癖であったのだ(cf.http://www.vanadis-soft.com/ma/)。  たしかに蛮女は罪人だという。だがそれは、殺人や盗みではなく不貞の罪だ。恐らくは王族ゆえの意に添わぬ婚姻の中、己の純粋な恋心を貫いた結果だろう。女に縁のない内気な彼は、妄想の果て、土地や時代の基準を逸脱し、そんな愛の形を尊ぶ独自の価値観を形成していた。  唯一の懸念事項は、蛮女が愛人の首を未だに大事に抱え続けている、という点である。それは蛮女の純愛の証であると共に、自分と蛮女との間に立ちはだかる、大きな障壁であろう。だが、自分はこれほどまでにあの蛮女に想いを寄せているのである。この想いが届かないはずがない。はじめは無理でも、いつか必ず、蛮女もこの思いを受け入れるはずだ。――そんな虫のいいシナリオも睦月の脳裏にはあった。  睦月が浜へ着くと、うつろ舟の窓がぼんやりと光っているのが見えた。その明かりをたよりにうつろ舟を見ると、漁師たちがかけた網や縄がばらばらにちぎれて周囲に散らばっているのが見えた。睦月は安心したような、逆に正体不明の不安が増したような心持ちでうつろ舟に近づき、窓から中をそっと見た。  明かりのせいか、昼間よりはっきり透かし見えたうつろ舟の中では、蛮女が何かにまたがり、腰を揺すっていた。その下には、人の頭のようなものも見えた。  蛮女が何者かと媾合しているのは明らかだった。様々な相矛盾する感情と相矛盾する仮説が脳内で渦を巻き、睦月は混乱した。そんな中、不意にキャノピーが開き、蛮女が姿を見せた。表に来た睦月に気づいたのだろう。蛮女は上気した顔で、しかしやはり昼間のような笑みを浮かべ、睦月を見た。  突如覆いを開け、自分に向き合った蛮女に、睦月は思わず視線をそらした。そのそれた視線が捉えたものに、睦月は驚愕した。蛮女の媾いの相手が、普通の人間ではなかったからである。  たしかに頭部は、この国の人間とは異なるようだが、人間の男のものである。だが、首から下にあるのは、人間の肉体ではなく、直径一尺足らず、長さは二尺ほどの赤黒い円柱形の物体である。反対側の先端には男性器が取り付けられ、その先端は依然、蛮女のつるりとした秘部から出入りしている。  睦月は異様な光景につり込まれ、思わずうつろ舟の縁から身を乗り出し、中を覗き込んだ。首だけの男は明らかに生きており、睦月にも気づかず、蛮女より与えられる快楽に陶然とした顔で口を開け、声なき声を発していた。  それに続く睦月の行為がいかなる動機でなされたのか、睦月自身にも説明できなかった。単なる恐怖による錯乱なのか、嫉妬なのか。あるいは、「蛮女に裏切られた」という筋の通らない怒りの矛先を、男に向けたのか。いずれの動機かはともかく、睦月は護身用に持ち出していた短刀を抜き、快楽に酔いしれる男の目にそれを深々と突き立てたのである。刃先は眼窩を貫き脳に達した。刃を抜くと、傷口からなぜか血ではなく透明な液体が流れ、うつろ舟のシートとフロアを濡らした。男の意志の兆候は見る間に失われ、その頭部は単なる生首へと変じた。  自分がしてしまったことの意味を掴みかね、地べたにへたり込んだ睦月の前に、いつの間にか蛮女が立っていた。蛮女は睦月の頬に手を当て、睦月は顔を上げた。うつろ舟の照明にぼんやり照らされた蛮女は、例の笑みを浮かべながら睦月を見ていた。愛人を殺害された憎しみのようなものは、そこには感じられなかった。  よく見ると、蛮女の足元には、例の男の首を乗せた円柱が立てかけられていた。蛮女はかがみ込み、男の首の付け根に着いていた金属製のリングの左右を持ち、両側に引いた。リングが開き、外された男の首がごろんと地面に落ちた。  蛮女は続いて円柱からリングを取り外した。円柱の一部に収納されていた何本かの太いチューブがだらりと垂れ下がった。そして蛮女は取り外したリングを、目の前でへたり込んでいる睦月の首の周りに、ちょうど犬に首輪をするような要領でかちりと取り付けた。  リングを取り付けられた睦月は、最初首に針のようなものが刺されるのを感じた。それから、リングの中から何か微細な触手のようなものが無数に伸び、首の表面から内部に侵入してきたのをぼんやりと感じ取った。やがて体の自由がきかなくなり、背中から砂の中に倒れ込んだ。  それほど長くない時間の後、睦月は自分の体のあたりでずるずると何かが引きずられている音を聞いた。蛮女が自分の足を抱え、自分の体を引きずっているのだとすぐに分かった。しかし奇妙なことに、自分の肉体を引いて遠ざかっていく蛮女の姿を、睦月は他人の肉体のことのように観察している。やがて自分の肉体から首が失われているのを目にしたとき、睦月は今の自分が首だけの存在となっていることを知った。脇に置かれたあの円柱が、今や己の肉体となってしまったのだ。  睦月が観察する中、蛮女はうつろ舟を操作し、下部のハッチを開けた。そしてその中に愛人の首と睦月の首なしの体を運び入れた。これらは脱水防腐処理を受け、睦月や漁師たちが見たあの練り肉になる。普段は魚やプランクトン由来の保存食で間に合わせている蛮女は、しばらくの間、目先の変わったディナーを口にすることになる。とはいえ蛮女にとって、味覚はたいした関心事ではなかった。  作業を終えると、蛮女は睦月の首をあの円筒に固定した。睦月の首を載せた円柱を抱え、蛮女はうつろ舟に戻り、ハッチを閉めた。  うつろ舟の中に睦月を横たえた蛮女は、待ちかねたように円柱の下部に据えられた男性器をもてあそんだ。刺激はただちに睦月の神経系へ入力され、失われた肉体のぼんやりとした存在感とは対照的な、鮮やかな刺激が睦月の脳を貫いた。未だかつて、その部分を他人に触れられた経験のない睦月の脳は、たちまち興奮し、多量の培養液を培養容器下部の海綿体組織に送り込んだ。膨張した男性器に楽しげに摩擦を開始した蛮女の手に、睦月は早くも精を漏らし、それからさほど間をおかぬうち、今度は蛮女の口内に精を漏らした。そうして多少精力が鈍ったおかげか、睦月は始めての女性器の味を心ゆくまで堪能し、果てた。すでに夜は白み始めていた。  ことが済むとすぐ、蛮女は睦月を例の樹脂製のケースにしまった。それから間もなく、漁師たちがうつろ舟の周りに集まってきた。ちぎれ、周囲に散乱する網や縄に驚きおびえつつも、蛮女がおとなしく中に座しているのを確認した漁師たちは、数艘の小船でうつろ舟を曳航し、沖へ流した。潮の流れに乗り、遠ざかっていくうつろ舟を確認した漁師たちは船を戻し、日々の暮らしへ戻っていった。  あだ睦月の失踪は早晩村人の知るところとなったが、随意の出奔であるらしいことが知られ、蛮女の妖気にあたり気でも触れたのであろう、厄介者がいなくなってよいではないか、といった冷淡な扱いを受け、忘れられていった。  蛮女を乗せたうつろ舟は浅海へ潜行し、「刑」を再開した。  追矢翁が語った蛮女の身の上はおおむね正しかった。但し、蛮女の生国が欧米のどこかであろう、という翁の認識は誤りである。というのも、蛮女は、有史以前の超古代文明の数少ない生き残りであったのだからである。  情報機器とのハイブリッド化とナノマシンの埋め込みにより、不老不死を実現した超古代文明も、進みすぎた技術の誤用から悲惨な終末を迎え、この蛮女やその同類のみが唯一の生存者となった。以来、蛮女たちは永劫に近い時を経て、海洋を漂っている。  蛮女への処分は「刑罰」というよりも社会不適合分子の隔離政策に近い。それゆえ、生まれ育った社会に影響を及ぼさない限りで、彼女たちには快楽追求の自由が与えられていた。その中には、自らの意志でときおり浮上し、異民族の新たな男を求める自由も含まれていた。  新たな男の探索は、彼女が接続している超情報処理装置の検出能力を借りたものである。とはいえその中から、睦月のような「自分に惹かれる男」を絞り込む直観力は、彼女やその同類たちの「女の業」とでもいうものだった。――然り。睦月はそもそもの最初から狙われ、誘惑されていたのである。  白い箱の中、睦月は無常の幸福を噛みしめていた。今の彼は、労働の苦痛からも、煩わしいだけの人間関係からも自由だった。箱の中で好きなだけ夢想の翼を広げても、妨げたりあざ笑ったりする者はいない。時折は箱が開けられ、美しい異形の女の慰みの相手を務める。このような人生を送れるとは、なんと自分は幸福者であろう。そう思い、睦月は蛮女に感謝した。  とはいえ睦月は、この幸福がいつまでも続くものでもないことを予感し、一抹の寂しさを覚えた。自分が以前の愛人を奪ってこの地位に収まったように、いずれ新たな愛人が、この座を奪うだろう。蛮女が自分に飽き、異形の者を好む別の男が察知されれば、自分は捨てられるに違いない。  願わくば、そのような男など二度と現れぬように、と睦月は神に祈るのだった。(了) ------------------------- 〔後記〕  参考文献の筆頭は、加門正一『江戸「うつろ舟」ミステリー』楽工社、2009年。懐疑派の観点から「うつろ舟」伝説を調査した本で、各種原資料の詳しい紹介も有用です。ベースにした、滝沢琴嶺(宗伯)「うつろ舟の蛮女」(滝沢馬琴他、『兎園小説』所収)も同書を参照しました。ただ、同書の面白い部分(民俗学的な分析や懐疑派らしい考察など)はあまり活かせていません。  このネタで書いてみようと思い立ってから、同書に紹介されていた、うつろ舟伝説をモチーフにした創作四作の内、古川薫『空飛ぶ虚ろ舟』文藝春秋1996年、松浦秀昭『虚舟――大江戸攻防珍奇談』ソノラマ文庫1998年、澁澤龍彦「うつろ舟」(同『うつろ舟』所収、河出文庫2002年、初出1984年)も平行して読みました(もう一つの、光瀬龍「天の空舟忌記」(1976年)は未読です)。三つとも、同じベースからまるで違う方向に想像を進めているのが面白いと思いました。なお、三つ目の「うつろ舟」は読むのが一番遅れ、構想を固め、書き始めてから読んだのですが、解釈や筋で一番本作とかぶりそうな作品で、結果的に自作の拙さを思い知らされました。お粗末様でした。