ガシャマシャ天体合唱団  ゲババは愚かな男だった。いったい、世界がどうやってできているのかわからない。どこに世界の果てがあり、自分のいるのが世界のどこなのであり、世界にどれだけの人類がいて、その人類たちがどのようにして生きているのかがわからない。ゲババには、世界がいつから始まって、どのような過程を経て、現在に至ったのかがわからないし、だから、これから世界がどうなるのかもわからない。  ゲババにはわからないことだらけだった。なぜ、自分が生きているのか。なぜ、人類は生きているのか。人類はどれくらいに遠くまで出かけていったのか。まったくわからなかった。  ゲババには、ミンクがいう歌を歌っているの意味がわからなかった。ミンクは、ゲババと同じ歳の少女で、賢くみんなに尊崇されていた。ミンクにしか理解できないことがある。ミンクにしかできないことがある。だから、みんなミンクを大事にしたし、ゲババもミンクに憧れに似た感情を抱いていた。 「ゲババ、星々が命の歌を奏でて歌っているよ。それを聞けるようにならなければダメだよ。星々の歌は、とても素敵だわ。時に争い、時に助け合い、その多くは孤独で、でも、この星々のどこかにわたしたちの故郷地球があるのよ。地球も歌っているのよ」  ゲババには何のことだかさっぱりわからなかった。ああ、音楽はいいものだ。聞いていると癒される。だけど、星々が歌うってどういうことだ。命の歌ってどういうことだ。ゲババにはわからない。ゲババにはミンクのいっていることがわからない。 「地球はどんな歌が好きなんだい?」  ゲババはかろうじて話についていってミンクに聞いてみたが、答えは要領を得なかった。 「地球は無茶苦茶。ぶち壊れないのが不思議なくらい活動的」  ミンクはそういって笑った。 「地球は、惑星ヤオタマよりも面白そうなところかい?」 「ううん。どの星もそれぞれよ。どこが面白いのかはわからないよ。歌を聞いているだけだもの。でも、星々が歌を奏でるのってとても素敵。聞いていて飽きないわ」  ゲババは顔をしかめた。 「ぼくは翻訳機の使い方がよくわからないんだよ。だから、歌の歌詞がわからないし、全然意味を理解できないよ。惑星ヤオタマの言語では、星々は歌ってないんだろ?」 「そうねえ。翻訳機が使えるようにならなければダメねえ。でも、他にも使えなければ困るものはたくさんあるの。必ずしも翻訳機が重要というわけではないのよ。惑星ヤオタマのことばはゲババにもわかるんでしょ。だから、他に大切なことがたくさんあるのよ。ゲババはそれをまだ理解していないわ」 「うーん。わかんないんだよ」  ゲババは自分の頭の悪さを呪って逃げ出そうかと思った。だけど、ミンクに嫌われるのが嫌で逃げられないでいた。  先に説明しておくと、今日は、ゲババが以上のような謎をすべていっぺんに理解した記念すべき日である。この後、ゲババは自分たちをとりまく世界がどのようにしてできていたのかをいっぺんに理解する。それは明確に解説される。  ゲババは時計台の中の机の椅子から立ち上がって、珈琲を入れた。気を利かせて、自分の分とミンクも分の二杯入れた。 「それにしてもさ、ぼくの仕事はとりあえず、時計だろ。時計について勉強しているけど、全然何がなんだかわからないよ。量子の振動を観測して正確な時刻を刻むというのだけれど、何のことだかさっぱりわからない。この時計の数字もわからないよ。なんだか、すごく大きな数字が表示されるけど、百億を超えているんだよね、時刻ってものは。いったい、これは何を意味しているんだい? さっぱりわからないよ」  すると、ミンクが頭をかしげて答えた。 「うーん、そういう時は、時計の歴史書を読むといいかもしれないかなあ。時計ってもともと惑星の自転と公転を計算するものだったのよねえ。時刻ってのはそこから来ているのよ」 「いや、さっぱりわからないよ」  ミンクがゲババの入れた珈琲に手をつけて、軽く匂いを嗅いだ。 「ぼくの仕事は時計職人だろ。それでも、時計の意味をミンクよりも全然理解していないなんて、落ち込むよ。ミンクはすごいなあ、本当に」 「いえ、別にわたしもたいしたことはないのよ。ただ、星々の奏でる命の音楽を聞いているだけで、他には何もたいしたことはできないのよ。でも、星々の奏でる命の音楽を聞くことができれば、たいていのことはできるようになるのよ。星々の歌がとても大切なものなのよ」 「星々の歌がいちばん大事だってことか」  ミンクはちょっと怒った。 「ちがう。大切なものはもっと他にあるよ。それこそ、ゲババの命とか健康の方が、星々の奏でる命の音楽よりとても大切なものよ。それをまちがえてはダメ。星々の奏でる命の音楽は、星々と命のためにあるのに、そのために命を犠牲にするなんてとても愚かなことだわ」  ゲババは逃げ出したくて、逃げ出したくてたまらなかった。わけがわからない。 「ぼくは、ミンクのいっていることがこれっぽっちもひとつも理解できないんだ。ぼくはダメなやつだ。死にたいよ。ぼくが聞いている星々の奏でる命の音楽は、全然、何の意味もない雑音だよ。何一つ意味はわからない。ぼくは出来損ないだ」  ゲババは珈琲をちびちびとすすって、時間を稼いだ。ミンクを理解したい。ミンクの理解していることを理解したい。ミンクと同じように惑星ヤオタマのために賢くなりたい。だけど、それは叶わない夢なのか。  ゲババは計算機学から聞いてみることにした。 「ぼくらの生活が成り立つのはロボットのおかげだろう?」 「そうだよ」  ミンクは答える。とりあえず、ひとつ正解した。  次は、生物学だ。 「惑星ヤオタマの生物は、すべて遺伝子工学によって計画的に作られた生き物だ」 「そうだよ。ただし」  ミンクが言おうとしたところをゲババが慌てて制する。 「わかっている。ただし、ぼくたち人類を除いてだ」  とても重要なことなのはわかっていた。なぜか、人類を人類でない別種に進化させることはあまり推奨されていなかった。それは、人類の遺伝子をいじりはじめたら、あっという間に惑星ヤオタマの人類は、人類でなくなってしまうからだとミンクはいう。そうなったら、星々の奏でる命の音楽に参加できなくなるのだという。だから、そういうことはできるかぎりしてはいけないことになっている。  次に何を聞くべきか、ゲババにはわからなかった。後は、時計学と音楽のことくらいしか質問が浮かばない。  ロボットと生物学を理解しているだけで、ゲババは普通に困らず生活していける。だけど、なぜか寂しい。自分がこの世界がどうやって作られているのかを理解することができないもどかしさを感じる。 「ロボットと生物学さえわかれば、困ることはない。ロボットと生物は惑星ヤオタマが始まった時から存在している」 「そうだよ。まちがってはいないね」  これで、どうして星々の奏でる命の音楽と論理がつながっていくんだ。まったくつながらない。やっぱり、ゲババにはミンクのいっていることが理解できない。ゲババは惑星ヤオタマのことはおおよそちゃんとわかっている。なのに、ミンクにまるで敵わない理解力の差が生まれてくるのはどうしてだろう。  ミンクはいったい星々の奏でる命の歌に何を聞いているのか?  ミンクは珈琲を飲んで、また説明をした。それがゲババに天啓となってすべてを理解させた。 「ゲババ、惑星ヤオタマの始まりってどこからだかわかる?」 「えっ、始まりって、普通に惑星に自然発生したんじゃないの?」 「そうともいえるけど、そうでないともいえるの。見て、ゲババ」  ミンクは窓を開けて、遠くの遺跡を指さした。 「あれが何だかわかる、ゲババ?」 「何って、壊れた宇宙船。墜落して壊れた宇宙船だよ。壊れてもう使えない」 「それでも、合っているんだけど、まだ少し別の意味があるの。あの宇宙船は、惑星ヤオタマに墜落した播種船なんだよ」  播種船!  ゲババはその意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。 「播種船って、人類の播種船かい?」 「そう。そうだよ、ゲババ。あれは遠い遠い地球という惑星から飛んで来たわたしたちの播種船。惑星ヤオタマは、あの播種船からすべて発生したのよ」  あの播種船から、人類は発生し、繁殖し、宇宙船の機械に教えられて知恵をつけ、文明を築くに至った。 「あの宇宙船は播種船だといわれているんだよ。昔むかし、遥か遠い過去のこと、遥か遠い彼方の宇宙の果てにあるという地球という惑星から播種船を飛ばしたの。盲滅法にめちゃくちゃ飛ばしたらしいわ」  ゲババは、びっくりしていた。今まで、他の星に人類が生きているなんて考えたこともなかった。ミンクのいうとおりだとすれば、この宇宙には、地球から飛び立った人類がそこら中に繁殖していることになる。 「どのくらいの数の星に播種したの?」  ゲババは聞いた。 「何千億より多いと聞いているわ。とてもたくさんよ」 「それじゃあ、星々の奏でる命の歌っていうのは」  ゲババは珈琲を飲み干した。 「人類が賢かったのは、播種船で量子テレポートの効果を試したことよ。それによって、播種船同士で超光速の連絡をとることができる。だから、情報だけなら、何千億の惑星に広まった地球人類の子孫と連絡がとれるわけ」 「じゃあ」 「そう。星々の奏でる命の歌っていうのは、量子テレポートで聞こえてくる他の惑星の人類からの通信のことよ」  ゲババが初めて播種船を見たのは五歳の時だった。その時は、ゲババは播種船の機械をいじってみたけど、何の意味のある反応も引き出せなかった。播種船にある本も読んでみたが、その時は意味がわからなかった。  だけど、今ならわかる。播種船で、星々の奏でる命の歌を聞くことができる。  ゲババは愚かな男だった。いったい、世界がどうやってできているのかわからなかった。どこに世界の果てがあり、自分のいるのが世界のどこなのであり、世界にどれだけの人類がいて、その人類たちがどのようにして生きているのかがわからなかった。ゲババには、世界がいつから始まって、どのような過程を経て、現在に至ったのかがわからなかったし、だから、これから世界がどうなるのかもわからなかった。  だが、今ならわかる。世界は地球から飛び立った播種船によって作られたのであり、世界の果ては播種船のいちばん遠くまで飛んだところまであり、自分のいる世界は人類の何千億を超える星々のひとつであり、世界にはものすごい多くの数の人類がいて、その人類たちは量子テレポートで連絡をとりあって生きているのだ。  歌が聞こえる。星々の奏でる命の歌だ。連絡をとりあうことしかできず、決して会うことのできない別の星の人類の声が聞こえるのだ。  ゲババの時計台の時計は、地球の時計と同じ時刻を刻んでずっと数字を積み重ねていたのだ。                 2014年6月11日