本テキストはニコニコミュニティ「活字が好き」の9月企画用に書き下ろされたものです 分析:kyonkiti コミュ:http://com.nicovideo.jp/community/co3036 コミュwiki:http://wikiwiki.jp/niconovel/ ------------------------------------------------------------------------------------------ タイトル:堕ちる秋 美しき月 ------------------------------------------------------------------------------------------ 「嫌な季節になったもんだわ……」  大きなため息とともに、藍(あい)はつぶやいた。椅子に座り、PCに向かいながら薄衣の胸元を引っ張り、団扇でパタパタと扇いでいる。 「残暑のことか?」  藍にかけられる声。しかし部屋には彼女以外誰もいない。  市外局番が03では無いけれど、なんとか都内と呼べる場所に、藍の両親は残りの人生のほとんどというチップをベットして家を建てた。藍の自室は2階にあり、部屋はその主の母親の趣味を極限まで反映した、女の子らしい部屋になっていた。ピンクの壁紙に、ぬいぐるみがあったり、ドレッサーにはフリルの多用されたドレス、そしてそれら全ては部屋の主その人には不評だった。  そんな部屋にはその隅にたった一つ、似つかわしくないモノがある。 「残暑もそうだけどさー。もうすぐ中秋の名月じゃない」  藍は部屋の隅へと椅子ごと振り向き、声に応えた。  それは巨大な鉄の固まり。一般に死神の大鎌とも呼ばれるモノだ。先ほどの声は、まさにこの大鎌のモノだった。  名を、スカーレットミラージュという。 「最近こっちに来たばっかのスーくんは知らないと思うけど、アジアでは中秋の名月ってのは、特に美しい満月として、昔から有名なんだよ?」 「美しい満月……か。なるほど、そりゃあ確かに厄介だな」  「そういうことなのよ」と藍は再び団扇を手に残暑に抗いながら再びPCへと向かう。 「そんなに暑いならエアコンをつけたらどうなんだ? 団扇というのは、使うことで己のエネルギーを消費し、疲れるばかりかかえって暑くなることさえあると思うのだが」 「スーくんってやっぱり男の子だよね。乙女心全然判ってないよ。こうやって汗をかけばさ、少しでも痩せられるかもしれないじゃない?」  ひときわパタパタと団扇を仰ぐ速度を上げながら藍は答えた。 「乙女を自称するなら、せめてズボンかスカートでも穿いてもらえないか? 君の母君が見たらまた怒ると思うぞ」 「だって暑いじゃん」  スカーレットミラージュは息を吐くこと無くため息をついた。 「それにしてもさー、最近のニコニコはホントどんどん使いにくくなってくわ。トップページのランキングがデイリーじゃなくてウィークリーとかアホかと、バカかと……。死ぬの?」 「…………」  母親の趣味によって、本棚にはワーズワースの詩集などが並んでいるが、藍はそのどれも未読だった。スカーレットミラージュが「兄貴や教祖もいいが、たまには科学タグの動画でも見たらどうだ?」と言い出そうと思った矢先―― 「あ、これって……」  藍が先ほどまでとは変わったトーンの低い、シリアスな声でつぶやいた。 「ん……? どうした?」  言い出すタイミングを失ったスカーレットミラージュは、とりあえず尋ねてみる。  藍の仕事の、何か手がかりを得たかもしれないと思ったのだ。 「マイケル先輩だ!」  シリアスから一転、藍の声は歓喜の色に包まれた。 「誰だよそれ……」  対してスカーレットミラージュの声はどうでも良さを増す。この手の声をあげる時、藍はミーハーな乙女(場合によっては腐女子)そのものとなっているからだ。大方既知のイケメン(2次も3次もOK)の動画でも発見したのだろう。 「うちの高校の超イケテる先輩だよ。ほんっともう、かっこいいんだから。一学期に転校してきたんだけど、もうあっという間に全校女子のあこがれの的よ。スポーツ万能なのにさらに頭も良くて、天文部で空を見上げてるってところがまた素敵なんだよねえ」 「変な名前だけど、外国人なのか?」 「ハーフらしいんだけど、誰が呼びだしたのか、通称マイケル先輩」 「…………」  あまりにも推測通りの藍のテンションに、スカーレットミラージュは再びため息をついた。 「それにしても、まさかニコニコのイケメン採点動画にまさか先輩が混ざってるとは……。どう考えてもこれ、盗撮だよなぁ」  言いながら、藍の右手は一切無駄の無いマウスワークで動画をHDDに保存していた。 「お前、俺が言うのも何だがいつか地獄に堕ちるぞ」 「たかがイケメンの動画をHDDに保存したくらいで私を地獄に落とす神や閻魔なら、こっちが説教くれてやるわよ。どうせおっさんに乙女心とか言ってもなかなか通じないだろうけど、あたしにはそれを説明するための無限の言葉が胸の奥底から沸いてくるわ。10万年でも100万年でも、死語の世界でなら食べず、眠らず、いつまでも説教は続けられるだろうしね!」 「…………」  それから数日後。  中秋の名月を三日後に控えた9月11日。  藍は人生で最高の幸福の中にいた。 「ほ、本当ですか!? 先輩! あの、私たちと一緒にお月見って……」 「もし、君たちさえよければ」 「もちろんです! 死んでも行きます! いや、死んだら逝っちゃうか……。何にしても必ず!」 「ははは」  事の発端は、仲の良いクラスメイトたちと校内のカフェテリアで昼食を摂っていた時のこと、偶然にも一人で食事をしているマイケル先輩を発見した藍たちは、勇気を出して声をかけることにしたのだ。  すぐに打ち解け合い、楽しい時間を過ごすことができたのだが、さらにダメもとで週末の予定を訊ねたところ、天文部らしく中秋の名月を校内で観賞するということだった。そして、逆にそれに誘われたというわけである。 「ちゃんと先生の許可はとってあるから、それじゃあ当日の夜にね」  藍たちは歓喜の声をあげて、その場は別れたのだった。  その時の様子を興奮気味に語る藍に、スカーレットミラージュは面倒くさそうに相づちを打っていた。藍はと言えば、残暑を理由に今日も相変わらず下着姿で椅子の上にあぐらをかいていた。 「はぁ……マイケル先輩と一緒に美しい月を眺められるなんて、これ以上無い幸せ……」 「ああ、そうだな。よかったな――って」  再び相づちを打ったスカーレットミラージュは、何かにひっかかりを覚えた。 「そう言えば、それ、例の1年で1番美しい満月を見るんだっけか!?」 「最初からそう言ってるじゃん」  生返事をしていたスカーレットミラージュに怒気の含んだ声で返す。 「わ、わりぃ……。でもよ、藍。ちょっとばかり危なくないか? それは」  部屋の隅、壁に立てかけられた大鎌は不安を口にした。 「うーん、どうかなあ。例年ならさ、この時期になると満月の2,3週間くらい前からその手の奴らが這い出してきたり、事件が起きたりするんだけど、どういうわけか今年はそういうことも無いしさ。大丈夫なんじゃないかと思うんだよね」 「全く根拠レスだぜ。その月見、念のため俺もついて行かせてもらうからな」  しかし藍は「嫌よ、そんなの」と即否定した。 「何でだよ。いないよりはいた方が、何かあった時良いに決まってるじゃねーか」 「どこの国に、死神の大鎌持って憧れの先輩とお月見をする女子高生がいるのよ!!」  藍の声のボリュームが上昇する。 「いきなり危ない奴だと思われて嫌われちゃうじゃない! 先輩だけじゃなくて、友達もみんな失っちゃうわよ」  ひとしきりまくし立てた藍。 「誰もこの姿のままついていくとは言ってねぇよ」 「へ――?」  次の瞬間、死神の大鎌――スカーレットミラージュは漆黒の景に包まれた。あふれ出す闇に、藍の瞳孔が自然と開く。そして、その闇が次第に晴れてゆく。 「よっ!」  そこには藍と同年代の男の子が立っていた。黒いレザーのショートパンツに、黒いシャツ。羽織っているレザーのジャケットも黒。黒髪の短髪に黒い瞳。肌は白く、唇だけがやけに紅く見えた。 「…………」  呆然と口を開けはなったまま、言葉もない藍。 「これなら文句ねえだろ?」 「あ……あ……あ……」  ようやく事態を飲み込みだした藍。そして―― 「このド変態がぁぁぁああああああ!!!」  乾いた鋭い風切り音。肉が肉を強打する鈍い音。肺から空気の漏れる音。そして最後に人体と壁との激突音。 「ぐぇぇ……」  人型をとったスカーレットミラージュはそのまま、ズルズルと壁伝いに尻餅をつく。 「よくも今まで私の着替えとか、その他もろもろの乙女の秘密をのぞき見てくれちゃってたわね!! 呪符で封印して東京湾に捨ててきてやろうかしら」 「げほ、げほげほ……。お、お前なぁ……」  必至に呼吸を整えて、スカーレットミラージュは抗議の声をあげる。 「乙女乙女言うなら、殴る前に恥ずかしそうに服を着たらどうなんだ……。いきなり殴りかかってくるなんて、お前は獣か……」 「ケダモノに言われたくないわよ! まったく!」  座り込むスカーレットミラージュのすぐ目の前で、腕組みをして仁王立ちとなり冷ややかな視線で見下ろしてくる。 「あ、あのなあ……俺はこんな格好になったけど、あくまで『モノ』なんだよ。道具でしかないわけ。お前ごときの裸を見たところで俺様のチ○コはみじんもおったったりはしn――」  ――ドゴッ!  腹につま先がめり込んでいた。 「げふぅ……」 「今すぐ大鎌に戻りなさい。今すぐ!」 「は、はい!!」  有無を言わさぬ藍の剣幕に、スカーレットミラージュは素直に元の姿へと戻った。  藍は荷造り用の縄で何重にも巻き付けると、机の上にあった霊紙を一枚とり、筆ペンでサラサラと呪を書き加えて呪符とした。 「ま、まてお前。俺はお前のためを思ってだな――」 「やかましい!」  ペタと貼られたとたん、スカーレットミラージュの声は聞こえなくなった。 「簡易呪符だから息苦しかったり苦痛は無いでしょ。争い事を嫌う乙女の慈悲深くもありがたい、最大の温情だと思いなさい」  そして、大鎌を持ち上げ、クローゼットの中へと放り込んでピシャッと扉を閉めてしまった。 「これで安心して眠れるわ」  そして当日の夜。  三日間、クローゼットに放り込まれっぱなしのスカーレットミラージュを放置したまま藍は学校へと向かった。  深夜の外出は職業柄珍しくはないものの、仕事着では無く私服というのは藍にとっては珍しいことだった。 「なんじゃ? 中秋の名月の夜に、私服でどこへ行くというのじゃ?」  神主をしている祖父がでかける藍を見とがめて、声をかけてきた。 「大丈夫。どうせ何も無いわよ。私だって悪霊や怨霊のお祓いばっかじゃなくて、たまには友達と遊びたいの」  先輩とのデート的な意味も含まれているしね、と藍は心の中で付け加えた。 「お前のような未熟者が人並みに霊力を操るには、それなりの前提が必要となるのじゃぞ? 紅白の衣装に、神木から削りだしたお祓――」 「行ってきます!!」  このままではみんなとの待ち合わせ時間に遅れてしまう。藍はそのままの勢いで飛び出していった。 「……まったく、ここ最近何も無かったんだし、きっと私が地域の悪霊は軒並み倒しちゃったのね」  予想外の遅れを取り戻すべく、藍はショートカットをすることにした。  軽く跳躍すると、民家の塀の上へ。そこからビルのバルコニーへ、木々の枝の上を。さながらフィクションの中の忍者のような軽快さで最短距離を学校へと向かって疾駆した。  その努力も実り、どうやら約束の時間をほんの僅かにオーバーしただけですみそうである。藍的にはギリギリセーフな時間だった。  約束の校門前には憧れの先輩が立っていた。 「やあ、藍さん。こんばんは。うちの学校の制服も似合っているけど、その服も可愛いね。よく似合ってる」  自分の趣味ではまるで無いのだが、きっと男受けは良いだろうと、母の趣味であるところのピンクのフリルのついたシャツに、チェックのスカートを穿いて、髪にはリボンをつけていた。  とりあえず、第一段階は思惑通り。先輩もやっぱり男の子ね。などと、藍は思いながらも、あたりを見回した。 「そう言えば先輩、他のみんなはまだ来てませんでした?」 「みんなはもう、屋上で待ってるいるよ。僕たちも行こう。少しでも月に近づく方がよく見えるからね」 「はい」  懐中電灯で足下を照らしながら、夜の校舎を二人で歩く。 どうしよう、もし今突然告白されたら。 どうしよう、もし今突然キスされたら。 どうしよう、もし今突然抱きついてきてそのまま(ry 等と、藍の頭の中は激しく妄想が渦巻き、自然と体温が高まり熱にうなされたように顔は真っ赤になる。 「あ、藍さん……? 大丈夫? なんだか体調悪そうにも見えるけど……」  先輩の気遣いに、藍はにっこりとほほえんで返した。 「いえ、絶好調です」 「そ、そう。ならいいんだけど……」  そうこうしているうちに、二人は屋上の重い鉄扉を開けて、外へと出た。  藍は自然と空を見上げていた。  星々の海、そして美しい満月。  月は霊に活力を与え、肉を持つ存在にすら多大な影響を及ぼす。 肉の器を持つ物質世界の存在も、精神という霊的因子を内包しているからに他ならない。満月の夜は統計的に見ても犯罪の件数は増加しており、従って肉を持たぬ悪霊や死霊については、改めて言うまでもない。  しかし、そんな満月。それも1年で最も美しい中秋の名月を、何事もなく穏やかな夜にしてくれたのは自分の日頃の善行のなせる業だと藍は幸福をかみしめていた。 「ところで、先輩。みんなは……?」 「彼女たちなら、あそこにいるはずだよ」  先輩の指さす方を見ると、そこには藍の友人たちが倒れていた。 「みんな!?」  慌てて駆け寄る。  全員息はしているものの、意識が無い。  頬を叩いてみても、反応が無かった。 「これは……」  藍にはすぐに判った。これが、霊的な力によって引き起こされていることを。  お札の一枚も持たずに出てきたのが悔やまれたが、もう遅かった。 「先輩、彼女たちはいったい!?」  振り向いた藍は先輩の姿に違和感を感じた。 「せん……ぱい?」  彼の2本の足は屋上の床から離れ、僅かに宙に浮いていた。 「藍さん。ごらん、今宵の月はこんなにも美しい。天にまします主のお導きそのものだ」  月明かりに照らされ生じた先輩の影が屋上の床に落ちる。  そのシルエットには6対の翼があった。 「先輩……あなたはいったい……」  中腰でしっかりと床を踏みしめる。  すぐに行動を起こせる姿勢へと、自然と体が動いていた。  藍にはただならぬ雰囲気、それもどちらかと言えば好ましくない嫌な感じがしていた。 「藍さん、君は肉体と幽体の境界を曖昧にする力を持っているね。マテリアル次元とアストラル次元の双方を認識できる人間は希有だ。その両方に存在しつつ、君たち人間は精神のなんたるかをまるで理解していない」 「先輩は怨霊なのですか……?」  発せられる言霊に憎悪や妬みを感じ、藍はそう判断した。 「怨霊? 違うね」  しかし、先輩はそれを否定する。 「そのように小さな存在では無いよ。私は君ら人間の罪を断罪し、懲罰を執行する者。――天使だよ」  ――バサリッ!  6対、12枚の翼が顕現した。 「しまった、マテリアライズの時間を与えてしまった……」  どうやら先輩は自分の敵であるらしい。  何者で、どうして自分を狙うのか。それは藍にとって些事だった。憧れの先輩が自分の敵であるという、ただその一点にのみショックを受けていた。  男運の無さを今更嘆いても仕方ないとは言え、やはりやりきれぬ想いがある。 「藍さん、あなたは悪魔の作りし忌まわしき魔具を持っているね?」  藍の脳裏にスカーレットミラージュの姿が浮かんだ。漆黒の無骨な鉄製の大鎌。 「肉と霊の双方を同時に断斬する武器。あれはね、人間が使うものじゃないんだよ。あれはね……人間に使うものだ」  あまりにも冷たい眼差しに見下ろされ、藍は身震いした。 「さあ、藍さん。あれはどこにある? 持って来るものかとも思ったけれど、どうやら手ぶらのようだしね」 「あれは……」  今になってスカーレットミラージュの心配が的中したことを悔やんだ。  あれほどを心配してくれていたのに、全く掛け合わなかったのは自分だ。 「まあいい……。藍さん、あなたは他の方々のように、最後の審判までその処遇を保留することは出来ない。あなたの肩口の紋様、霊力で物理的に見えなくしているが、私には見える。それはあの魔具と交わした契約の徴だね」  藍は肩口に手をやった。言われた通り、それは契約の証だった。 「契約は霊的に結ばれるものだ。しかもその紋様から見るに、終身契約を結んでいる。すなわち、君の霊的な死をもってのみ、契約は解除されるということだ」 「…………」  藍はどうにか逃げ出す機会を伺っていた。  相手は天使を自称していたが、事実がどうであれ、自分とスカーレットミラージュとの契約をこれほど簡単に見破ったものはこれまで無く、藍がかつて封じてきた死霊や怨霊とは比べものにならないほどの霊圧を周囲へと放っていた。 「美しき月の輝く中秋の夜に死して断罪するg――」 「うらあああああああああ!!」 「――ぐぼぁっ」  それは突然現れた。  藍は見た。中空に浮いていた6対の翼を持つ者の、さらに上空に影が現れたかと思うと、それが急降下キックを食らわしたその瞬間を。 「け、蹴られただとぉ!? この、僕が!」  頬に手をやり、先輩は影の着地した先に視線を送る。  そこにはあの、白い肌に全身黒ずくめのスカーレットミラージュが、その唇だけは赤くして立っていた。 「俺の主人はもっと汚い不意打ちをするぜ。手加減してやったんだ、感謝しな!」  腕組みをして、仁王立ちの姿で偉そうにそうのたまった。 「誰が汚いって!? って、それよりあんた……どうして? だってあんなにぐるぐる巻きにして封印までしたのに」  藍が駆け寄ると、スカーレットミラージュはニヤリと笑った。 「この世のモノも、あの世のモノも、何でも斬れるのが俺様だぜ?」  いつでも抜け出すことのできる封印に、三日間もの間律儀につきあっていたというわけである。 「貴様がスカーレットミラージュか。悪名はよくよく聞き及んでいる」 「そりゃ、どうも」  あくまでも軽口を返すスカーレットミラージュ。しかし、背後の藍にかける小声はシリアス。 「さてと、藍……大丈夫か? やるぞ。できるか? 俺様は悪罵の武器だがあくまで武器だ。全ては使い手の力量と、そして両者の呼吸を合わせることが何よりも必要となる。判ってんだろ?」 「うん。ありがと……助かった。もう大丈夫」  藍の目つきが変わる。  それを確認して、スカーレットミラージュも心配しなかった。自らを大鎌の姿へと、本来の姿へと展示、藍の手の内に収まった。 「なるほど……神をも恐れぬ人間そのものというわけか」 「うちの神社はあんたんとこの神なんて祀ってないわよ!」  藍もすっかりペースを取り戻していた。 「あいつ、天使を名乗っちゃいるけどな、あれはそんなもんじゃねー」 「そうなの?」 「何しろもう秋だからな。何にせよ強敵だ。いくぜ!!」 「うん!!」  大鎌を大きく振り上げ、藍は強く床を蹴った。 「くぅうううらぇぇぇぇぇえええええ!」  空中で横一文字に鎌を振り抜く藍。 「くっ――」  天使はそれをギリギリで躱す。  ――シュッ!  大鎌を振り抜く遠心力に身を任せ、藍は即座に蹴りを繰り出した。  つま先が天使の腹に入る。 「ぐっ――」  屋上に着地する天使。直後に藍も着地する。 「武器が武器なら、主も主でなんとも足癖が悪い。 「あたりまえだ! 俺のは藍仕込みだからな!」 「そんなもの仕込んだ覚えは無いわよ!」  二人のやりとりへ苦々しげな視線を送り、今度は天使がしかけた。  掌をぐっと突き出す。  光が集まったかと思うと、それらは矢となって次々に藍へと向けて放たれた。 「うわっ、と、とと……」  それらをテンポ良く躱していく。  その後も攻撃の応酬が続くものの、両者ともに決定打に欠いた。  藍は札を欠いており、防御に著しい不安があった。どのような攻撃でも食らえば致命傷となるのは避けられない。  しかし、それは天使にしても同様で、スカーレットミラージュの一撃は何物をも断斬する。  とはいえ、藍にもこのままいけばどうなるかは判っていた。  体力で劣る自分が先に力尽きる。現に、すでに肩で息をし始めていた。 「おい、藍」 「何よ……」 「あいつは用心深い。正面からやってもダメだ。俺に案がある。いいか……」 「何をこそこそと。小細工など、させん!」  天使は左の掌を突き出し、先ほどまでと同様、矢を連射する。  藍は右、左、右、とステップでそれらを躱し、そして距離を詰めることなくその場で思い切りスカーレットミラージュを振り抜いた。 「――ふむ」  大鎌は回転しながら天使へと迫る。 「このくらいのこと!」  翼をはためかせ、天使は飛翔する大鎌の一撃を躱した。 「さあ、これで君は唯一の武器であり防具を失った」  天使は右の掌を月へと掲げる。すると、そこから一振りの剣が現れた。  振り上げた剣が、月明かりに煌めく。 「くらえ!」  空を切り裂く音。  それは剣のそれでは無く、弧を描き天使の背を狙うスカーレットミラージュの物。  ――ヒュッ  寸分違わず天使の背を狙っていたその一撃を、しかし天使は振り向くことなく躱した。 「その程度の策が読めない私では無いわ!」  回転飛来する大鎌の一撃が、今度は藍を狙う。  しかし、藍は自ら一歩踏み出し大鎌に身をさらした。 「ばかな!?」  回転する大鎌の柄の部分をがっちり掴むと、まだ生きている遠心力に任せて、さらに己の力を乗せて、真一文字の一撃を放った。 「ぐあああああああ――――。ま、まさか、受け取るなど……」  身体を真っ二つにされた天使がうなる。 「悪いが俺たちの呼吸はぴったりなんだよ。この程度のことは朝飯前だ」 「く、くそおおおお。神をも倒しうる貴様の力さえ手に入れることができたなら、くそぉ……」  それだけ言い残し、二つに分かれた天使はそれぞれ光の粒子となり、月夜に溶けていった。 「ふう、さっぱりした」 「おーい、ここから出せよー。なー、俺本当は食らいとこ苦手なんだよー」  風呂から上がり、少女趣味の自室に戻ってきた藍の気配を察し、クローゼットの中に押し込められた道具は抗議の声をあげた。 「わーったわよ。ちょっと待ってなさい」  クローゼットが開く。目の前にタオルで髪を拭いている藍が立っていた。  藍は無造作に鎌を持ち上げると、定位置である部屋の隅にそれを立てかけた。 「これで文句無いでしょ」 「待遇に文句は無いが、なんでパジャマなんか着てるんだよ」 ――ドガッ!  容赦ない蹴りが鎌の柄に向かう。 「ってぇ……」 「アホなこと言ってると、東京湾に捨てるわよ」  言いつつ、藍は椅子にあぐらをかいて、PCの電源を入れた。 「結局最近霊たちが大人しかったのって、あの天使が存在感バリバリ出してたからだったのかな」 「だろうな。お前の友達たちは大丈夫だったのか?」 「うん、みんな天使……っていうか、マイケル先輩のことすっかり忘れてた。私たちだけで月見に来たつもりでいたし」 「そうか……。まあ、あいつは天使なんかじゃなかったけど」 「そう言えば神を倒すとかなんとか言ってたよね。あいつ悪魔だったのかな?」  windowsの起動画面を眺めながら、振り返ることなく疑問を口にした。 「そうだな。悪魔だよ。何しろ悪魔ってのはもとは天使ってのも山ほどいるからよ」 「ふーん……」 「何しろ季節は秋だからな」 「ふーん……」  完全に生返事になっていた。 「さてさて、また新しいイケメン動画上がってないかな」 「…………」  スカーレットミラージュは息を吐くこと無くため息をついた。 「大体よお、イケメン動画なら前にも保存してたじゃねーか。あれは見ないのかよ?」 「あんたねぇ、ニコニコで保存した動画見直すことの方が少ないに決まってるじゃん。新しいのを探さない」 「まるで仕事みたいな言いぐさだな。どうせ見ないものなんで保存すんだよ」 「なんでって、癖かな……」 「ロクな癖じゃねぇな」 「あ、兄貴新作上がってた。先こっち見よ」 「お前のいうイケメンってのは森の妖精かよ」 「何よ……そんなこと言って、あんただって詳しいじゃない」  藍は言う通りだが、それは無理もない。 「全部お前の話し相手になってたせいで覚えたことだ」 「そうだっけ」  そうなのだ。 「…………」  静かな時間がすぎる。たまにバシ! とか、オゥ!とかいう音がスピーカーから流れてくるだけで。 「ありがとね……」  不意をつかれて、スカーレットミラージュは一瞬何のことだか判らなかった。 「お、おう……」  しかし何がだとは聞かず、たた応じた。  二人の呼吸は完璧なのだ。 「まあ、あれだ。俺がこの世で唯一斬れないものは、俺らの絆だけだって」 「…………」 「…………」 「くさ……」 「悪かったな!!」  けれど、それは真実だから否定は出来なかった。 「さて、ランキングのチェックも終わったし……あんたちょっと人型になってついてらっしゃい」  言って、藍はガラス戸を開けてベランダへと出て行った。手にはなにやら持っている。  スカーレットミラージュは大人しく後をついて行った。 「はい、そこ座って」  ベランダはそれなりに広くて、小さなテーブルに椅子がふたつある。藍は片方に腰掛けるともう片方にスカーレットミラージュを座らせた。  そしてテーブルに荷物を置く。 「団子と酒か。でもいいのかよ? 女子高生が酒なんて飲んで」 「巫女が御神酒を飲むのは当然だよ」  そう言って一献を酌み交わす。やたら男前だ。 「やっぱ綺麗だね、中秋の名月」 「月見酒となれば、いつの満月でも、何だったら欠けてたって俺は全然構わないけどな」  そう言ってグビグビと酒を飲み干していく。 「月も酒も男を狼にするんだぜ?」 「あんたね、私に変なことしたら二度とあげないわよ」  言いながら、藍はパジャマの袖をまくって、白い腕を差し出した。  スカーレットミラージュは掌、親指の付け根のふくらみに唇を寄せる。 「…………」 「…………」  時間にして60秒ほどだろうか。  話した唇は紅く染まっていた。  月に一度、満月の晩には己の血を与える。これもまた、契約の一部だった。 「残暑も終わって、大分涼しくなってきたわね」 「俺と違ってお前は風邪ひくんだから、さっさと部屋に戻って寝ろよ」  スカーレットミラージュはすでに立ち上がり、部屋の隅へと向かって歩いていた。定位置でいつもの姿で眠るようだ。 「私はもう少しだけ月を見てから寝る」 「取り込まれんなよ?」 「うん、大丈夫……」  秋の夜長に乙女のため息はよく似合う。  蝉の鳴き声はすでに消え、秋の虫たちが宴を始めていた。  焼き芋の美味しい季節に乙女は心躍らせて、ベッドへと潜っていった。 おわり