『秋に惑う日』  大学生にとっての秋とは、夏休みが終わって学園祭で大騒ぎするまでの無駄に長い夜であり、 夏の盛況を忘れてしまったかのような希薄さとテストまでの余裕から生まれる緊張感のない生活 による二つの束縛からの解放であり、つまり退屈しすぎて死にたくなるのだった。  それは困る。  学生というのは、日本の将来を担うものである。ただでさえ高い学費や入学までに掛かるもろ もろの出費などで痛手を受けてせっかく大学生になったのに、秋が退屈だからという理由などで 死なれては採算が合わない。  そんな親御さんの心配をよそに、秋は暇だった。  これは、日本中の大学生にとって特別で個人的な感傷ではないと思う。  けれど、世の中は秋に色々な歌い文句をくっつけている。その意図は、賑わいを取り戻すこと であり、実は無味乾燥な時期であることを隠すことであったりするのだ。  なぜだろう。  なぜ、世の中は隠し事をするのだろうか。本当に勉強をしたい人間が悩まされるのは経済的な ものであるのだが、奨学金は給付ではなく貸与であるし、国が学生のために何かをしてくれるの かというと、それはすべて留学生という国産の国益にならない人材にしか労力は割かれないので あり、中高で習った歴史は虚構であるなど、テレビや新聞で報道されないことばかりである。  そんな事実を学生が知り、退屈の秋ともなれば、いよいよ人生の退場も考えねばならなくなる。 それは、まさに嘘だらけの世の中が嫌になったからに違いない。  世の中は学生に嘘を吐くという事実がわかったところで、陽平は酒宴の席に誘われた。  暇を持てあまして死の妄想を繰り広げるよりはマシだったので、酒の席に参加することにした。 「ね、ね、ウノやろうよ!」  美奈穂という女が、数字や単語の書いてあるカラフルな紙束を取り出して酒宴の雰囲気を壊し ていた。  無駄にブロンドのショートの髪と人懐っこい性格、フリルとかリボンとか付いた子供っぽい服 装のせいで、変に大人ぶった女たちから避けられている。 「ウノよりも酒よ。酒。買ってきたんだからジャンジャン飲みなさい」  そして、そんな子供っぽい女を友達としてしっかり悪の道へ落とし込んだ女もいる。  美奈穂の髪の色から酒や男まで、控えめな優等生だった美奈穂が豹変とも言えるくらい変わっ てしまったのは、沙織という女の悪行である。  沙織は黒髪の一見すると美しい女性であるが、実のところあからさまな女である。他人を騙す こと人目を憚らず、他人を貶すこと筆舌に難しく、人間の攻撃性の生み出す惨状が服を着て歩い ているような、とにかくそういう女なのである。  付き合いとは言え、一緒にいると沙織の吐き出す毒で内臓が駄目になると陽平は考えていた。 「まぁ、どっちもやればいいんじゃない? 別にたいした集まりじゃないんだからさ」  そう言って、このまとまりのない人間を集めた張本人は、混沌とした状況を作り出すのに精を 出している。  この混沌を楽しむ男は、貴明である。決して表立って行動をしないくせに、他人の行動を黙っ て見てニヤニヤとしている趣味の悪い男である。貴明が構想した集まりは、居心地の悪いストレ ス空間と言わざるを得なかった。  なぜなら、美奈穂は沙織を嫌い、沙織は高秋を嫌い、高秋は美奈穂を嫌っていたのだ。  みな言葉には出さないが、内心で相手に死んでくれとか思っているんじゃないだろうか。  では、陽平自身はどうなのか。これがさっぱりわからないのである。他人のことはわかるが、 他人と自分のこととなると不意に人間関係の闇に放り込まれるのだ。  いや、もしかしたら他人のことさえわからないのが真実かもしれない。  陽平は、沙織の酒の相手をしつつ、片手間に美奈穂のウノの相手をし、口元をニヤつかせてい る高秋には良いように視覚的エンターテイメントを提供せざるを得なかった。  まるで用意周到に準備された嫌がらせのただ中にいるような気分になった。  陽平は、ただの被害妄想だと否定した。だが、本当に彼らが嫌い合っているなら、こんな酒の 席は開かれないのではないかという思いも出てきた。 「本当……、お人好しね。あんたは」  同じサークルの男の先輩が気持ち悪いだとか言っていた沙織が、唐突に陽平へ話の矛先を向け たので、陽平の酔いは一瞬にして秋の夜気へ消えてしまった。 「それが陽平君の良いところだよねー。はい、四枚重ねのドロートゥー」  美奈穂は見た目ほど優しくはなく、ウノを宣言していた陽平に抵抗する術はない。 「良いところでもあり、悪いところでもある。よくもまぁ、こんな面子の集まりに出てくるよな。 他の男共はみんな断ったぜ?」  集めておいてずいぶんな言いぐさの主催者であった。  貴明の失言をきっかけに美奈穂と沙織がバーサクモードに突入し、陽平はやっと心穏やかに酒 を飲むことができた。  酒宴を蹴った男を貴明から聞き出す美奈穂と沙織を眺め、必死に男の友情を守ろうとする哀れ な男の末路を楽しむ。陽平は、これを品のない笑いだと思った。  人間には暇などないと、世間は口をそろえて言う。経済を円満に動かすために浪費をせよと。 食事の秋、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋であると。  だけれども暇を死ぬほど持て余した人間にとって、食事も読書も芸術もスポーツも確たる処方 箋とはなりえない。春夏を過ごして秋になり、邪魔な葉が落ちて主体たる草本が結実したものを 見せるように、人間に必要なのは友と呼べる存在であると気付いた。  そして、秋は、結びついた人間関係を確認する季節なのだ。  品はないが、一緒にいて楽しい。一緒にいてどこか安心できた。  陽平は、暇が暇とは感じなくなっていたのだ。 「やっと聞き出せたわ。これで携帯のアドレスもだいぶ整理できるわね」  秋晴れのような笑みを浮かべる沙織にとって、秋は粛正の季節であるらしい。  秋は、誰にとっても豊作が良い。                  作 biotes