「あら――私どうしたの?」  夕日に照らされた丘の上で、数人の子供達がまるで世界でも救ったかのようにはしゃいでいるのを見て、彼女は自分が今まで何をしていたかに気が付いた。 「私は――」頭の中に、二つの名前が浮かんでくる。記憶を失っていた間に使っていたオロチという名前と、自分本来の凛という名前。自分は一体どっちなのかと思いかけてふとおかしくなった。 「――私は、私だ。」  一瞬前には見知らぬ他人のように見えた仲間達がまだ騒いでいる。彼達が世界を救ったのだから、その喜びは当然なのかも知れない。  そして、そのお陰で彼女は記憶を取り戻すことが出来たのだから・・・ 「お礼を、言わなくっちゃね。」  格式ある錦織家の者として、やるべきことはきちんとやりなさいと、大祖母様から叩き込まれている。  大祖母様の顔を思い浮かべた時に一瞬感じた奇妙な感覚を無視して、彼女は仲間達の所へと向かった。 「んー、やっぱり明日から違う服着られるのっていいわね〜。明日の学校を楽しみにしててよね、コウ。」  大まかに言えば情報そのものの具現化たるガチャボーグは、衣服といえども存在の構成要素であり、着替えるという概念を持たない。  高速で行われる戦闘時には僅かな逡巡でさえも勝負の行方を左右する為、GFコマンダーたる彼らは認識のずれを防ぐため、同じ(ように見える)服を着る必要があった。  名前を付けるという行為でさえ彼らの根源的な存在そのものに干渉してしまうというガチャボーグとの共闘は、GFコマンダーにささやかながらも犠牲を強いてきたのである。  特に、お洒落に気を使う恋する女の子にとっては。  だからこそのうさぎの発言だったわけだが、男の子であるコウはその感覚が理解できなかった。 「え、そんなのめんどくさいだけじゃん。」  うさぎが思わずしまったという顔になる。好きになった男の子はやっぱり男の子で、その歳の男の子と同じくらい「女の子」を苦手にしているから、できるだけ女の子ではなく仲間として接して来たのに、そのささやかな策略を台無しにしてしまったかもしれない、という後悔の顔だ。  そしてその後悔の為に、うさぎはオロチが向かって来るのにぎりぎりまで気がつかなかった。 「コウ、ありがとう。お陰で記憶を取り戻すことができた。」  ぎゅっとコウの手を握って、感謝の念を力いっぱい表現する。以前の彼女なら抱きついて、さっきまでのうさぎがそうしていたみたいに一緒に踊っていただろう。でも、コウにはもううさぎがいるし、どうやら彼女にはもう、そうやって浮かれ回る資格は無さそうだった。  それじゃ、頑張ってね。と応援の意味をこめてうさぎに手を振って、凛はまた少し離れた場所に腰を下ろす。  急に色々な記憶が蘇ってきたお陰で頭の中が混乱しているけれど、自分が何をやってしまったかははっきりと思い出してしまった。これからどうしようかと思いながら彼女は空を見上げる。  まだ彼女がオロチだった時には、彼女の代わりに戦ってくれる黒い騎士と、彼女を姫君の様に扱ってくれる赤と青の騎士が居た。言葉は通じないし、そもそも種族そのものから違う彼らだったけれど、それでも確かに彼らは仲間だったし、それを自分の記憶の為に裏切ったのは他ならぬ彼女自身だ。 「本当に、ひとりぼっち。」 「ユージ、世話になったな。」  父親の葬儀もそこそこに、仇を討つと家を飛び出したショウが寝泊りしていたのはユージの家である。  一ヶ月以上泊まるなら要相談。それ以下ならいつだって大丈夫と公言するユージの親は、流石にあのユージの親、とコウ達に言わしめたのだが。 「帰るの?明日にすれば良いのに。」  迷惑とかそんなこと考えちゃ駄目だよ、と言うのがいかにもユージらしい。  だが、ショウは迷惑を考えたわけではないと断った。 「母さんが待ってる。それに、アイツを送ってやらなきゃいけない。」  ショウの視線の先には、未だぼんやりとしている凛――オロチの姿があった。 「そっか、みんな心配してるだろうしね。」  ユージは訳知り顔でうなずく。 「それじゃ今日から二人ともご飯いらないって、伝えておくよ。」 「済まない、今度菓子折持参で改めて挨拶に伺わせてもらう。」 「お心遣い痛み入りますー」  走り去るユージの姿を確認して、誰からも立ち聞きされる心配が無いと確信してから、ショウはゆっくりとオロチの方に歩き出した。  人の気配に目を上げると、ここしばらくの同居人の一人、ショウが立っていた。 「お前、これからどうする?」 「・・・帰る。」  我ながらふて腐れた声だと思ったけれど、オロチだった頃に無自覚にやらかした数々の振る舞いを思い出すと、ショウの顔がまともに見られなかった。 「オロチだった時の事は気にするな。人間を理解していない馬鹿に無計画な記憶の封印をされて、あれだけ日常生活が出来れば大したものだ。」 「そう言ってくれると、ありがたい。」  口調がオロチに戻っているな、と凛は心の中で苦笑いをした。  帰る家がどこか思い出せなかった時、学校が同じ訳でもない女の子を一人、連絡先も知らないままに泊めてくれるような家はユージの所くらいしかなかったし、そのユージの家にしたところで、ショウという居候がいて、その関係者だという説明があったからこそ、泊めてもらうことが出来たのだ。  それなのに、そのときの彼女はそんな事情を理解するための社会常識さえ完全ではなかったから、思い出すだけでその場から逃げ出したくなるほど恥ずかしい振る舞いをしていた。  そしてその事を理解してもまだその口調で話してしまうほどに、オロチの生活は彼女にすっかり染み付いてしまっている。なんといっても、彼女は確かにオロチでもあるからだ。だから・・・ 「最後まで迷惑を掛け通して済まないが、家に帰らなければならない。ユージのご両親にはお前から宜しく言っておいてくれ。」 「帰れるのか?」 「電車賃なら大丈夫だ、歩いて帰れる。」  なんとしても誤魔化さなければならないという彼女の決意を見透かしたかのように、ショウは険しい目で彼女を睨み付けた。 「オヤジは洗脳されて、家族を殺してくるように指令を受けたらしい。なんとか俺達の前で正気に戻り、それ以上操られないように自殺した。」 「私は・・・」 「ほんの少し前に隣町で、法事で集まっていた旧家、錦織家の一族がまとめて殺害されるという事件が起きている。警察では、事件の少し前から失踪していた一族の一人、錦織凛という子供が事件に関係しているとみて調査している、らしい。」 「・・・」 「ガチャボーグの本質は情報生命体だ。だから"洗脳"は存在そのものの変質になる、恐らくそれが"デスボーグ化"だ。逆に言えば"デスボーグ化"を人間に対して行うと"洗脳"になるだろう。」 「・・・」 「だから洗脳された人間もデスボーグと同じように、自分の仲間だったものを攻撃するようになった筈だ。俺のオヤジのようにな。もう一度聞く。帰れるのか?」  こいつはなんて残酷なんだろう、と凛は思った。帰れる筈も無いのに。だから一人でこれからどうしようかと考えていたのに、それなのに。  泣き出した凛にうろたえたショウは、救いを求めるようにあたりを一通り見回して、それからおずおずと凛の頭を抱え込んだ。 「済まん、本当に帰る場所が無いのか確かめたかった。」 「無かったら、関係ない、そんなの、どうだって」  泣いて暴れながらの言葉で、多少わかりにくかったけれど、それでも関係の無い人間が無神経に首を突っ込んできた怒りは十分にショウに伝わった。 「確かに今は関係ないが、良かったら、その・・・オレの家に、来ないか?」 「無理、無理よ、絶対。だって、私・・・」 「洗脳されている間にやったことは、洗脳したヤツの責任だ。オマエは悪くない。」 「でも、そんなの通用しない。きっと誰も分かってくれない。」 「オレがなんとかする。一生面倒見てやるから、だから、来い。」  顔を赤くして言い切ったショウの顔を見て、凛の表情が怒りから恥じらいに変わる。 「それって、その・・・」 「そ、そうだ。だから何度も言わせるな。」  差し出された手を取って、凛は立ち上がった。  手を取り合って歩いていく二人の背後の茂みから、ひょこりとユージが顔を出した。 「魔王に父親を殺された少年は、父の武具を受け継ぎ、騎士として王に仕え、そして見事父の仇を討ったのでした。今や騎士となった少年は、王の下を辞し、魔王に捕らえられていた姫君を連れて故郷へと帰ります。そうして二人は幸せに暮らすのでした。めでたしめでたし。」