『ガチャフォースBF』 作品内時刻 2005年 8月1日 (コウ=中学1年生) 1−1、  8月1日。  バスケットの練習試合を終えて家に戻ったリンは、自室に入るなりベッドに突っ伏した。学校では気 を張っているので疲れているという自覚なんてなかったが、家に戻って気が抜けたとたん、疲労感が一 気にリンを襲ってきたせいだ。  中学校に入ってからの部活は、ただの一部員でいられるだけキャプテンを勤めていた小学校のときよ りも楽ではあったが、それでも常に周囲の期待に囲まれているという状況は、まだ12歳のリンにとっ て過酷なものだった。  もともと並の強さしかなかった百十中学校バスケット部は、リンの加入で大きく力を伸ばした。リン は小学校で5年生のうちからキャプテンを務め、地区大会止まりだった部を県大会へと導いた程のプレ イヤーである。小学校を卒業するときには、家族も先生たちもバスケット部が強い私立中学へ進んだ方 が良いと口をそろえたものだが、彼女は公立の百十中学校に進学するという意思を決して曲げようとは しなかった。  ベッドに伏せたまま、リンは夢を見ていた。  ドロドロと溶け出すように、空の青色が黒く変色していく。変色はやがて地面にまで達し、自分を囲 む360度の空間すべてが、黒一色に塗りつぶされた。  何も見えない漆黒の中で、宙に浮きながらゆっくりと落ちていく感覚がしばらく続き、やがて足先が 硬いものに触れる。地面だ。正方形の地表に五重の円と直線が模様を描いているが、それは平坦な地表 の無機質さを和らげるどころか、むしろ強めているように感じられる。地表の周囲には黒い空虚が延々 と広がっていて、足を踏み外せばどこまで落ちていくのか分からない。 「またここか……」  リンはつぶやいた。最近になってよくこの場所の夢を見る。ここでコウたちに会ったのは一回だけ。 同じデスコマンダーとして戦っていたタマが、デスブレンのところから逃げ出したときだ。  多摩川タマ。自らの意思でデスブレンに付き、意思を持たない戦艦ボーグを受け取り、逃げ出してい った者。ああやって自分勝手に生きられればどれだけ楽だろうかと、リンは時々思う。  でも、記憶の一片を取り戻すきっかけをくれたは、タマの逃亡だった。タマを追ってさばな町のデス ゾーンへと足を踏み入れたときに、本当はコウたちと共にいられたはずの自分の姿を垣間見たのだ。 ――オロチは私の本当の名前じゃない。  記憶の一片を取り戻してから数日後、オロチであったリンは、コウたちと共に戦うことを決めた。全 ては、リンとしての記憶を取り戻すために。  過去の風景は意識が覚醒するにつれて消え去っていき、やがてリンは目を覚ました。窓の外に目をや ると太陽の光がさんさんと降り注いでいて、眠っていた時間が長くなかったことを教えてくれた。  リンはベッドから足だけを下ろして、練習用ユニフォームが入ったままのセカンドバッグに手をやる。 サイドポケットのジッパーを下げて、リンは2年前の自分とダークナイトの姿が写った一枚の写真を取 り出した。  リンはイナリ山に隕石が落ちる前から、ダークナイトと出会い、デスボーグを倒していた。リンが “オロチ”になった後も、ダークナイトはパートナーとして付き添い、最期はリンの知らないところで ガチャフォースと戦い、デスベースに散った。 ――リンを頼む。 それがコウとGレッドが聞いていた、最期の言葉だったらしい。リンは彼がいなくなった後も“オロチ” として戦い続け、ようやく彼の死を知覚し、彼のために涙を流せたのは、デスブレンを倒したコウの手 を握ったすぐあとの事だった。 (あれから、後悔ばっかりだな……)  写真を見つめ続けるリンの心は、罪悪感であふれていた。 1−2、  翌日の8月2日。  リンは特にあてがあるわけでもなく、昨年『さばな市』に名前を変えた街へと向かっていた。それは 気分が沈んでいるときには体を動かせば楽になるという、この2年間で得た教訓に基づいての行動であ る。いつもなら部活で気分を紛らわすところだが、今日の部活が休みである以上、できるのは出かける ことくらいしか無かった。  街路樹が点在する歩道を、ゆっくりと歩き続ける。ガードレールを隔てて走る車は排気を散らしなが ら次々にリンを追い抜いていき、夏の太陽に照らされたアスファルトからは、熱気が立ちのぼってくる。 リンは歩いているだけでも汗が出てくる環境にうんざりして、街路樹にもたれながら、日陰で一息つく ことにした。  左右に目をやってみると夏休みという時期のせいだろう、自分とあまり変わらないくらいの子供が、 たくさん街に出てきている。ある男の子は友だちと数人で歩き、ある女の子は男の子と自転車で併走し ながら、リンの眼前を横切っていく。  みんなそれぞれに誰かと言葉を交わしながら通り過ぎていくのに、自分はここに一人だ。自分には、 かつて一緒に戦った仲間がいる。小学校時代の友達もいる。部活の仲間もいる。なのに心のうちを全て 打ち明けてしまえる友達なんて、一人もいない。そのことが沈んだ気分をさらに押さえつけてきて、リ ンは木に寄りかかるようにしてしゃがみ、ひとつ溜息を付いた。また空気を吸い込むことさえ面倒に思 えてくるような、深く重い溜息だった。  しばらく経って、どうにか次の息を吸い込んだころ、不意に反対側の歩道から聞き覚えのある声が聞 こえてきた。声色からコウの声であることを察したリンは、反射的に声がした方向を振り返る。すると、 コウとうさぎが何事か話しながら、こちらの歩道へと続く横断歩道を渡っている様子が見てとれた。  リンはとっさに目の前にある細い路地へと走りこんだ。背の高さくらいある立て看板の後ろに回り、 表の通りから姿を隠して、コウたちが通り過ぎるのを待つ。看板から顔だけをのぞかせて表の様子を伺 いながら、心の中でうかつだったとつぶやく。どうしてコウも街に来ているかもしれないと考えられな かったのだろう。今は絶対に会いたくないのに。 「……何をしている?」  リンの背後から冷ややかな声がした。驚いて振り返ると、制服に四角い通学用カバンを持ったショウ が、こちらに鋭い視線を向けていた。いつも一緒にいるガルダが見えないのは、おそらくカバンの中に 入っているせいだろう。 「わ……私は別に……」  そんなリンの言葉など気にも留めない様子で、ショウは目をさらに細めて近づいてきた。 「看板に隠れてコソコソと。それで何もしていないとでも?」 「い、いや、だから!」  リンは必死に言い訳を考え始めた。ショウを早くどうにかしなければコウ達が来てしまう。詰め寄っ てくるショウから距離を置こうとして、看板から離れたときだった。 「おー、ショウ! リン! こんなとこで何やってんだ?」  いちばん声を聞きたい人物の、いちばん聞きたくない声がした。リンは振り向くことができず、その まま下を向いて固まってしまう。 「……たまたま会っただけだ」  リンに数秒の視線を送った後、ショウが答えた。 「ちょーどいいや、今からウチに来いよ。面白いことがあるぜ」  その言葉にはリンだけでなく、コウの後ろに控えていたうさぎまで驚いた。うさぎが驚いたのは、コ ウと2人きりになれなくなるという理由からだろう。ショウはそれに気づいたが、構わずに平然と返す。 「いいだろう、ちょうど暇だったところだ……錦織も暇だと言っていた」  突然自分の名前を出されて、リンはショウの顔を見上げた。 (隠れていたことは黙っておいてやる)  ショウは小声で言いながら、さっさとコウたちの方へ歩いていく。そう言われてしまえば、リンはシ ョウの後に付いていくことしかできなかった。 1−3、  コウの家には、過去に2回だけ来たことがある。だけどどちらもオロチとしての来訪であり、リンと して家に来るのは、今回が初めてのことだ。  玄関をくぐると、2階に上ってすぐ左のドアを開けた先にある、コウの部屋に案内された。部屋の様 子は、過去の記憶とほとんど変わっていない。物が雑多に置かれた机、何冊も積まれた同じ雑誌。大雑 把な性格と収集癖をさらけだすその光景は、きちんと整理された自分の部屋が心の内を隠しているよう に見えるほどだ。  コウはテレビのスイッチを入れると、飲み物を取りにキッチンへ向かった。うさぎは「手伝うから」 と「来なくてもいい」と言うコウに対して頑固に言い張り、部屋にはショウとリンだけが残されること になった。  リンはショウからかなりの距離をとって、床に座った。それは、ショウに対する強い罪悪感がさせた ことだ。  父親がデスブレンの侵略によって犠牲になり、ショウはその仇を討つために戦ってきた。過去にデス フォースの一員であったリンも、その頃のショウと敵対したことがある。彼と戦ったのはタマがデスフ ォースに入ってすぐと、クリスタルをめぐる戦いでの2回だけだったが、純粋な敵意で戦うショウには、 ガチャフォースとは異なる強さを感じたことは、今でも鮮明に覚えている。  だけどデスブレンとの決戦前に、この家に集まって一緒にトレーニングをした時の彼からは、どこか 優しい感覚を受けたことも記憶にある。その前にあったというデスベースあとの決闘で彼の中に変化が あったのだろうか。  リンの視線の先で、片ひざを立てて床に座ったショウは、微動だにしないままテレビ画面を見つめて いた。 『お昼のニュースです。昨日未明、突如行方不明になったさばな市の……』  さばな市という聞き慣れた言葉に反応して、リンは視線をテレビに移す。 『小学五年生――――君の行方は、いまだに明らかになっていません。警察では付近の住民に聞き込み 捜査を行うと共に……』  流れ続けるアナウンサーの声をよそに、コウとうさぎが部屋に戻ってきた。 「なんだお前ら、ニュースなんて見てたのか?」 「コウが勝手に点けて行ったんでしょ。こんなに部屋散らかしてたら、リモコンだってどこにあるかわ からないじゃないの」  そう言い聞かせながら、うさぎはオレンジジュースのボトルと4つのグラスが乗ったおぼんをコウに 渡し、散らかった机の上を整理していく。  てきぱきとプリント類をまとめていくうさぎの後ろ姿を、リンはじっと見ていた。2年前までは男の 子に混じってサッカーをしていたようなうさぎだが、今は帽子を被ることはほとんど無くなり、長い髪 を見せるようになった。慣れた手つきでコウの世話を焼く後姿には、芽生え始めた女性らしさが感じら れる。  今だけに限ったことではない。学校の廊下で彼女とすれ違うとき、コウと一緒に歩いている彼女を見 ているとき、それは何度も感じていたことだ。しかしリンは、いつのまにかそれに悔しさを覚えるよう になっていた。 ――このまま私の気持ちだけが、2年前のあの日から動けないのだろうか。 「……コウ、面白いこととは何だ?」  ショウの言葉に、沈んでいたリンの意識は引き戻される。 「ああ、もうそろそろ来るはずだぜ」 「来る?」  尋ねたのはリンだ。いったい誰が来るのか。それを訊こうとしたとき、唐突に窓の方から声がした。 「久しぶりだな、みんな!」  部屋の中にいた4人が一斉に窓へと視線を送る。外に突き出した窓枠の上に、小さな人影が見えた。 「よう! Gレッド、久しぶり!」  コウは屈託の無い笑顔で窓を開き、小さな客人を迎え入れた。 1−4、  コウの台詞に反応して、床に置かれていたショウのかばんがバタバタと音を立てた。やがて止め具が 壊れそうなほどの勢いで、2枚の翼を広げた影が飛び出してくる。 「ガルダ! やめろ!」  飛び出したガルダはショウの叫びを無視してブレードを振り上げ、Gレッドに突進した。 「久しぶりだなァ! Gレッド!!」  振り下ろされたガルダブレードを、Gレッドは後ろに飛びのいて回避する。 「ガルダ! 言うことが聞けないなら、いつだってパートナーをやめてもいいんだぞ!」  ガチャボーグは一部の者を除いて、自ら戦闘を行おうとすることは無い。しかしボーグの核であるデ ータクリスタルにパートナーの情報を書き込めば、パートナーが持つ“勇気”を受け取ることができる ようになる。それはボーグの体内で戦うための力――GFエナジーへと変換され、大きな力を発揮する ための源になるのだ。  一度データクリスタルにパートナー情報を書き込んでしまえば、二度と書き直すことも消去すること もできなくなる。ガルダのように元から好戦的なボーグにとってもGFエナジーは大きなエネルギー源 になるため、パートナー関係を絶たれることは大きなマイナスになる。  ガチャボーグ最強を目指すガルダにとってさすがにそれは嫌だったのか「ちっ…分かったよ」と言っ て、静かにブレードを降ろした。 「すまないGレッド。怪我は無いか?」 「大丈夫だ。ちゃんとかわせている」  返す言葉がひとこと多かったせいか、ガルダは鋭い双眸をGレッドに向けた。 「……外に行くぞ。頭を冷やすんだ」  呆れた様子で部屋を出て行くショウの後に、ガルダは無言で続いた。 「なんか…嵐だったわね」  そう言ったのはリンだ。 「ショウのやつ、どうしてガルダがいることを言わなかったのよー!」 「まー、Gレッドが来るってことを秘密にしてたからな」  苛立つうさぎにも、コウは相変わらずの態度を変えようとはしない。 「ガルダの奴も好き勝手やってさ! Gレッドを壊すつもりだったわよ、さっきの!」 「いいじゃん別に。誰も怪我してないんだし」 「……それは、そうだけどさ」  語勢を失いながら、うさぎは床にぺたんと座る。 「だろ? 過ぎたことは気にすんなよ」  うさぎに向けられたはずのその言葉は、リンの心に突き刺さった。自分が昔のことで罪悪感を持って いる、とコウに打ち明ければ、きっと今の言葉をくれることだろう。それはコウの心に負担を与えるこ とではないし、リンの心も軽くしてくれる。  だけどリンが打ち明けようとしないのは、他に欲しい言葉があるからだ。もっと短い、欲しい言葉が。  コウはボトルに手を伸ばして、4つ並んだグラスそれぞれにオレンジジュースを注いだ。リンとうさ ぎの前にグラスを1つずつ置いてから3つめのグラスを自分の前に引き寄せると、ぐいっと一気に飲み 干して大きく息をつく。 「あー。やっぱり伯父さんが贈ってきたジュースはうまいや」  そう言って2杯目を注ぎ始める。注ぎ終わってボトルのキャップを閉めながら、コウはGレッドの方 に顔を向けて尋ねた。 「そういや、ガチャボックスはどうなってんだ?」  ガチャボックスは地球にやってきたガチャボーグたちの宇宙船である。デスブレン打倒のあと、ガチ ャボーグたちは破壊された故郷、惑星メガボーグの宙域に戻ってもう一度自分たちの星を作り上げるこ とを決意した。  しかし地球の重力を振り切るほどのパワーはガチャボックスには無く、ガチャボーグたちは改造の必 要を迫られたのだが、科学的に後進である地球には、適合するパーツなど存在しなかった。そこでやむ なく、爆発して地球上に降り注いだデスブレンの破片のうち、子供たちがデスブレン戦のときに足場と して張っていたシールドに回収されたものを、部品として使っているのだ。 「すでに最後のひとつに取り掛かっている。いよいよ我々も故郷に帰るときが来た…」  2年近くも滞在していた地球を離れることに、Gレッドは嬉しさと寂しさの両方を感じているようだ。 「でもデスブレンの破片を使って改造してるんでしょ? 大丈夫だったの?」  言葉を挟んだのはうさぎだ。 「最初に旅立ったボーグ達からメガボーグ宙域に到着したという通信が届いている。ガチャボックスに  は何のトラブルも起きなかったそうだ」 「……そっか。それなら大丈夫ね」  うさぎは安堵した。最初に飛び立ったガチャボックスには彼女のパートナー、ケイも乗っていたから だ。 「だけどガルダの奴はどうするんだろうな。ガチャボーグ最強を目指すとか言ってっけど、ここに残っ ても他のガチャボーグは帰っちまうし、帰ったら帰ったで、GFエナジーを受けられなくなるんだぜ?」 「どちらにしろ、出発前に決着をつけたがるだろう。私にとってはガチャボーグ最強なんて、どうでも いい事なんだが……。どうしたんだ? リン」 「えっ?」  Gレッドに名前を呼ばれて、下を向いていたリンは居眠りを指摘された生徒のように、素早く顔を上 げた。先ほどの「過ぎたことは気にすんなよ」というコウの言葉から、話を聞いていなかった。 「暑くてのぼせてたのか? わりぃな、この部屋にクーラー無くて」 「……」  何故か何も返さないリンに、コウが不思議そうな顔をする。 「どうしたんだ?」  コウの視線の先で、リンの表情は窓の外を見たまま凍りついていた。 「リン? おい、リン!?」  コウの呼びかけも届かないまま、リンは外を凝視していた。視線の先ではドロドロと溶け出すように 空の色が黒く変色を始めている。いつも見ている夢のように。 1−5、  同じだ。  これは夢と同じだ。  黒く塗りつぶされた、空虚な空間。空間の中空に浮かぶ地面には五重の円と直線が模様を描き、その 無機質な地表に向かって身体がゆっくりと降りていく。  夢の中と違うのは、コウとうさぎ、Gレッドがいることと、地表が正方形ではなくバスケットコート のような長方形をしていることだ。その例えで言えば、リンたちはちょうど片側のゴール下に集まって いることになる。 「なんだよココ……さっきまでオレの部屋だったのに」 「デスゾーンによく似ているが、少し様子が違うようだな」  コウとGレッドがそれぞれに呟いた。 「やあ、よく来たね。と言っても僕が引きずり込んだんだけど」  コウ達の正面、反対側のゴール下に当たる位置から、少年の声が聞こえてきた。少年の姿を見るなり、 リンが声を上げる。 「君、確かニュースで…」 「知ってるの?」  リンに尋ねたのはうさぎだ。リンは一つうなずいてから、奇妙そうな口調で回答する。 「昨日さばな市で行方不明になった子よ。でも、どうしてこんなところに……」 「この人間かい? ちょっと僕に付き合ってもらいたくてね。こうやって精神を操らせてもらってるのさ」 「精神を操っているだと? 許せん! どこにいる!」  Gレッドが叫ぶと、少年の陰から1体のガチャボーグが姿を見せた。 「黒い……Gレッド!?」  真っ先に反応したのはコウだ。 「これは失礼。僕はココさ」  電子音のような声だった。これがボーグ自身の声なのだろう。Gレッドと同じように、言葉を発する たびに目が発光している。 「ま、Gブラックとでも呼んでよ」  Gブラックは少年のそばを離れ、コートの中央に向かって歩き始めた。 「Gブラックだと……貴様の目的は何だ? どうしてこんなことをする!?」 「強くなるためさ。そのためにGレッド、君を倒しに来たんだ」  黒いガチャボーグは両腕を広げ、どこか自慢げな態度を見せる。 「この空間を作るのには苦労したよ。2日もかかっちゃった。でもまぁ、ここなら逃げ場が無いからね。 僕が解除するか倒れるまで、ここからは出られないよ」 「ならば貴様を倒すまでだ! コウ、私に勇気を!」 「おう! いくぜ、Gレッド!」 「ねえ、ちょっと!」  うさぎに服を引っ張られ、コウは気合を入れて前に踏み出しかけた足を引っ込める羽目になった。出 鼻を挫かれた思いで、うらめしそうな目でうさぎの方へと顔を向ける。 「ジャマすんなよ、うさぎ……」  しかし、振り向いたコウは目を見張った。リンが頭を抱えてうずくまったまま、傍目にも分かるくら い大きく震えている。 「Gブラックが出てきてからずっと変なの。コウ、どうしよう……」  コウは歯を食いしばり、気を引き締めると、Gブラックに向き直った。 「ちょっと待ってろよ、リン。すぐにあいつをぶっ飛ばしてココから出してやるからな。Gレッド、一 気に行くぜ」 「ああ。最初から全開で行く!」  Gレッドはプラズマブレードを抜き、右手にさげた。 「バーストを使うのか。それじゃ、こっちも使わせてもらおうかな」  Gブラックの後方にあった少年の身体がゆっくりと傾き、床に倒れる。 「何だ!?」  突然の奇怪な出来事に、コウが叫んだ。 「パートナーの勇気を受け取り、ガチャボーグの中でGFエナジーに変換する。それが君たちの強さだ。 けどね……」  Gブラックは胸の装甲を左右に開き、自身の奥にあるデータクリスタルを露出させた。 「バカな! データクリスタルが二つだと!?」  ボーグ情報の集積体であるデータクリスタルは、ボーグの身体の中にあるときにはひとつに融合して いるものだ。しかしGブラックの胸には、左右それぞれにデータクリスタルが埋まっていた。 「左胸にあるのが僕の情報が入ったデータクリスタル。そしてもう片方には、後ろにいる彼の精神が入 ってる。パートナーから勇気をもらうんじゃなくて、こちらから操って引き出してやるのさ。そうすれ ばパートナーの気分しだいの君たちとは違って、常に100%のGFエナジーを受け取れる」 「しかしそれでは、人間の精神は…」 「さぁ? 何分持つかなぁ?」  Gブラックの目が大きく発光する。表情の変化は無いが、それが笑いだということは疑いようが無か った。 「貴様と言う奴は……許さん!」 「オレもだ、Gレッド。オレたちの力を、見せてやろうぜ!」  Gレッドの全身が金色の光に包まれた。  前方に大きく跳躍しつつ、プラズマブレードを腕と平行に構える。跳躍が最高点に達したところで背 中のブースターを全開にし、剣を突き出しながらGブラックめがけて一直線に降下した。 「ちぇいさあああああ!!」  Gレッドの必殺技、真Gクラッシュだ。 「……バースト、オン」  静かな言葉と共に、Gブラックが銀色の光に包まれる。一歩も動くことはしないで右の拳からGクラッ シュのオーラを発生させ、プラズマブレードの切っ先に向かってまっすぐに拳を繰り出した。  バシイッ!!  Gクラッシュ同士が激しくぶつかり合う。  均衡は一瞬だった。真GクラッシュとGクラッシュ。デスブレンに打ち勝ったコウの勇気と無理にさ らわれてきた少年の勇気。力の差は明白で、Gレッドは徐々にGブラックの拳を押し戻していく。 「いいぞGレッド! あとひといきだ!」 「ああ! Gブラック、私達は屈しない!」  ぶつかっていたエネルギーが爆発を起こし、2体のガチャボーグを後方に吹き飛ばした。Gレッドは きれいに着地してGブラックに目をやる。Gブラックはバーストの光を失い、片ヒザをついていた。 「とどめだ、Gレッド!」 「ああ! 奴のデータクリスタルだけを破壊する! ちぇすとおおおおおお!!」  2度目の真GクラッシュはGブラックの左胸を正確に狙った。  だが――気づいたときには、Gレッドは空中に打ち上げられていた。回転しつつ落下し、地面に叩き つけられる。 「Gレッド!?」 「く……大丈夫だ、コウ」  バーストの光は消えてしまっているが、致命的な攻撃は受けていないようだ。 「それより奴は何をした? コウ、見ていなかったか?」  コウは首を横に振る。 「ん? 見えなかったの?」  Gブラックは先ほど膝をついていた場所で静かに立っていた。 「それじゃ、ゆっくり見せてあげるよ」  Gブラックの両腕が横に開かれる。一瞬遅れて、両手首よりも先だけにバーストの光が宿った。 「……バーストを絞れるのか?」 「そういうこと。エネルギーには限りがあるんだから、集中させて効率よく使わないとね」 「集中させる……それだけパワーが上がるということか」 「その通り。いやぁ、適当に選んだ子供でも上手に使えばこれくらいの力を出せるんだねぇ。  ――こりゃ、面白くなりそうだ」  Gレッドは立ち上がり、プラズマブレードを構え直した。 「まだだ。まだ私達の勇気は尽きていない! そうだろう、コウ!」 「おう! うさぎとリンが待ってんだ。オレ達は負けねえ!」  Gブラックの目がとりわけ大きく発光する。 「いいねえ。いい気迫だ。それじゃ、どっちかが倒れるまでやろうじゃないか! Gレッド!!」 「すまない、コウ。ガルダをなだめるのに時間がかかってしまって……」  ショウが部屋に入ろうとすると、いきなりうさぎが飛び出してきた。勢いよく開いたドアにあやうく ぶつかりそうになる。 「気をつけろ!」  思わず怒鳴ってしまうが、うさぎの目を見てショウの表情は強張った。 「ショウ……Gレッドが……リンが……」  涙目で訴えるうさぎの先、部屋の中に目をやると、立ち尽くすコウと倒れたリン、そして全身に傷を 受けて動かなくなったGレッドの姿があった。 2−1、  イナリ山の木々は、赤くなり始めた太陽と色を競うように強い緑を茂らせている。  もう少し低いところに目をやると、木々の間に造られた山道を2人の少年が歩いていた。ショウとコ ウだ。  先を行くショウはどこか憮然とした表情で、後に続くコウは左頬を押さえている。部屋に戻ってきた ショウに「しっかりしろ!」の一声と共に殴られたせいだ。ショウは床に倒れたコウが立ち上がるのを 待つことは一切しないで、傷ついたGレッドをイナリ山に運ぶようガルダに命令し、リンを休ませてか ら、コウを引きずるように連れ出した。  山道を10分ほど歩くと左側にひときわ大きな樹木が見え、その手前から林を突っ切るように進む。  表からは見えないところまで進むと、見覚えのある四角い箱が地面に落ちていた。改造されてどころ どころ出っ張っているものの、ガチャボックスに間違いない。  かたわらにあるガチャボーグの姿は、Gレッドとその修理をしているナースボーグだろう。2人は駆 け寄った。  地面に横たわっているGレッドの隣で、看護婦の格好をしたボーグ――ナースボーグのナオは治療を 続けている。 「ナオ、Gレッドは!?」 駆け寄るなりコウが口を開き、ナオは手を休めずに答えを返す。 「大丈夫。体の傷はひどいけど、データクリスタルは無傷よ」 「それじゃ、治るんだな!?」 「ええ。ナースボーグが私しかいないから時間はかかるけど、ちゃんと元通りになるわ」 「そっか…よかった」 コウが安堵の息を漏らしたところで、ショウは疑問を口にした。 「データクリスタルが無傷だと?」 「奇跡的にね。この傷を見ただけでも並みの攻撃じゃないって分かるわ。例えるなら…フォートレスボ  ーグの主砲ってところね」 「それを全身に受けてもデータクリスタルに傷一つないというのか?」 「その通りよ」 奇跡を通り越して不可解だった。ナオもそう思っているようだ。 「へっ、面白そうじゃねえか」 特にすることも無く、この辺りを飛び回っていたガルダがゆっくりと降りてきた。かつて自分のライバ ルだったダークナイトを倒したことで新たにライバルとして認めたGレッドを、こうまで圧倒できる者 がいることに、彼は興奮を覚えていた。 「話を聞かせろよ。俺の獲物を取りやがったのはどいつだ?」 「Gブラック…」 ナオがつぶやいた。 「精神操作に空間操作、さらにバーストを絞る能力か…」 「どうしたショウ? ビビってんのか?」 「ガルダは黙ってろ」 「だけど今までどこに? 2年前はそんなボーグいなかったでしょう?」 ここにいる全員に尋ねるように、ナオが言った。 「だが奴に狙われていることは確かだ。“強さを求める”と言っていることから考えれば、人間ではな  くガチャボーグを狙ってくるだろう。それも強いボーグをな」 「それじゃ、次に狙われんのはガルダ…?」 「そうだろうな。念のために他のガチャボーグもパートナーのところへ戻して、パートナー同士も複数  で行動させた方がいいだろう」 ショウはポケットから携帯を取り出して淡々とメールを打ち始めた。 「夏休みなのはちょうど良かった。泊まりがやりやすいからな」 2−2、 「よかった、気が付いたのね」 目を開けたリンにうさぎが声をかける。 「…ここは?」 「コウの家よ。いきなり倒れちゃうんだもん、びっくりしたよ」 リンはゆっくりと上体を起こした。頭の中では、まだ現実と夢の区別があいまいになっている。さっき のことは夢だったのだろうか。 「黒川さん…」 「なに?」 「コウたちはどこに行ったの?」 うさぎは答えることに一瞬のためらいを見せた。できるなら、自分も先ほどのことが現実だと信じたく なかったからだ。 「…イナリ山よ。Gレッドを治してもらいに」 「そう…あれは私だけの夢じゃなかったんだ」 リンは胸を押さえて表情をゆがめる。それは自分の悪夢にコウたちを引きずり込んでしまったように感 じたせいだったが、悪夢のことを知らないうさぎはリンの痛みも自分と同じものだと思っていた。 「…私のお父さんに車を出してもらうね。家に帰ろう、リン」 うさぎの言葉に、リンはただうなづいた。 2−3、  その夜、リンはベッドに入っても寝付こうとしなかった。  天井を見つめ続ける2つの目にはおぼろげな不安が混じり、視線が一点に集中することはない。それ でも全体の表情からは、何らかの決意を垣間見ることができる。 「こんばんは」 横になったリンの右肩の先にある、開けていた窓の外から声がした。リンは無言で体をゆっくりと起こ す。 「あれぇ? もう少し驚くと思ったんだけどなぁ」 「来るって思ってた」 リンは振り向き、窓の方を向いた。そこには手のひらに乗りそうなほど小さな体がある。 「私にあの夢を見せていたのはあなたなの?」 「そうだよ。君のためにね」 Gブラックは窓枠からジャンプし、リンの膝の上に降りてきた。向き直ってリンと目を合わせてから穏 やかに言葉をつむいでいく。 「君はオロチだったときに取り返しのつかないことをした。その辛さをどうにか忘れられないかって思  ってる」 その通りだった。誰にも言うことができなかった心のうちを見透かされ、リンは気持ち悪さを覚えた。 「でも君が僕に協力すれば、辛さは消えるよ」 「パートナーになれって言うの? あなたはみんなを傷つけるのに?」 「昔の君とおなじだね」 リンの心に痛みが走った。心のいちばん奥にしまっておいた闇をえぐり出されるような感覚だった。胸 を押さえるリンの前で、Gブラックはまるで全てを知っているように続ける。 「君が辛いのはリンに戻ってしまったからだ」 「私はリンよ…オロチは本当の私じゃない」 「どちらが本当の自分かなんて関係ないと思わない? 君がリンであろうとするなら辛い記憶を背負わ  なくちゃならない。でも心からオロチに戻ってしまえば、もう辛いことなんて無くなるんだ」 耐え難い痛みを引き出された今のリンにとって、楽になれるということは何よりも魅力的なことだ。だ がコウによって取り戻された自分の意識を捨てることは、彼に対しての裏切りに他ならない。 「嫌よ。私は戻りたくなんかない」 「でも君を救えるのは、僕だけだよ?」 はっきりと拒絶を示されても、Gブラックは穏やかな声を変えなかった。 「勝手に決めないで。何様のつもりなの?」 Gブラックは目を大きく発光させ、得意げに答えて見せる。 「僕は子供さ――Gレッド、デスブレン、そしてダークナイトのね」 そう言ったGブラックの姿に、過去に出会ったガチャボーグたちの印象が重なっていく。強いボーグも、 恐ろしいボーグも、優しいボーグも。  様々なガチャボーグのイメージが1体の黒いボーグに内包されていた。 「嘘でしょ…?」 思わず口を突いて出てきた問いだったが、それが真実であることはリン自身の体感で解っていた。 3−1、  8月3日の夜、マナは自室にいた。机の前に置かれた椅子に座って、魚を模したヘアピンを指先でい じっている。表情は暗い。  もともと戦うことが好きではない彼女は2年前の戦いが終わったとき、普通の生活に戻れることをガ チャフォースの誰よりも喜んでいた。髪を切り、可愛らしくなったのはその現れである。  だが机の上でGレッドの治療を続けるナオの姿からは、戦いが再び訪れてしまった現実をいやおうな く感じてしまう。マナはヘアピンに触れていた手を下ろし、呟く。 「姉妹だからって、お姉ちゃんとしか組めないなんて…」 そう口にしたのは、辛さを少しでも軽減させようとしたせいだ。  ガチャボーグたちは昨日のうちにそれぞれのパートナーのところへ戻り、GFコマンダー達は2人以 上で行動している。今頃カケルはコタローと一緒に自宅にいるだろう。 「でもミナのこと、嫌いじゃないんでしょう?」 手を休めずにナオが言うと、マナは「そういうことを言ってるんじゃないの!」と椅子から勢いよく立 ち上がった。 「はいはい、分かってるわよ。カケル君もずいぶんカッコよくなったもんね」 背中を向けたままのナオの言葉に、マナは勢いを失った。  自分だけでなく、カケルが褒められることにも嬉しさを覚えるようになったことが彼への想いに気づ くことのきっかけであったからだ。ナオはそれを知っていたから、今の言葉を投げることでマナを嬉し くさせることができた。 「あ…ありがとう、ナオ」 照れくさそうにするマナに、ナオはいたずらっぽい表情で振り向いた。 「前みたいにサスケにイタズラされることも無くなったんじゃないかしら?」 「…もう! 知らないから!」 マナはどかっと椅子に座り、回転してナオに背を向ける。体の大きさを無視すれば、2人は仲のいい姉 妹のように見えた。  部屋の外で足音がする。それは瞬く間に近づき、やがて音を立てて部屋のドアが開かれた。 「マナ! 大変よ!」 入ってきたのは姉のミナだ。  身に訪れた戦いの予感に、マナは体を硬くした。 3−2、  百十中学校の旧校舎裏に、ネコベーはいた。胸ポケットの中には半壊したヴラドがいる。受験対策の 合宿を終えて家に戻る途中、いきなり現れたガチャボーグに襲われたのだ。 「おいおい…話が違うぜ、ショウ」 言いながら校舎の壁に背を預け、ズボンのポケットから携帯電話を取り出す。ボタン押すとすぐにコー ルが始まった。相手の番号は“緊急連絡先”に登録されているため、操作はワンボタンで済む。  1日を通して日陰である時間の方が長いこの場所は湿気が多くて、雑草がコケのように隙間なく生え ている。その不快さに耐えながら、ネコベーは一刻も早く相手が出てくれることを祈った。 「――どうしたの?」 「中学の旧校舎裏にいます。できるかぎり人数を集めてきてください。敵に追われてるんです」 「わかったわ。待ってて」 通話を切って携帯をポケットに戻すと安堵の息が漏れた。あとはどうにか時間を稼ぐだけだ。ネコベー は胸ポケットのヴラドに一度目をやってから、隠れることが出来そうな場所を探して走り出した。  不意に視界の左端に小さな光が映った。ネコベーの後ろから飛んできたそれは折れ曲がるように方向 を変えると、目の前に落ちてくる。 「追いつきやがったか!」 ネコベーが振り向くと、ガチャボーグとしては最大クラスのボーグ――フォートレスボーグのデスアー クがいた。  デスブレンが倒れた後、地上に残っていた全てのデスボーグは機能を停止した。タマとパートナーを 結んでいたデスアークとて、その例外ではない。デスアークのボディは父親のところに戻ったタマが持 っていったはずだが、目の前に浮かぶ紫の船体は紛れもなくデスアークのものだ。 (ちくしょう、どうすりゃいいんだ?) ミナがまっすぐこちらに来ていたとしても10分以上かかる。ボロボロのヴラドだけで稼げる時間では ない。 「鬼ごっこはおしまいかな?」 ネコベーは耳を疑った。デスボーグは自分の意思を持たず、言葉を話すこともできないはずだ。 「ごめんごめん、驚かせたね。この声はデスアークのものじゃない。こいつのデータクリスタルを通じ  て僕が声を送っているのさ」 「てめえ…Gブラックとかいう奴か」 「知ってるなら話が早いや。ヴラドを降ろしなよ」 「冗談じゃねえ! これ以上ヴラドに手出しさせねえぞ!」 「ハハッ…また逃げるつもりかい? 臆病な人間だ」 Gブラックは嘲笑するように続ける。 「本当に悲劇だよねぇ、高貴なバンパイアさん。そんな逃げ腰の人間がパートナーじゃなければ2年前  だってもっと脅威になれただろうに」 「フ…それは勘違いというものだ」 眠っているように静かだったヴラドが口を開いた。 「ネコベーは逃げたのではなく、私を守ろうとしたのだよ」 「ヴラド…」 「デスブレンとの戦いを経てネコベーは変わった。それを示す機会がなかっただけのこと。見せてくれ  よう、ネコベーと私の力を!」 ヴラドはポケットから飛び出し、両手にシャドーブリンガーを出現させた。 「ネコベー、バーストだ!」 「だけどおまえ、そんな体じゃ…」 シャドーブリンガーは出現させているだけでも使い手の生命力を奪っていく剣だ。傷ついた体で使おう とすれば、自らを窮地に追い込みかねない。  ためらうネコベーに、ヴラドは自身に満ちた声で返す。 「奴に接近するのは難しいが、バースト状態であれば不可能ではない。どのみち長く戦っていられない  以上、一撃で仕留める!」 「一撃だって!?」 信じられなかった。フォートレスボーグを一撃でしとめる攻撃など、並のガチャボーグにできるはずが ない。 「高貴なるバンパイアだけに内在する力…それを使わせてもらう」 「…わかった。お前を信じるぜ、ヴラド!」 金色の光に包まれたヴラドは高く飛び上がり、デスアークに向かって空を蹴った。 「そうこなくっちゃねえ!」 Gブラックの歓喜の声と同時に、デスアークの全砲門から光が放たれる。無数の光線を左右にかいくぐ りながら、ヴラドはデスアークの右舷に取り付いた。 「受けよ…甘美なる悲劇の舞、華麗なるブラッドダンスを!!」 回転しつつ、両手の剣で船体を削っていく。通常ならシャドーブリンガーを通してヴラド自身に流れて くる敵のエネルギーは剣の中にとどまり、剣は船体に触れるたびに切れ味を増していく。  やがて紙をナイフで切り裂くような威力にまで達し、ヴラドは回転しながらデスアークの左舷まで まっすぐに突破した。  着地して、体の前で剣を下向きにクロスさせる。 「今宵の悲劇を、貴方に捧ぐ…」 デスアークの前半分が爆発を起こし、船体が大きく傾く。それと同時にヴラドは前のめりに倒れた。両 手のシャドーブリンガーも消滅している。 「ヴラド!!」 ネコベーが駆け寄ってくる。しかしその足は、足元に落ちてきた光線によって止められた。 「まだ動けるのか!?」 前半分を失ってデータクリスタルを露出させながらも、デスアークは落ちていなかった。 「なるほどねぇ…データ通りだ。でもさぁ、そんな力じゃ足りないんだよ」 動きが鈍くなった砲身が、ヴラドの方へ旋回を始める。 「やめろぉーっ!!」 ネコベーが叫ぶ。 「バイバイ。君は失格だ」 無慈悲な言葉とともに光は放たれた。光は着弾した対象を一瞬で融解させ、赤い液体に変えていく。ビ ームが物質に当たったときの独特の音がネコベーの耳にも届き、ネコベーは全ての感覚を遮断してしま いたくなるほどの絶望に襲われた。 「ヴラド・・・・・・」 呟くと同時に足の力が抜けていく。体を支えるだけの力が失われ、地に倒れそうになったときにGブラ ックの声が聞こえた。 「はずれた?」 その声がネコベーを支えた。再び足に力を入れ、ヴラドのほうを見やる。Gブラックの言う通り、着弾 点は僅かにずれていた。液体に変えられたのはヴラドから10センチほど離れた地面であった。  ネコベーはヴラドからデスアークへと視線を移した。空中に浮かぶ光球から伸びた光が、デスアーク の砲身を拘束している。 「なんだ?」 Gブラックの声がした直後、デスアークのデータクリスタルに光の矢が打ち込まれる。それは2本、3 本と増えていき、7本目でついにデータクリスタルを破壊した。  デスアークは浮力を失って力なく地面に落ちる。 「任務完了」 抑揚の無い声がデスアークの後方から聞こえてきた。歩いてきたメットが、わざわざアンテナを立てて 無線機に見立てた携帯に言った声だった。 「遅いと思って探しに出ていなければ、手遅れだったな」 メットの口調は人事のように冷静だ。 「助かったぜ…ありがとな」 「それより負傷者を運ぶ方が先だ! さっさと行くぞ!」 間髪いれずに大声を上げるメットに対して、ネコベーは(相変わらず礼を言われることが苦手なんだな) と心で呟きながらヴラドを拾い上げた。 「たぶんミナさんと一緒にマナもこっちに向かってるはずだから、途中で…」 そう言いつつ門の方に歩き出そうとしたところで、校舎の陰からこちらを見ている人影が目に入った。 人影はネコベーと一瞬だけ目を合わせると、声をかける暇も無く去ってしまった。 「どうした?」 いぶかしむメットに、ネコベーは視線を戻さないまま口を開く。 「リンがいた……なんでここにいるんだ?」 3−3、  リンは部屋に戻ると、頭を抱えてうずくまった。 「懐かしいものが見れただろ?」 Gブラックは窓枠に立ち、リンを見ている。 「ちょっと前までは君もああやってみんなを傷つけてたんだよ?」 「私は…あんなこと…」 涙声のリンに笑いを含んだ声が浴びせられる。 「“したくなかった”とでも言いたいの? でもさぁ、君の意思なんてどうでもいいじゃない。やって  きたことは変わらないよ?」 リンの脳裏に映像が蘇る。数々のボーグを率いてデスブレンのために生きていたころの記憶。GFコマ ンダーとそのパートナーを傷つけ、ダークナイトの死に悲しみを覚えることもせず、ただ操り人形のよ うに生きていた日々。 「イヤ…! 思い出したくない…」 頭を振って意識の底に押しやっていた記憶を再び沈めようとするが、その力はGブラックの一言によっ て砕かれる。 「でも消えやしないよ。オロチの記憶も、罪の意識も」 「…」 「それじゃおやすみ、リン」 言葉を失ったリンを残して、Gブラックは窓枠から姿を消した。  意識の水面は、浮かび上がってきた記憶で埋め尽くされた。もう沈むことは無いだろう。リンは焦点 の定まらない視線を天井に投げて哀願した。 「助けて…コウ…」 2年前、デスブレンを倒してリンを救ったのはコウとGレッドだった。だけど彼らはもうGブラックに 敗れている。  リンにとっての救いは、どこにもなかった。 4−1、  8月4日の早朝、ユージの部屋。  畳張り4畳半の片隅に、たたまれた2つの布団がきれいに重ねてある。それに背を預けるようにして、 ショウは携帯電話でマナとやりとりをしていた。やりとりとはいっても、ショウは「ヴラドの容態は?」 の一言を口にしただけで、それについて聞き終わるとすぐに通話を切って携帯を折りたたんだ。  電話の向こうでマナが気を悪くしたかもしれないとは思ったが、電話という1対1の対話しか実現さ せない物で長々と話をすることは苦手だ。携帯をズボンのポケットに入れつつ、いつもの無愛想な声色 で畳の上に寝転がっているユージに報告する。 「Gレッドほどの傷はないが、自分のエネルギーもシャドーブリンガーに供給していたことで内部エネ  ルギーがほとんど無くなっていたらしい。ボディの処置のあと、データクリスタルに戻してエネルギ  ーの自己回復を待つそうだ」 ユージは転がったまま、言葉を挟んでこない。ショウがまだ何かを言うだろうと思っているようだ。 「それから…やはりデータクリスタルは無傷だ」 それを聞くと、堰を切ったようにユージが言葉をつむぎ始める。よどみなく流れていく言葉からは、彼 が何らかの回答を見つけたことを察することができた。 「Gブラックは強さを求めていると言っていたそうですね。だけどGレッド、ヴラド共にデータクリス  タルに傷一つない。Gレッドにはバーストがコントロール可能であることを伝えているようですし、  ヴラドが新たな力を見せるまでデータクリスタルを攻撃しなかったのは…」 「俺たちの力を引き出そうとしている?」 ユージは仰向けのまま頷いた。 「そう考えていいでしょう。その上で我々を倒すことがGブラックの望みだと思います」 「強さを求めているのはガルダと同じだが、やり方は逆だな」 暴力で叩きのめせば相手よりも強いことの証明になるというのがガルダの考え方だ。だから自分の手の 内を明かすこともしないし、まして相手の成長を待つようなことは無い。それに比べれば、Gブラック のやり方はずいぶん騎士道的に感じられる。 「次に狙ってくるのも成長性が高いタッグでしょう」 「そうだとすれば…コタローか」 ユージは両足を高く上げると、それを戻す反動を利用して立ち上がる。 「行きましょう、ショウ君」 「ああ!」 ショウはかつて自分を導いてくれた友人に、力強く答えた。 4−2、  同じころ、すでにカケルとコタローはデスゾーンの中にいた。パートナーも一緒である。 「やあ、よく来たね」 話に聞いていた黒いガチャボーグは、デスゾーンの中央で悠然と待ち構えていた。 「君がGブラックかい?」 カケルは左隣にいるコタローを不安にさせないよう、なるべく普段の調子で声をかけながらすばやく周 囲に目を走らせた。 「そうだよ。何も無いところだけど、楽しくやろう」 「わざわざ招待してくれてありがとう」 カケルは一度言葉を切り、再び変わらぬ声で話しかける。 「ところで君のパートナーは?」 ショウから聞いた話では、Gブラックはエナジー供給のために小学生をさらっているという。しかし今、 Gブラックの背後には誰もいない。 「今日はナシだよ。バーストを使わない戦闘のデータも欲しくってね」 「へぇ、そうなんだ」 カケルは声のトーンを一段下げてから言い放つ。 「僕たちならバーストが無くても倒せるってこと?」 空気が張り詰めた。サスケは刀、ビリーは銃にそれぞれ手を掛けていつでも抜けるように構える。丸腰 のGブラックは微動だにせず、目を発光させて言った。 「その通りだよ」 その言葉が終わると同時に、サスケがまっすぐに走り出す。 「リズム!」 ビリーは左のリボルバーを抜き、強力な弾丸を一発だけ放つ。それはサスケを追い抜き、Gブラックに 迫っていく。Gブラックは前進して射線から離れ、そのまま足を止めずにサスケの方へ向かった。 「おそいよっ!」 右の蹴りでサスケを左に大きく飛ばす。 「ブルース!」 Gブラックが姿勢を戻す前に、2発目の弾丸が放たれた。すぐに動かせない軸足を狙った一撃は、命中 することなくデスゾーンに落ちる。 「惜しかったね」 背中のブースターを吹かして空中に浮きながらGブラックが言った。  着地すると、隙を狙って左からサスケの刀が伸びてきた。Gブラックは前を向いたまま後方にステッ プして逃れると、右手でサスケの首を持ち上げる。サスケの体を盾にされる格好になり、ビリーは射撃 を一瞬ためらう。Gブラックはつかんだ手を離さないまま左手にオーラを宿らせ、サスケの腹部に叩き 込んだ。 「サスケっ!!」 カケルの叫びが響いた。 「チッ!」 ビリーが足を狙って弾丸を放つと、Gブラックはサスケを右に投げ捨てながら左に回避した。サスケは 力なく地面に落ち、動かなくなる。 「ハハ、もう動けないの?」 目を大きく発光させながら、視線をサスケからビリーに移す。 「じゃあ今度は君だね」 Gブラックはゆっくりとビリーの方へ歩き出した。ビリーはピストルに手を近づけたまま動かない。  距離が近づく。  不意にGブラックの足が止まったかと思うと、右腕にオーラをまとわせてスピードの乗った一撃を繰 り出してきた。 ガガガッ!!  硬いものを削るような音が立ち、Gブラックは後ろにのけぞった。後頭部から背中にかけてまっすぐに 切り傷を受けている。  ビリーは即座に2つの銃を構え、胸と顔面に一発ずつ撃ち込んだ。頭から飛ばされていくGブラック の陰にしゃがんでいるサスケの姿が見える。ビリーへの攻撃を開始した隙に上空から無音で降下しつつ 斬りつけたのだ。  サスケはシノビボムを取り出して、背中から地面に落ちた目標へと投擲した。続いて爆風の中に向か って無数の手裏剣と銃弾が飛んでいく。数回命中する音がしたあと、Gブラックは大きく上にジャンプ して攻撃から逃れた。 「読んでたぜ!」 既に上空に狙いをつけていたリズム&ブルースから強力な弾丸が同時発射される。到底、回避できるよ うなタイミングではない。しかし弾丸は、Gブラックの左手から走った光によって相殺された。 「ウソだろ!?」 Gブラックの左手にはビームガトリングが握られていた。 「……やられたふりをして奇襲か」 Gブラックが着地すると、顔の両側からマスクが展開して傷を隠した。続いて右肩にプラズマブレード を出現させ、抜き放ってから刀身にオーラをまとわせる。 「いいデータをありがとう。お礼にちょっとだけ本気を出してあげるね」 4−3、 「ようやくGレッドが治ったのに…」 カケルの家で、ナオはサスケとビリーに応急処置を施していた。周囲にいるのはカケルとコタロー、シ ョウとユージ、そしてマナ。  家を出たユージは、ショウにもう一度マナに電話を入れさせた。それはカケル達がGブラックによっ て傷つけられれば治療の必要があるという予測だけでなく、マナをカケルに会わせることで安心させる ため、そしてショウにさっきの態度を謝らせるためという、3つの目的があった。 「ナオ、どうなの?」 言葉を失っているカケルとコタローに代わって、心配そうにマナが尋ねた。 「大丈夫、治るわよ。受けた攻撃は強いものだけど、Gレッドのときに比べればずいぶん弱くなってるわ」 「…パートナーがいなかったんだ」 コタローが呟くような声で言った。  ショウはユージと顔をあわせ、部屋にあったテレビのスイッチを入れる。 『発見された――――君は、心身の衰弱が見られるものの、命に別状は無いと――』 「パートナーを手放したのか?」 スイッチに手を掛けたまま、ショウが言った。 「しかしバーストを使うにはコマンダーが必要です」 ユージの言葉に、ショウは何か引っかかるものがあったようだ。ほとんど間を入れずにユージに聞きか えす。 「Gブラックがコマンダーを洗脳してくる可能性は?」 ユージはショウがわざわざ“洗脳”という言葉を選んだことから、彼が何を考えているのかを見抜いて いた。それでも表情は平静を保ったままだ。 「考えられないことではありません。デスブレンは自身にエナジーを供給させるためにデスコマンダー  を使っていましたが、Gブラックは己の強さのために人間を必要としています。当然、より高いGF  エナジーを持つ人間をパートナーにしたがるでしょう」 「だがパートナーに出会ったばかりの頃ならともかく、2年前の戦いを乗り越えてきた俺たちだ。洗脳  することは難しいんじゃないか?」 「そうでしょうね。それができるのなら、Gブラックは最初から僕たちを狙ってきたハズですから。よ  ほど精神的に不安定にされなければ、洗脳されることはないでしょう」 「そうか……」 ショウはポケットに手を入れ、中にある携帯電話を握り締めた。 5−1、  8月5日。コウとGレッドはイナリ山にいた。  それぞれ草と切り株の上に立って何かの練習をしている。 「くっ…!」  Gレッドがうめくような声をあげると、全身にまとっている金色の光がプラズマブレードの先端に集 まり始める。しかし5秒と保つことはできずに、光は拡散して静かな山の空気に溶けていった。  それが完全に見えなくなったころ、2人は揃ってあおむけに倒れる。 「くそー…またダメか」 コウが空に向ってぼやいた。 「すまないコウ。バーストを1日に何度も使わせてしまって…」 Gレッドは申し訳なさそうにしたが、コウは相変わらずの声で「気にすんなって。しばらく休めば平気 なんだしさ」とパートナーを気遣った。 「コウ、大丈夫?」 頭の上の方から視界に割り込んできたのはうさぎだ。コウは頭をぶつけないように注意しながら上半身 を起こし、振り返る。 「なんとかな。リンはどうしてた?」 「部活に来てたよ。でも何だか…いつもよりもっと真剣だった」 「話さなかったのか?」 「なんだか辛そうに見えたから…私が話すのは良くないよ」 「何でだ?」 「どうしても」 もう慣れてはいるのだが、それでもコウの鈍さには辟易する。 「大体、ショウに頼まれたのはコウでしょ? バーストの練習も大切だけど、行ってあげたら?」 うさぎの語気は鋭くなっていた。 「昨日リンの家には行ったんだけどさ、インターホンで具合が悪いって言ってた」 「…そうなんだ」  うさぎがバスケット部の生徒に聞いた話では、リンは一日たりとも練習を休んでいないという。具合 が悪いと言ったのは、コウに会いたくなくて嘘をついたのだろう。  うさぎは湧き上がってきた感情に戸惑い、コウから目をそらした。仲間であるリンに何かあったので はないかという心配よりも、恋敵がコウを避けていることへの嬉しさが上回っていたのだ。  コウはうさぎの様子から心情を読み取ることは無く、言葉を続ける。 「でも約束はしてきたんだ。Gレッドが治ったから、今度こそGブラックを倒してやるって」 コウはGブラックが大切な仲間たちを傷つけるから戦っている。リンはその内の一人であって、リンの ためだけにGブラックを倒そうとしているわけではない。それでも、まるでリンの為だけに倒すのだと 聞こえてしまう。  無垢に生きることができたうさぎにとって、心の中に渦巻いた感情は汚くて嫌悪感を覚えるものだっ た。それは恋心がさせていることなのだろう。  コウへの綺麗な感情が、自分の中に眠る汚い感情を引き出していく。それは好きな人に綺麗な感情で 接したい、またそういった感情で接しなければ嫌われてしまうと信じている少女を、少年から遠ざける には十分な理由だった。 5−2、 「少しだけ思い出したからだ。オロチは私の本当の名前じゃない。デスブレンに奪われた私の名前と  記憶を取り戻したい…」 ――こうしてガチャフォースの一員となったとき、Gレッドは言ってきた。私たちは君の本当の名前 を知っている、と。 「私は自分の力で記憶を取りもどしたい。それまではオロチとして一緒に戦おう」 ――どうしてこんなことを言ってしまったのだろう。このときに全てを聞いておけば、もっと早くダー クナイトのために泣くことができたのに。  デスブレンを倒して空からGレッドたちが降りてくると、コウはリンから手を離してパートナーを迎 えに行った。その瞬間、リンの体の奥底から叫びが上がる。意識のコントロールが及ばない場所から湧 き上がる情動は、コウのことを好きだという自覚を逆らえないほど強い力で迫るものだった。続いて心 音が高鳴っていき、胸に苦しさを感じるようになる。だがリンにとって、それは開放感に似ていた。タ ガによって押さえつけられていた人間らしい感情が、一気に爆発したような感覚だった。リンは走って いくコウの背中を見つめながら、速くなっていく鼓動の心地よさに身をまかせることにした。  夜明け前の薄闇の中、ガチャボーグたちは次々に降りてきてパートナーのところへ戻っていく。だが 降りてくるガチャボーグたちに向かって、リンは自分がいつまでも走り出さないことに疑問を感じた。 大切なパートナーがいたはずなのに、足は動かない。  背中を冷たい汗が流れていく。リンは降りてくるガチャボーグたちに目をやって、必死に黒い騎士の 姿を探した。 ――だけどいない。どこにもいない。  リンはコウの背中を見ることも忘れ、必死に記憶の糸をたぐり始める。ダークナイトと出会ったとき のこと、デスコマンダーとして共に戦っていたころのこと、そして彼と最後に関わったときのこと。 “ダークナイトはデスベースの防衛に失敗した。代わりにデスウイングを与える” そうして出てきたのは、デスウイングを受け取るときのデスブレンの言葉だった。 「そんな…私…」 足の力が抜けて、膝が地面に触れる。 「ダークナイト…私、あなたのことを…」  涙があふれてくる。  ダークナイトの死を気にも留めず戦い続け、デスブレンからデスウイングを受け取っても何の疑問を 持つこともなかった。 「ごめんなさい…ごめんなさい…」  サハリ町を照らし始めた朝日の中で、リンは泣き続けた。  目が覚めると、2年後の自分の部屋だった。カーテン越しに朝日が漏れてくるにはまだ早く、常夜灯 の光が空間を優しく照らしている。  リンは起き上がることも寝返りを打つこともせずに、ただ天井の仄かな光にうつろな視線を投げてい た。  悪い夢を見るのは珍しいことではない。だが今の夢はデスゾーンではなかった。Gブラックの能力で はなく、自分の意思で見た夢だ。  思い出した悲しみと激しい後悔が心にあふれ、涙となって流れ出す。たとえコウがGブラックを倒し たとしても、決して消えないこの痛みを、この悲しみを背負ったまま生きていかなくてはならないのか。  だったら、私は――。 6−1、  8月6日の朝、ユージは携帯電話を片手に玄関へ向かった。ガラガラと戸を開けて外に出ると、とあ る人物の番号に発信する。電話先の相手はそれを待っていたようで、コールは2回で終わった。 「…朝早くからすみません」 『いいのよ。かわいい後輩の為だからね』 柔らかな声で答えたのはミナだった。  ユージはデスアーク戦のとき不自然にリンがいたこととGブラックがパートナーである少年を手放し たことから、Gブラックがリンを狙っている可能性は十分にあると踏んでいた。昨日のうちにミナにリ ンの様子を見てきて欲しいと依頼したのだが、部活から帰っているはずの時間にもかかわらず、リンと 会うことはできなかったという。ショウも独自に動いていたようだが、寝る前の段階でどこかそわそわ していたことからリンの様子は確認できていないのだろう。そうなると、リンの方が意図的に避けてい ると考えるのが自然だ。これに1日以上ずっとリンの携帯が繋がらないことを合わせれば、疑いは確信 に変わる。 「錦織さんの様子はどうでしたか?」 『会えなかったわ。朝から家にいないみたい。リンのお母さんは部活に行ったんじゃないかって言って  たけど、もしかしたら…』 「…状況は深刻ですね」 『これから私とマナはそっちに向かうわ』 「了解しました」  ユージは通話を切りながら「…Gブラックが待ってくれるといいんですけどね」と呟いた。  前回デスゾーンが構築されたのは早朝だった。前例から40時間ほどでデスゾーンを構築できること が分かっている。ならば、いつデスゾーンに引き込まれてもおかしくはない。  今回のターゲットはおそらくショウだ。2年前はリンとショウが不幸にも敵対してしまった。それが 再び訪れないことを願う。だがリンがこちらに残るのであれば、それはショウのためではなくコウへの 想いを裏切らないためだ。どちらの事態になってもショウは報われない。  ユージは再び音を立てて戸を開き、家の中に入った。自分の部屋まで戻ると、着替えを終えたショウ が広げたままの布団に足を伸ばして座っていた。隣りにはガルダとジャックが並んでいる。 「…錦織のことか?」 視線を落としたまま出されたショウの言葉に、ユージはさすがに鋭いなと感心した。 「大丈夫だ。錦織がGブラックのもとに行くはずがない」 「獅子戸君への裏切りになるから…ですか?」 こういった台詞は、いつもなら決して口にしなかっただろう。しかしショウが自らリンのことを話し、 さらに口元に笑みさえ浮かべていることがユージの口を動かした。ショウはフッと息を吐き出してから よどみなく言い切る。 「コウはオロチをダークナイトから託され、ガチャフォースに受け入れ、そして洗脳から解放した。そ  れからずっと錦織はコウを見続けている。裏切るはずがない」 ユージから見えているのはショウの横顔だ。力強い言葉にもかかわらず視線を合わせないのは、こちら の目を見ながら話せないからだろう。今の言葉はショウが望んで発したものではあっても、その内容ま で望んでいるわけではないのだ。  おもむろに、窓にうつる空の色が変わり始める。 「いよいよか…」 戦意をみなぎらせた表情でショウが立ち上がった。しかしそれは心の中にある別の感情を押し殺すため に、心を戦意で満たしているだけだ。2年前と同じように。 6−2、 「貴様がGブラックか」 威圧するようにショウが言った。Gブラックはデスゾーンの中央に悠然と構えている。 「そうだよ。とりあえず、初めましてと言っておこうかな」 「パートナーはどうした?」 Gブラックの背後、反対側のゴール下に当たる場所には暗闇がかかっていて、パートナーがいるかどう かの判別はつかない。 「そう怖い声を出さないでよ。今日は戦いに来たんじゃないんだ」 Gブラックは右半身を後ろに引きながら右腕を伸ばし、ショウたちの視線を暗闇の方へと誘導する。同 時に暗闇がゆっくりと左右に動きはじめて、デスゾーンの外に広がる空虚へと流れて消えていく。  それが半ば晴れたところで見えてきた人影に向かい、ユージが呟いた。 「錦織さん……」 薄く開けられた目は赤紫に染まり、髪は蛇を思わせるような緑色をしている。それは2年前、デスブレ ンのもとで戦っていたころと同じ姿だった。 「紹介するよ、僕のパートナーだ」 Gブラックの得意げな態度が、言葉を失っていたショウの目に怒りの火を灯らせる。 「お前…! リンに何をした!」 「心外だなぁ、救ってあげたんじゃないか」 「ふざけるな! ガルダ、行けえぇ!」 金色の光をまとったガルダが、低空を矢のような速度で飛んでいく。Gブラックの間合いに入る直前で ほぼ垂直に上昇し、降下しながらガルダブレードを全力で振り下ろす。 「2つに割れなァ! Gブラックさんよォ!!」 Gブラックは避けようともせず、拳を握った右腕を頭上に突き出した。  刹那の間があって、硬質な音がデスゾーンを駆け抜けていく。ガルダブレードがGブラックの拳とぶ つかり、わずかな傷を与えることもなく止められた音だ。 「力はあるけどさぁ、それに頼った力押しじゃあ実力以上の相手には勝てないよ?」 Gブラックは銀色の光をまとったままの右拳で、ガルダの腹部を殴った。まるでプラズマボムでも浴び せられたように、ガルダの体は吹き飛ばされる。 「ジャック!」 ユージが叫ぶとジャックは高く飛んでジェルフィールドを張り、ガルダをしっかりと捕まえた。そうし なければ空虚のかなたへと消えていた。 「ごめんごめん、ちょっとやりすぎちゃったね。でもさすがデスブレンが目を付けただけはある。洗脳  して使わなければ、こんなに高いエナジーが得られるんだね」 「貴様…!」 「そんな怖い顔しないでよ。リンを取られてそんなに悔しいかい? でもねぇ、僕の中のリンは君のこ  とを嫌いだって言ってるよ?」 ショウは歯を食いしばり、押し黙った。 「それなのにリンを助けようとするなんて僕にはよく分かんないけど、君たちがやる気を出してくれる  んならそれでいいや。じゃあ、2日後にイナリ山で決着をつけよう。招待するのはガルダとGレッド。  地球で一番強いガチャボーグだ」  デスゾーンの解除が始まり、景色がユージの部屋に戻っていく。消えていくGブラックとリンを目の 前にして、ショウは立ちすくんだまま動けなかった。やがて景色の全てが元に戻ったころ、体の奥から 絞り出すように声を出した。 「どうしてだ…? どうしてリンは奴と一緒にいる? リンはコウが…あいつのことが…!」 胸がつまり、それ以上は言うことができなかった。 6−3、  イナリ山のガチャボックス周辺に、これだけの人が集まるのはどれくらいぶりだろう。GFコマンダー 達がガチャボックスを囲んで円を作るように座っている。  その中の一人が携帯のディスプレイに表示された時刻を見て立ち上がった。 「時間です。始めましょう」 この場を取り仕切る役割の人物――ユージはコマンダーたちをざっと見渡した。一人足りない。 「マナさん、黒川さんから反応はありましたか?」 聞かれて、マナはもう一度だけうさぎの携帯にコールしてみる。 「……だめ、連絡つかないみたい」 「仕方ありませんね。黒川さんには追って伝えるとして、とりあえずこれからのことを話しましょう」 ユージからの目配せを受けて、ショウが立ち上がる。 「錦織の心を取り込んだGブラックの力は計り知れん。通常の戦い方では、バーストに大きな制限があ  る俺たちの方が不利だ。そこで…」 中央まで出てきたユージがガチャボックスをいじると、Gブラックの立体映像が中空に浮かび上がって 回転を始めた。背中の一点が赤くポイントされている。 「サスケとビリーが持ち帰ったデータから、Gブラックの装甲は背面が弱いことが判明した。俺たちは  この一点を狙って攻撃を仕掛ける」 メットは要領を得た様子でうなづいた。 「データクリスタルを一点突破で破壊するのか」 「そうだ。それでも並みの攻撃なら届かないだろうが…」 ショウが首をひねって視界の中央にコウを置くと、すぐに反応が返ってくる。 「Gクラッシュなら届くってワケだな」 「……ああ、お前なら奴を倒せる。奴は2日後にこの場所でガルダとGレッドの2体を同時に相手する  と予告した。おそらく、これが最後の戦いになる」 「おいおい、それじゃ何で俺たちまで呼んだんだよ?」 納得がいかない様子のネコベーには、向き直ったユージが返す。 「Gブラックは“地球でいちばん強いボーグを招待する”と言っていました。このことから、彼はガル  ダとGレッドを倒した後にガチャボックスを乗っ取って他のガチャボーグを倒しに行くと考えられま  す。獅子戸君とショウ君にはここから少し離れた場所で戦闘に入ってもらい、もしGブラックが勝つ  ようでしたら……」 再びメットが口を開いた。 「総力をもって迎撃、か」 「最悪の場合、ガチャボックスの破壊も考えてください」 「ちょっと待って」 立ち上がって流れを止めたのはカケルだ。 「そうしたらみんなが帰れなくなるだけじゃなくて、Gブラックはずっと地球にいることになるよ?」 「その通りです。我々が負ければ、Gブラックという災厄を地球か新たなメガボーグのどちらかが背負  うことになります」 マナは両足を引き寄せ体を硬くして、目を伏せる。 「負けられない戦い…またあの時と同じなのね……」 「大丈夫、心配すんなって! 俺たち2年前も勝っただろ?」 コウの声色は場に似つかわしくないほど明るい。 「みんなで力を合わせりゃ何とかなるって! そうだろ、ショウ!」 その声に呼応するように、ショウの記憶がフラッシュバックする。 (1人では無理かもしれん。だがみんなならできるはずだ!) それは2年前、デスブレンと戦う前の台詞だ。当の本人であるショウが置き忘れていた記憶を、コウは しっかりと覚えていた。 「…そうだな」 ショウは力無く返した。  無意識に、自然に他人を気遣える能力。コウにあって自分に無いもの。自分は2年前、リンに対する チャンスを逃してばかりだった。だけどGブラックを倒してリンを救うことができれば自分の方を向い てくれるかもしれない。これは運良くめぐってきたチャンスなんだと、心のどこかで考えていた。そん な自分にコウの無意識の力は働きかけた。まるで自分の汚さを見せ付けられるように。 ――チャンスだなんて考えているから、こうなるんだな。 ショウは自棄になりつつあった。 6−4、  その夜、いつものように2人はユージの部屋で布団に入っていた。ユージはショウに背中を向けるよ うにして静まり、ショウは力なく開いた目で天井を見つめ続けている。 「…どうするつもりですか?」 にわかに発せられたユージの声にも、ショウは微動だにしない。 「奴を倒せるのはコウとGレッドだ。サポートに徹するさ」 たった一言かわしただけで、部屋にまた静けさが戻ってくる。ショウはこのまま朝を迎えるのだろうと 思っていたが、ユージは背中ごしに話しを再開した。 「……そうやってまた逃げるんですね、君は」 「何だと?」 ショウはユージのほうに顔を向ける。 「君がお父さんの仇を討とうとしていたときもそうでした。あなたはただ辛さから逃げ出したくて、戦  いの中に身を投じた。憎しみで心をいっぱいにしておけば悲しさを感じなくて済む。だから憎しみを  より大きくするために、全てのガチャボーグを敵に回した」 「そんな昔の話…」 ショウが言いかけたところで、ユージはショウと正対するように身を返した。その目は強く厳しい。 「今回もあなたは逃げているだけです。自分勝手なことをやって、それで錦織さんを助けたつもりでいる」 強い視線から逃れるように、ショウは再び天井を仰いだ。それでもユージの視線が突き刺さってくるよ うな感覚がある。 「錦織さんが想っているのは獅子戸君です。だからあなたの想いは彼女に届かない。それを知っていた  から、あなたは錦織さんを影で支えると決めた」 「…錦織の隣にいてやれるのは、俺じゃないからな」 「でもそれは悔しいことだったんでしょう? だから獅子戸君に嫉妬している」 ショウは黙った。 「あなたはたくさんのことを悔やんできたはずです。ダークナイトから錦織さんを託され、逃げ出した  オロチを助けたのがどうして自分ではなかったのか。Gブラックを倒せるのがどうして自分ではない  のか。どうして獅子戸君は錦織さんの想いに気づかないのか……そうやって悔やんでいるのに、あな  たは影で勝手に動いているだけ。錦織さんに触れることで、自分の想いが報われないことを思い知ら  されるのが嫌だったんでしょう? だから逃げだして自己満足の世界に入った。違いますか?」 ショウは言葉を返すことも、動くこともしない。ユージは数秒だけその様子を見てから、再び背中を向 けて言い捨てる。 「だったらずっと後悔を抱えたまま自己満足だけしておいて下さい。あなたが本当にそれを望んでいる  のなら、僕はもう何も言いません」 それきり、ユージは一言も話さずに眠ってしまった。  ショウは天井を見つめたまま、一人取り残された気分になっていた。 (2年前もこうだったな…) それはコウとの決着をつけるため、デスベースにいたときのことだ。気が焦っているのか、申し合わせ た時刻よりもずいぶん早く着いてしまい、やることもなく横に倒したガチャボックスの上に座っていた。 そのまま数分が過ぎたころ、ふと思い出したようにポケットに入れておいたデータクリスタルを取り出 す。ユージから渡されていた物だ。 「これは…Gレッドの音声データ?」 ユージが既にガチャフォースと接触していることは知っていた。その繋がりからもたらされた物だろう。 なぜこのようなものを渡したのか、ショウは不思議に思いながらガチャボックスを開き、データを再生 する。入っていたのはGレッドとダークナイトの会話だった。 GR「ダークナイト、どうしてわざと負けたのです?」 DK「私は…あの子のそばを離れられなかった」 GR「あの子?」 DK「オロチだ。私とはデスブレンに洗脳される以前からのパートナーだった」 GR「洗脳…それで人間がデスブレンの味方になっていたのか。貴方ほどの騎士がデスフォースに付い    たことも疑問でした。やはりあなたは“オロチのパートナー”では無かったのですね…」 DK「あの子がデスブレンの支配下にいる以上、私がデスブレンに刃向かうことはできない。せいぜい    こうやって負けることくらいしかできないのだ」 GR「ダークナイト…」 DK「Gレッドよ、私の中にあるデータをガチャボックスに送信する。後のことを貴様に任せるのは私    のわがままだ…せめて力だけでも託したい」 GR「力…?」 DK「私の中には貴様のデータクリスタルが入っている。デススカイベースに持ち出されたのは、私の    データの一部を元に、デスボーグの生産技術で作り上げたコピーだ」 GR「しかし、自分以外のデータを体の中に入れれば…!」 DK「ああ、私はじきに消滅する。だがデスブレンを欺くにはこれくらい必要でね。フッ、いい気味だ」 GR「ダークナイト…あなたはそこまで…」 DK「さあ受け取ってくれ。そしてどうかオロチを――リンを、頼む…」 GR「くっ…!」 コウ「ガチャボックスにデータが…」 GR「間違いない…これは奪われていた私のデータだ」  音声データはそこで終わり、ショウは愕然とした。すでに2度も戦っている敵のコマンダーが、ショ ウにとって憎しみの対象でしかなかった者が、実はデスブレンによって意思を奪われたいわば被害者で あった。父親の仇を討つために戦ってきたというのに、自分は同じ被害者であるオロチに向かって憎し みと暴力を吐き出していたのだ。  ショウの意識はユージの部屋の天井に戻る。  あのときはオロチのことを自分だけが知らなかった。憎しみで戦っているうちに周りが見えなくなって いることにすら気づかなくなり、一人取り残されたまま戦おうとしていたのだ。 (だからガチャフォースに入ることを決めた……) ショウがガチャフォースに入ってからわずか数日のうちに、コウに助けだされたオロチが加入した。シ ョウは父親のような犠牲者をもう出したくないという感情からオロチを守ろうと心に決め、同じガチャ フォースの一員として彼女と一緒に戦い続けた。そのうちに、彼女はコウを好きになっているのだとな んとなく気がつき、胸に小さな違和感を覚えた。  その違和感は、デスブレンとの戦いが終わってリンがコウの手を握ったときに後悔と嫉妬に変わった。 彼女を守ってやりたいという感情は、いつのまにか恋愛感情に変わっていたのだ。  ショウはユージに背中を向けるように寝返りをうった。 (俺はリンのことが好きだ――だから何があっても守ってやるって決めた) だけどしているのは後悔と嫉妬ばかり。 (ユージの言うとおりだな。俺は怖くて逃げていたんだ。俺が望んでいるのはそんなものじゃない。  どんな形であれ、俺なりの答えを出すんだ――!) 7、  8月7日、コウとGレッドはイナリ山にいた。  切り株の上に立っているGレッドが構えたプラズマブレード、その切先に集中した金色の光はなごり 惜しさを見せながら穏やかな風の中に消えていく。 「よし…なんとか5秒だ」 そう言ってコウは短い草の上に座り込んだ。乱れた息が疲れを現している。 「5秒か…」 同じように座り込みながらGレッドは思考に入った。バーストの集中が可能な時間、つまりGブラック と同等に戦えるのはたった5秒しかない。それも一度きりだ。攻撃できるのは一回か二回だろう。2対 1とはいえ、そのあいだに背後を取って真Gクラッシュを正確に当てるなど神業に近い。 (勝てるのか…?) 不安がよぎった。 「コウ…」 Gレッドの内心よりもさらに不安げな声がコウの後ろから聞こえてきた。コウは振り返って、声の主と 視線を交わす。 「うさぎ…」 目に映った人物の名を口にするつもりは無かったが、声は自然に漏れていた。立ち尽くすうさぎはいつ ものように長い髪を見せているが、小学生のころから変わらずに残っていたはずの勝気な瞳はどこかへ 消えてしまっている。 「ごめん…リンが連れて行かれたって聞いて、私どうしていいか分からなくなって…」 うさぎはリンがいなくなったことを心のどこかで喜んでいた。そんな心を持ったままでコウに会いたく はなかった。  コウは疲れた体を立ち上がらせ、笑顔を見せる。 「心配すんなって! 俺とGレッドが取り返してやるよ。次はショウとガルダもいるんだぜ?」 コウの屈託の無い笑みを目にしながら、うさぎは思った。それはショウの心のうちを知っていないから できることなのだと。  作戦のことはうさぎにも伝えられている。ショウの想いに気づいているうさぎにとって彼がどれほど 悔しい思いで戦いに望むのか、推察するのは容易だった。自分の恋敵であるリンに想いを寄せている少 年。だけど彼がリンへの想いを表立って見せたことは無い。2年もの間、彼は無言の愛情を持ちつづけ ている。  それはリンもうさぎ自身も同じ。自分の感情を言葉で伝えることをしなかった。想いだけでなく、苦 しささえも。  一緒に戦ってきたという仲間意識から言葉にしなくても伝わるということを信じすぎて、自分の感情 を伝えなくなったのかもしれない。  リンは優しいから、他人に自分の苦しみを分けたくなかったのだろう。だけど話して欲しかった。話 してしまえば衝突することだってあるだろうけど、それでいい。苦しさを分け合えることは信頼されて いる、必要とされているということ。それは仲間として、とても嬉しいことだ。  今までの自分たちは無言でありすぎた。何も知らないコウ、悩みをGブラックにつけこまれたであろ うリン、悔しさを抱えるショウ、戸惑うだけの自分。すべてその結果から生まれたものだ。  この戦いが終わったら変わらなくちゃいけない。もし変われるのなら、この戦いは無意味じゃない。 戦いでガチャボーグが新たな力を得たのは戦うためだったけれど、自分たちは心を成長させることがで きる。成長した心を持って、よりよく生きていける。  うさぎは考えを断ち切って、囁くように言った。 「ねえ、コウ…これが終わったら、みんなでもっと話をしよう」  自分だけでは抱えきれない苦しさが、きっとリンにもあった。帰ってきたらたくさん話をしてみよう と、今は素直に思える。 「ああ。みんなでな!」 屈託無く答えるコウにうさぎは微笑みを返した。朝の涼しく緩やかな風が長い髪を揺らせば、それは優 しいまなざしと共に柔らかな美しさを演出する。  その姿に、コウは目の前の人物がうさぎであることをしばらく忘れた。 8−1、  8月8日。コウとショウ、Gレッドとガルダは他のコマンダーたちと別れて山道を歩き出していた。 まだ気温が上がりきらない時刻であるにも関わらず、八方からセミの声が聞こえてくる。 「ショウ、ガルダのバーストは何秒持つ?」  歩きながらコウは尋ねた。ショウは視線を前に向けたまま、いつもの無愛想な口調を見せる。 「5秒だ」 「Gレッドもそんなとこだ。合わせても10秒か…」 うつむいたコウの隣で、ショウの足がにわかに止まる。一拍遅れてコウも足を止め、木々の間に広がる 青空を見上げた。変色が始まっている。 「いよいよかぁ…」 コウが以前デスゾーンに入ったときは、こうやって色を変えていく空は見ていなかった。まるで理科の 時間にビデオで見た、山肌を流れていく溶岩のようだ。 「あんまり、気分よくねえなぁ…」 生理的な拒否がかゆみを感じさせたのか、コウは指先で何度か頬をひっかいた。その背中にショウが一 言だけかける。 「コウ、チャンスは必ず作る。お前は機を逃さないことだけ考えていろ」 「ああ、頼んだぜ!」 変色はさらに進み、地面にまで達した。やがて二人の少年の体は無機質な地表に向ってゆっくりと降下 を始めた。 8−2、  無機質な地表とそれを囲んで延々と続いている黒い空虚。2人とも一度見たことのある景色だ。地表 の中央には丸腰の黒いガチャボーグが一体。その後ろには緑色の髪を持った少女がいる。 「リン…!」 ガチャボーグをはさんで少女と反対側に降り立ったコウは、かつてデスブレンの手中から解放した少女 の姿を目にして瞳に強い意志を宿らせた。 「やぁ、よく来たね」 笑っているように目を発光させるGブラックに対して、ショウは冷徹な声を浴びせる。 「いまさら問答する気は無い。錦織は返してもらうぞ」 「おやおや…血気盛んだね」 Gブラックは手のひらを天に向けながら両腕を広げる。 「ま、僕としてもさっさとやれるのは嬉しいからね……それじゃ行こうか、僕のリン」 その言葉を聴いた瞬間、ショウは体の奥底から湧き出る怒りを感じた。 「ガルダァ!!」 怒りを吐き出すような咆哮と共に、ガルダが空高くジャンプした。Gレッドは左手に出現させたビーム ガトリングを連射しつつ、Gブラックに接近していく。  Gブラックは両の拳にバーストとGクラッシュの光を宿らせて、ビームガトリングの光線を一発も逃 さずに殴って相殺した。  Gレッドは心の中で舌を打つ。回避してくれるようなら付け入る隙もあっただろうが、一歩も動かず に相殺されてしまえばうかつに攻め入ることができない。やむなく背中のプラズマブレードを右手に持 ち、遠めの間合いからブレードの先端を当てるようになぎ払った。Gブラックはジャンプして上空へと 逃がれるが、その背後にはガルダが待ち受けていた。  Gブラックの脳天をめがけてガルダブレードが振り下ろされる。たとえ受けられたとしても、Gブラ ックが反撃する暇は無い。最低でも片腕を封じることはできるだろう。ここからさらに2体で畳み掛け れば、チャンスを作れる可能性は十分にある。  しかしGブラックは空中で逆上がりするように上下反転すると、足の裏に集中させたバーストでブレ ードを受け止めながらブースターを逆噴射した。そうして斬撃と落下の両方を防ぐと、間髪入れずに右 拳をガルダの腹に叩き込む。打ち下ろされる角度で攻撃が入ったため、ガルダは後方の地面に叩きつけ られた。  攻撃の隙を狙って、Gレッドのビームガトリングが再び連射された。光弾は逆さになったGブラック の背中をめがけて一直線に飛んでいく。Gブラックは逆さのまま横回転してGレッドの方へ向き直り、 胸の中央からGバスターを発射した。ビームガトリングの光はGバスターの奔流に飲み込まれ、全ての 光弾がかき消される。それでもGバスターの勢いは衰えず、Gレッドの上半身を直撃した。 「ぐうっ!」 くぐもった声を出しながら、Gレッドは背中から地面に倒れた。 「なんという強さだ…」 起き上がりながらGレッドが口にした。着地したGブラックは視線を合わせ、答える。 「あたりまえでしょ? 僕は力が欲しいんだ。どのガチャボーグよりも強く、大きな力がね」 Gブラックの遠い背後で、ガルダもゆっくりと起き上がった。 「へっ…気が合うじゃねえか。――ぶっ壊してぇほどになァ!!」 倒れている間、密かにチャージしておいたファイアーボムが放たれた。それに呼応して、GレッドもG バスターを発射する。Gブラックは回避する暇を失い、とっさに全身にバーストをまとって防御に徹し た。  光線と爆風が重なり、衝撃がデスゾーンを駆けていく。膨大なエネルギーが黒いガチャボーグを中心 に炸裂した証拠だ。これで倒せるとは到底思えないが、手傷を負わせるには十分すぎる。  衝撃の余韻が下降線に入ったころ、爆発の中心にいたGブラックはまとっていた光を解除した。 「…不意打ちなんてひどいなぁ。前に一度やられてやきゃ、バーストが間に合わなかったよ」 敵の様子を見ながら、Gレッドはわずかに震える声を出した。 「効いていない…?」 見た目には全くといっていいほど損傷が無い。サスケの戦闘データにあった刀で負わせたダメージに比 べれば、天と地の差だ。 「損傷率2.1%…バーストを全身に広げても、あんまり効かないもんだね。やっぱりいいパートナーの  おかげかなぁ?」 Gブラックの目が小刻みに点滅する。これが人間なら、くすくすと楽しげに笑っているのだろう。 「それじゃ第2ラウンドといこうか。せっかくだから…」 Gブラックは右肩にプラズマブレード、左手にビームガトリングを出現させた。 「武器も試してみなくちゃね」  リンは白い空虚の中にいた。自分が宙に浮いているのか、地面に立っているのかさえ分からない。周 囲は全て白いもやで覆われて何も見えることは無く、外の音が聞こえてくることも無い。  何かを考えることはできたが、そんなことをしても無意味だ。ようやく悩むことから解放されたのだ から。 「リン…聞こえるかい?」 空虚に響いた優しい声にリンの意識は引き付けられた。どこかで聞いた覚えがある。 「誰かいるの…?」 リンは自分にまだ声を出す能力が残っていたことに驚きながら、返事を待った。辺りは変わることなく 白いもやで埋め尽くされていて、声の主を見ることはできない。それでも懐かしい誰かがいることだけ は感じ取れる。 「誰なの……? どこにいるの?」 リンはもう一度、宛て先のない問いかけをした。やがてぼんやりと、白いもやの一角に黒い霧が混じる。 大きさはリンの体とそう変わらない。 「また会えたね、リン」 優しい声は黒い霧から聞こえてくる。 「僕はダークナイトだ。正確には、その一部だけどね」 8−3、 「リン、Gブラックは君の優しさに付け入ったんだ」 「私はオロチに戻ったのよ? 優しくなんてない」 リンは黒い霧――ダークナイトの言葉を首を振って否定した。 「でも君はオロチになりきれていない。君の体の中には、まだリンの心が残っている」 え、という表情がダークナイトに向けられる。 「…そんなはずない。オロチの心はぜんぶ置いてきたはずよ」 「それじゃあ、外を見てごらん」 黒い霧だけを残して白いもやが急速に晴れていき、外の様子が見えるようになった。視界の正面にはパ ートナーに向って必死に何かを叫んでいる2人の少年が見える。 「コウ…ショウ…」 Gブラックに組すればコウ達を傷つけることは分かっていた。それでも何も見ることができず、何を聞 くこともできない空間に閉じこもることで、現実に起こっていることから意識を遠ざけた。解放された ばかりの心に苦しさと辛さが戻ってしまうことを恐れたせいだ。 「彼らが戦っているのは君のためだ。彼らは君がオロチだったころは敵だったよね。それでも君を助け  に来てくれた」 「う…うぅ…」 リンは胸を押さえた。目の前の少年たちは、苦しさから逃げるために仲間を裏切っただけでなく、その せいでどれだけ仲間が傷つけられようとも知らないふりを決め込んでいた自分を、助けようとしている。 「見てごらんよ、オロチになったはずの君も悲しんでいる…」 リンは振り向いた。緑の髪と赤い目をしたかつての自分――オロチの目には涙がたまっている。リンの 心を全て捨ててきたはずの体なのに、悲しみの涙を流している。 「君はやさしいんだ。やさしさは他の人と一緒にいるときにしか意味を持たない。君がそれを捨てきれ  なかったのは、彼らと一緒にいたいって、心の底で望んでいたからではないのかい?」 リンは黒い霧に向き直った。誰にも言うことができなかった心のうちを、優しく撫でられたような感じ がする。自然と目は伏せられ、あふれてくる涙が頬を伝った。 「私は辛かった…そのことを誰にも言えなかった。でも本当は、ずっと話したかった…」 「話してしまえば、その人を苦しさに巻き込んでしまうと思ったんだね。でも気づいていたはずだ。君  を救うためなら、彼らは苦しさなんて感じない。どんなに傷つけられたって、彼らはここにやって来  たんだから」 リンはもう一度2人の少年を見た。心の奥に暖かさを感じて、表情に微笑みが生まれる。 「ありがとう…」 呟きながら顔を伏せると、心の暖かさがある感情をリンに訴えかけてきた。リンは指先で涙を払い、黒 い霧に凛とした表情を向ける。 「ダークナイト…私はあなたに守られてばっかりで、何もしてあげられなかった。だからこんなことを  言える資格なんてない…だけど今、もう一度だけ力を貸して欲しいの」 黒い霧は静かに佇んで、リンの言葉を受け止めている。リンはそれに向かい、胸で燃える感情をそのま ま言葉に変えた。 「わたし…みんなを助けたい!」 8−4、 「Gレッド!」 「ガルダ!」 2人の前にそれぞれのパートナーが落ちてきた。激しいダメージを受け、すでに立ちあがる力さえも失 っている。Gブラックはその様子を眺めつつ、ブレードとビームガトリングを消滅させながら楽しそう に言った。 「いやぁ、ここが逃げられない場所で良かったよ。この前はせっかくガチャボーグを追い詰めたのにパ  ートナーに捕まえられて逃げちゃうんだもん、ずいぶん手間取ったよ」 少年たちから睨みつけられたが、気にする様子もなく続ける。 「正直、君たちはもう少し強いと思ってたんだけどねぇ…。でもいいや、僕はリンの心と一緒にガチャ  ボックスで宇宙に出るよ。もっと強い奴を探さなきゃいけないからね」 Gブラックが胸の前で合わせた手のひらを少しずつ離していくと、胸の一点に銀色のバースト光が集ま った。それを中心にGブラックのエネルギーが収縮を始める。 「アルティメットビームだ。きれいに消えてよ?」 少年たちとそのパートナーは息を呑んだ。今の破損状況でビームを浴びれば、データクリスタルさえ残 らずに消え去ってしまうだろう。  コウはGレッドを拾い上げるために体を動かし始めた。これまで一緒に戦ってきたパートナーを消さ せるわけにはいかない。しかしバーストを集中させたGブラックのチャージスピードは恐ろしいほど速 く、一歩目を地に着けたときには発射体制に入っていた。  コウの目には横たわるGレッドが映っている。あとたった数歩進むだけで、手が届く。だが…Gブラ ックが膨大なエネルギーを放ったということを、視界いっぱいに広がった銀色の光から教えられてしま った。  銀色の光はGレッドだけでなく、ショウとガルダ、コウの全身を包み込ながら広がっていく。しかし それは一条の奔流ではなく、Gブラックの体全体から銀色の光が拡散して、エネルギーを強制的に外に 放出したものだった。 「なんだ…? なんでバーストが消える!?」 Gブラックはうわずった声をだした。バーストだけでなく、チャージされていたアルティメットビーム のエネルギーさえも残らず放出されている。 「何だよこれはッ!!」 激昂してオロチの方へと振り向くが、そこにあったのは紫色の髪と黒い目を持った少女の体だった。唇 がわずかに開き、声が漏れてくる。 「私は…こんな力なんかに…負けない…」 Gブラックは振り向いたまま固まった。どうしてリンに戻っているのか見当もつかない。しばしの無音 が空間を支配する。 「ハハハッ…何言ってるのさ!」 ようやく状況が把握できたのか、Gブラックはリンと目を合わせながら言葉をつむぐ。 「オロチの記憶を持って生きることがさぁ、辛かったんだろ? 苦しかったんだろ? だからもう一回  こいつらの敵になって、楽になりたかったんだろ!」 「私は…私の中にあるオロチの記憶が嫌だった…。こんなもの消えてしまえばいいって、何度も思った」 「だけど消えやしない! だったらオロチに戻って苦しさから逃げればいい!」 「記憶の中にあるのは苦しいことだけじゃない。みんなと出会ったことも、一緒に戦ったことも、大切  なパートナーがいたことも、それに…」 リンは顔を上げてコウに視線をやると、弱々しいながらも微笑んでみせた。 「好きな人ができたことも」 「リン…?」 コウはつぶやいていた。隣のショウは歯を食いしばり、胸の痛みに耐えている。 「忘れたいことだってある。だけど消したくない。私は……この記憶と一緒に生きたい!!」 「よく言った、リン」 言いながらGレッドが立ち上がった。 「Gレッド…動けるのか?」 「ああ。今のリンの勇気、パートナーデータの書き込みなどなくとも私の胸に届いた。  ――そうだろう、ガルダ?」 Gレッドの言葉を受けて、ガルダはめんどくさそうに立ち上がる。 「…けっ、ほんの少しだけな」 「ガルダ…行けるのか?」 「誰に聞いてやがる、ショウ!」 ガルダとGレッドはそれぞれブレードを抜き、体の正面に構える。2体のガチャボーグの気迫は少年た ちに伝わり、体に宿る勇気を引き出していく。 「最後の一撃…これで決着をつける!」 「おう! いくぜ、みんな!」 少年たちの叫びが2体のガチャボーグに力を与える。  ガチャボーグがパートナーの勇気を引き出し、パートナーの勇気はガチャボーグに力を与える。双方 向に働くエナジーの流れは信頼があってこそ成せる技だ。Gブラックは一方的にエナジーを引き出すこ とで得ている自分のエナジーとは全く異なる力を感じて、思わず一歩二歩と後ずさった。  3歩目を地に着けたとき、右手にビームガトリングを出現させて構えることで、精神を戦いの中に引 き戻した。誰よりも強くなるために、退くわけには行かない。 「ふざけるな! バーストが無くたって瀕死のお前たちなんかに……!」 叫ぶことで精神を奮い立たせる。しかし裏腹に、内部エネルギーが急速に低下していくのを感じた。 「くっ…体が…!?」 「Gブラックのエナジーは“私達”が押さえるわ! 今のうちに!」 「おまえぇぇ!!」 Gブラックはビームガトリングを抜き、リンに向かって構えた。 「リンは撃たせん! ガルダァァッ!!」 金色の光をまとったガルダは地を削るように低空を飛翔し、Gブラックの直前でいきなり垂直に上昇す ると、先端に光を集めたブレードを突き出して一直線に降下する。 「ちいっ!!」 Gブラックは両腕にGクラッシュのオーラを発生させ、頭の上で組むことでガルダブレードを受け止め た。ブレードはGブラックの両腕を貫通し、ようやく止まる。串刺しにされた黒い腕は、まともに動か すことさえできない。 「Gレッド! 今だ!!」 「ああ!!」 プラズマブレードの先端、その一点にバーストを集中させる。 「ちぇいさあぁああ!!」 がら空きになったGブラックの背中に真Gクラッシュが叩き込まれる。背中の装甲にぶつかってブレー ドは静止させられたが、それも1秒程度のことだった。プラズマブレードはGブラックのデータクリス タルを貫通し、金色に光る切先をGブラックの左胸の前に見せる。 「ウソだ…僕が…終わる?」 体を貫かれたままのGブラックが独白した。やがて閉ざされていた空間に亀裂が走り、ガラスが割れて 落ちていくように、景色は元の色を取り戻していく。それに連動して、Gブラックの体も消滅を始めた。  Gブラックの中にわずかに残していたリンの意識も、あるべき場所へと流れ始めた。白い空虚の景色 と懐かしい感覚から遠ざかっていくことを感じながら、リンは穏やかに目を閉じていく。 (また会えて嬉しかったよ…リン…) 黒く塞がれていく世界を目にしながら、リンはダークナイトの声を聞いた。 (僕のことを気にやむ必要はない…僕は君を好きになって、君のために生きることができた。  幸せを与えてくれた君に、僕は感謝しているよ…ありがとう…) 8−5、 「リン!」 景色がイナリ山の木々に戻るなり、コウは山道を駆け出した。途中でGレッドを拾い上げ、リンを抱き 起こす。 「大丈夫か?」 呼びかけると、リンは閉じていた目を薄く開けた。とりあえずの無事を確認して、コウはひとつ息をつ く。ショウにもリンの無事を伝えようと、顔を上げて首を動かそうとしたときだった。 「コウ…好きだよ…」 弱々しい言葉がリンの口から流れてきた。リンに視線を戻すと、リンは目を閉じながら「やっと、言え た…」と言ったきり、動かなくなる。 「眠ったようだな」 突然背中に振ってきたショウの声に振り返ると、ショウは胸にガルダを抱いてこちらを見ていた。近づ いてきたことに気づかなかったのは、彼がゆっくりと歩いてきたからだろう。 「コウ、リンに答えてやれ」 「え…?」 予想外の言葉を投げられて、コウは戸惑った。どういう意味なのかを問いただそうと思ったが、ショウ の目に真剣さと悲しさの両方を感じて、何を尋ねることもできなくなる。  ショウは目に浮かんだ感情の色を変えないまま、言葉をつなぐ。 「どう答えるかはお前が決めることだ。けどな、それはお前にしかできないんだ。  ――オレには、できないことなんだ」 「ショウ…」 「勝ったことをみんなに伝えてくる」 いつもの無愛想な声でそれだけ言うと、ショウは背を向けて歩いていった。  やがて足音が遠ざかり、木々の中に2人だけが残された空間で、コウは腕の中で目を閉じているリン の顔を見つめた。  おもむろにコウの口が開き、たった一言だけの言葉がリンに贈られる。  その言葉がずっと求めていたものかどうか、眠るリンに判断することはできなかった。 8−6、 ショウは道の途中でユージに声をかけられた。どうやらショウの事情を推察して、ガチャボックスのと ころにいる他のコマンダーたちから離れていたようだ。 「決着はついたようですね」 顔を見るなりそう言ってきたユージに対し、ショウは顔を背けながら「…ああ」と短く答えた。 「ガルダは僕がお預かりします。Gブラックが倒れたことも皆さんに伝えておきましょう」 「…すまない」 それだけ言って、ショウは再び山道を歩き出した。 ショウは歩き続けた。 涙はぬぐわない。ぬぐったところで止まりはしない。 もう少し自分が大人だったら、黙ってリンを守り続けていただろうか。 届かないと分かっていても想いを告げていただろうか。 だけど未熟すぎる今の自分には、この答えしか出せなかった。 こうすることが一番いいとしか思うことができなかった。 ――リンの心に自分がいないのなら、喜んで身を引こう。 ――それがリンのためなら。 ショウは歩き続けた。 胸の痛みがどれだけ熱を帯びようとも、歩き続けた。 9、  放課後、リンは校門へと走っていた。肌に触れる空気は冷たく硬質で、息を白く染める。あの夏から 2年と半分が経って、リンは3年生の3学期を迎えていた。 「ごめん、私たちのクラスだけ受験のことで遅くなって…」 校門で待っていた彼は笑みを返してリンを許すと、校外へ歩き始めた。リンも彼のとなりに並んで一緒 に通学路を歩いていく。  その途中で彼はリンを待たせ、一人で走っていった。去年も同じことがあったので、何をしに行った のかはリンも知っている。  リンは夏に比べてずいぶん色の薄くなった青空を見上げた。Gブラックとの戦いが終わったあと、新 しいメガボーグ星へと旅立ったガチャボーグたち。落ち着いたらまた地球に来ると約束した彼らが戻っ てくるまでには、あと何年かかるだろう。先に飛び立った仲間たちを追うために急ぎ足で出立して行っ たため、リンは見送りの時にひとこと礼をいうだけしかできずにいた。  あれから、仲間たちとはずいぶんいろんなことを話すようになった。それが原因でケンカになってし まうこともあったけれど、心に沈んでいた重荷は少しずつ軽くなっていったし、想いが停止してしまっ たり、すれ違ってしまうことも無くなっていった。いまこうやって彼と一緒にいられることも、感情を うまく言葉に乗せて話せるようになったおかげだ。  ガチャボーグたちが戻ってきたら、きっとうまく感謝の言葉を言えるだろう。ダークナイトの、最後 の言葉のように。  思いにふけるうちに、彼が息を切らせて戻ってきた。その手には青い花。 「15歳、おめでとう」 短い言葉を添えて花が差し出される。1月28日の誕生花、ブルーレースフラワーを使ったブーケ。  リンはそれを受け取ると、胸の前に抱いて花たちの模様を見つめた。続いて視線を彼の顔に移し、微 笑みながら言った。 「ありがとう」 心からの感謝の言葉に、彼は照れたようにふい、と背中を向けて歩き出す。リンもまた隣に並んで歩き なれた通学路を進んでいった。 ブルーレースフラワーの花言葉は“無言の愛”。 ずっと言葉にできなかった愛は青い花に姿を変えて、今の2人をかたく結んでいる。 『ガチャフォース  ブルーレース・フラワー』 終わり 『未来への布石』  2008年、4月。  己の軽率すぎる行動を、大学3年生の六節香子(ロクフシキョウコ)は後悔していた。  サハリ町の山のほうで謎の物体が打ち上げられたと聞きつけ、朝から夕方までイナリ山を探し回った が何も発見できず、ならばと政府管理施設である侵略者の地下基地をのぞきに来たところで見事に発見 されてしまったのである。 「目的は何なんだ?」 両腕を上げ、無抵抗の姿勢を取らせられたまま質問が浴びせられる。 「侵略者が撃退されたあとのゴタゴタに紛れて、何度かイナリ山で打ち上げが行われていたそうなんで  す。それが最近また行われたって聞いて・・・」 「フン、野次馬のつもりか」 正直に話したが、目の前にいる屈強な警備員の信頼は得られなかったらしい。 「怪しい者じゃないんです。ホントにただ興味があっただけで・・・」 「動くな!!」 突然出された大声に、キョウコは思わず両手を顔のまえで交差し、肩をすくめて防御体制をとった。 「動くなといっているだろう! そこで止まれ!」 「・・・え?」 一歩も動いていない自分に対し、今の警備員の発言はおかしい。キョウコは両手をもう一度広げて警備 員が向いている方向を確認した。自分の右後ろのほうを向いている。そこで右後ろに聴覚を集中してみ ると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。 「聞こえないのか! そこで止まれと言って・・・・・・」 警備員の声が不自然なところで途切れた。キョウコはなぜ警備員が発言をやめたのかが気になり、右後 ろを振り返る。視線の先には歩いてくる高校生くらいの男の子と、空中を漂いながら男の子の後を追っ てくるピンク色の人形がいた。 (あの人形・・・あのとき侵略者と戦っていた・・・!) 驚きの表情を見せたキョウコと、状況が飲み込めない警備員を前にして、男の子は礼儀正しく自己紹介 を始めだした。 「荒木優二と申します。こっちはパートナーのジャックです。侵略者と戦った組織の代表としてご挨拶  に参りました」 「まいりましたー」 男の子に続いて人形が気楽そうに言うと、警備員は無線機を取り出して連絡を始めた。返ってきた返事 は中に通すようにという命令だったのだろう、男の子と人形は笑顔を浮かべたまま機密施設の中へと入 っていった。  同じ日の夜、どうにか開放されて家に戻ったキョウコは寝付けずにいた。目の前を通り過ぎていった 少年と人形の顔が頭から離れないのだ。 「荒木優二・・・確かそう名乗ってた」 キョウコの表情には決意の色があった。すぐにサハリ町とさばな市の電話帳を探し出し、荒木姓の欄を 調べてみる。かなり多い。うかつに聞きまわるなどすれば、荒木優二がすでに名乗り出ているために、 彼を探している人物がいるという情報を察知されて捕まってしまうかもしれない。 「だけど、あきらめるもんか・・・!」 正攻法を取ることができなくても、手段はいくらでもあるはずだ。キョウコは強い好奇心を燃料にして、 思考を回転させていった。