47、  5月5日、午後5時。実験施設のキャットウォーク上に、ユージはいた。  いつものスーツに身を包み、背筋を伸ばして、腰の後ろで手を組んでいる。やや身を反らしているせいで、 見上げる形になっている視線の先では、実験施設の手前と奥の二辺を覆っている透明な防護壁が、1分間に 5センチほどのゆっくりとした速度で、内側に向かって移動を続けていた。  防護壁の移動は、午後3時から行われたナナとカズトの戦闘訓練が終わってからすぐに開始されており、 予定されている移動距離の6.5メートルのうち、4.5メートルほどの工程が、すでに終了している。残りの2 メートルを40分で消化したあとは、ユージから見て左手にある側の壁面から17メートル離れた位置に、新た に防護壁を築く作業が行われる。そうやって防護壁と右手側の壁に囲まれた地帯の面積を、バスケットコー ト1面分程にまで縮めるのが、今回の作業の目的だ。 「……どうやら、順調のようですね」  不意に背後から声をかけられ、ユージは驚き気味に振り仰いだ。いつのまに近づいていたのか、書類の束 を小脇に抱えたキョウコが、口元を微笑ませてこちらを見ている。  ユージは普段、誰かに背後を取らせることはしない。もし自分の身に何かがあったとき、自分の代わりに 指揮を執れる人間がいないことを、自惚れでも何でもなく、ただの事実として自覚しているからだ。だから こそ、デスブレンを倒してからの8年で護身術も身につけたし、研究所の副所長になってからは、練習用ガ チャボーグであるホワイトシグマを、懐に忍ばせてもいる。  今だって、ユージは気を抜いてなどいなかった。いくら防護壁の移動作業で音が発生しているといっても、 誰かが近づいてきていれば、気配を察知できる自信はあった。しかし何故か、キョウコの接近には気付かな かったのだ。  気付かなかったのは今回だけではない。キョウコと知り合ってからはまだ3年ほどでしかないが、ユージ は幾度となくキョウコに背後を取られている。特に、この1年は顕著だ。ユージとキョウコは、昨晩のミー ティングで情報をオープンにするまで、ずっと秘密を共有してきた。そんな仲であることに安心して、キョ ウコに対して、心を許しすぎているのかもしれない。 「いつの間に来たんですか。驚くから、いきなり後ろからってのは、やめてくださいよ」 「ユージの驚くところが見れるから、面白いのよ」  いつになく子供っぽい喜々とした笑顔で、キョウコはユージに近づいた。ふてくされ顔のユージの右隣に 立って、手にしている書類の束を、ユージに差し出す。 「ワープジャミングの準備は、あと1時間で完了するそうよ。前回はデスブレン側にワープ先の座標を誤認 させる手法を採ったけど、今回はやり方を変えて、ワープ先の座標を無理やりずらす手法を採るそうだわ。 だけどそこに書いてある通り、どう計算しても前後20メートル、左右10メートルの楕円上の範囲で、誤差が 出てしまうみたいね」 「再計算しても、同じ結果でしたか。やはり、予定していた以上に防護壁の内側を狭くすることは、できな いようですね。戦闘領域が狭ければ狭いほど、高機動型ガチャボーグであるデスアクイラの足を殺せますか ら、本当はもっと狭くしたかったんですが……」 「ある程度の余裕をもつとすると、やっぱりバスケットコート1面分より狭くするのは危険ね。デスアクイ ラのワープ先が防護壁の外側になってしまったら、元も子もないし」 「その通りですね。デスアクイラには何としても、この狭い空間にワープして貰わなくてはなりません。広 い空間での戦闘になってしまえば、シン君の救出など、とても不可能ですからね。ただし、最優先するべき はシン君の救出ではなく……」  キョウコはうつむき、ユージの言葉の先を取る。 「デスブレンを過去に戻らせることなく、この地で完全消滅させること。そのためには、シン君ごとデスブ レンを葬り去ることも、選択肢に入れなくてはならない……」 「その通りです。もちろん、ギリギリまで救出は試みますけどね」  ユージは眉根を寄せ、真剣な表情で言葉を続ける。 「デスブレンが持っている、未来に戻るための装置を破壊できればそれに越したことはありませんが、それ をどこに隠しているのか分からない以上、デスブレンの“未来への帰還”を防ぐ手立ては、データクリスタ ルを破壊して、完全消滅させる以外にありません。デスブレンを未来に戻して再侵攻の機会を与えることだ けは、できないのです。例え、シン君を失ってでも」 「……非情な決断だけど、正しいと思うわ。こんなこと、訓練生の前では言えないけどね」 「シン君ごとデスブレンを消滅させるという想定は、一部の人間にしか話しませんよ。特に訓練生達は、ま だ幼い。話したところで、混乱と反発を引き起こすだけでしょうから」 「また秘密の共有なの? ユージと会ってからの3年って、そればっかりね」  冗談めかしたキョウコに対して、ユージは真剣な顔のままぼそりと呟いた。 「……あなたには、心を許してるからですよ」  呟いた、というよりは、思わず呟いてしまったと表現した方が適切だった。しまったと思った時にはもう 遅く、キョウコはこちらを見たまま、目を見開いて硬直している。  ユージは手にした書類を大仰に振りまわしながら「と、とにかく、報告は承りました! あとは整備班と 合流して、シンクロシステムの再調整をお願いします!」と声を荒げるや、研究施設の方へ向かって、足早 に去っていく。  その背中をキョウコが追いかけてきていることには、ユージはまたもや気付かなかった。