『ガチャフォースB−FINAL』 作品内時刻 2011年 4月30日 (コウ=大学1年生)  2011年 4月30日。  昨日から始まった今年の大型連休は、平日である5月の2日と6日を含めれば10日間も続く長大なものだ。  4月の末日に当たる今日はまだ連休の2日目で、多くの人が各地で羽を伸ばしている時期なのだが、中学 一年生の錦織信(ニシキオリシン)は多分に漏れて在宅を余儀なくされていた。仕事のためである。  4月のうちに13歳の誕生日を済ませたシンは、6歳年上の従姉弟である錦織凛(ニシキオリリン)とふた りで立派なマンションの一室に暮らしていた。中学生が仕事を持ち、学生二人が高価な部屋を借りているの は不可思議なことだが、これには理由がある。  シンの仕事とは国家レベルのプロジェクトであり、二人の生活は政府からの支援で成り立っているのだ。  時計が午前9時の鐘を鳴らすころ、シンはリンの部屋から薄手の掛け布団をひっぱり出した。そのままリ ビングへと足を向け、ソファーを占領して眠っているリンのところへと近づく。もう5月が目の前に迫って ずいぶん暖かくなったとはいえ、ショートパンツにタンクトップというリンの服は余るほど軽装だった。  男子中学生の前でこんな格好を見せるなと心中に吐きつつも、呼吸に合わせて上下に律動する胸に目を奪 われそうになったシンは、ややあわてながらリンに布団を掛けていく。終わったところでリンの呼吸に乱れ が無いことを確認し、リンの眠りを妨げずに済んだことに安堵してから、シンは自分の部屋にもどった。  机の引き出しを開けて財布を取り出すと、無造作にズボンのポケットに突っ込み、玄関の鍵を持って自室 の外へ出る。  リンがリビングで眠っている以上、同じ部屋にあるキッチンで料理をし、音を立てるわけにはいかない。 自炊よりも割高になってしまうが、今日の昼は外食で済ませるしかなかった。  部屋を出てからエレベーターに乗り、いつものように1階のスイッチを押す。下へと動き出したエレベー ターが発生させる浮遊感に身を委ねながら、シンはため息をついた。  リンは同居を始めるちょっと前まで、その名の通り凛とした女性であった。しかし今年の3月に恋人であ る鷹見翔(タカミショウ)と大ゲンカを繰り広げてからは、今のような体たらくである。今年の4月から中 学に上がった自分を家に同居させた目的も、ショウへの当てつけが大きかったに違いない。  そこまで分かっていながら同居する気になった自分も自分だが、姉のように慕っているリンのことを放っ てはおけなかったのだ。  チン、とベルが鳴り、エレベーターが目的階への到達を告げる。シンは精神的に重くなった体を動かそう としたが、目の前からかかってきた声に動きを封じられた。 「おや、お出かけですか?」  声の主は荒木優二(アラキユージ)だった。まだ十代だというのに、スーツ姿が板についている。  1年前、ユージはガチャフォースとして共に戦った仲間が次々に進学を決めていく中で、ただ一人就職す ることを選択した。本人は自由意志での希望だと公言していたが、政府が半ば人質の目的で彼を雇ったこと は、かつてガチャフォースに関わった誰もが理解している。  シンにとっても、ユージは尊敬できる人物だった。いまユージが就いている“教官”という役職のせいな のもあったが、そのことを差し引いてもユージの人格は素晴らしいものだと、シンは思っている。 「……はい。ちょっと外食に」  エレベーターの“開く”ボタンを押しながらシンが返すと、ユージは手招きして降りてくるように促した。 ボタンから指を離し、数歩進んだシンの背後でドアが閉まったとき、ユージは再び口を開く。 「連休のおかげでみんな遊びに行ってしまったでしょう? だからせめてリンさんのお顔でも拝見できれば と思ったのですが、君が料理をしないということは……」 「ええ。面会謝絶です」  シンは苦笑まじりに返答した。リンは出かける相手と時間を持っていながら、岩のように動こうとしない のだ。 「そうですか……せっかくの休日なのに友達に会えないというのは、なかなか辛いものですね」 「でもコタロー先輩なら家にいると思いますよ」 「ああ、コタロー君は残っているんでしたね。それじゃあ、ちょっとお会いしてきますよ」  ユージは上着のポケットから車のキーを取り出し、駐車場の方へときびすを返した。その背中に向かって、 シンは思い出した問いを投げかける。 「次に行くのは、明日でしたよね?」 「ええ。そのあと数日の調整をすれば、いよいよ完成です。お披露目の日にはガチャフォースのみんなも戻 ってくるそうですよ」  振り返って答えたユージは、もういちど歩き出すとそのまま建物の陰に消えていった。 「そっか…いよいよ完成か」  感慨深く独白したシンは、心を躍らせながら春の道を駆けていった。 2、  サイドブレーキを引き、シートベルトを外してから、ユージは車を降りた。ここはサハリ町住宅街の一角 にある空き地である。  外からドアをロックし、車のキーをズボンの右ポケットに入れると、ユージはサイドミラーの角度を手動 で変えて、身だしなみのチェックを始めた。若年でありながらガチャボーグ研究所の副所長、およびGFコ マンダー訓練生の教官という重要ポストに就いているせいで、年齢を重ねた人々から細かい身だしなみを指 摘されて「これだから予算ほどの成果を挙げられんのだ」と鼻で笑われることを、何度か経験していたせい である。無論コタローの家に行く程度で、そのような目に遭遇することは考えられない。しかし役職上、ユ ージはコタローの先生である。気の抜けたところは見せられないという気負いが、ユージにミラーを覗かせ ていた。  目立っておかしい箇所は無い。しかしシートに座ることで付いた細かいしわが気になるのか、ユージは手 のひらでゆっくりと腰の辺りを撫でながら、50メートルほど先にあるコタローの家を目指して歩き始めた。  これから会いに行くコタローという少年は、8年前のデスブレンとの戦いでは貧弱な戦力でしかなかった。 特にガチャフォースに入りたての頃などは上級生に助けてもらいながらどうにか戦場に立っているのがやっ とで、パートナーであるビリーの耐久能力がもう少し低かったなら、デスブレンとの戦いを生き残ることは できなかっただろう。しかしそんな小さな子供も、今ではもう中学3年生。現世代のトップエースになって いる。  ユージが副所長を勤めているガチャボーグ研究所には現在20名の訓練生が所属しているが、その中でデス ブレンとの戦いを経験したのはコタローだけだ。その他19名の訓練生にとっては彼の持つ実戦の経験に加え、 “現行最強のGFコマンダー”という名声も備えていることが憧れを助長させるせいか、誰もがコタローを 目標にしながら日々の研鑽(ケンサン)に励んでいる。しかし女子の訓練生にとっては目標以上の存在にな ってしまうことも、これまでに度々起こっていた。その度に指導役であるユージは頭を悩ませたものだが、 コタローは結局のところ誰とも関係を持つことは無かった。そうなったのは兄貴分であるコウの鈍さが伝染 していることが原因だろうと、ユージは結論付けている。  両脇を塀で目隠しされた細い道を進むと、T字路に突き当たった。ユージが道を左に折れると、5メート ル先の左側にコタロー家の玄関が見える。ここから呼び鈴を押すまでに10秒もかかるか怪しい距離だったが、 ユージは何故かいきなり身をひるがえして、T字路の角に隠れた。  頭だけをそっと角から覗かせて、玄関前の様子を伺う。すると、そこでコタローと女の子が会話をしてい るのが見てとれた。 「あの……発表会が終わったら、一緒にさばな市に行きませんか?」  言ったのは女の子のほうだ。頬を赤らめていることから察すれば、彼女にとっては告白にも等しいほど勇 気を必要とする行為だったのだろう。  ユージは女の子の顔に見覚えがあった。訓練生の一人、三枝奈々(サエグサナナ)である。  今年で中学一年生になったナナは、海原美魚・真魚(ウミハラミナ・マナ)の姉妹と家が隣同士で、ふた りからは妹のように可愛がられている。海原姉妹との仲の良さは、三人で行動するときによく三姉妹に間違 えられるほどだ。GFコマンダーとしての素養は高く、総合的な実力ではコタロー、シンに続く三番手の位 置にいる。しかし狙撃の命中率に限って評価すれば、彼女の右に出る者はいない。  緊張しているナナとは対照的に、コタローはぼんやりした声で返す。 「でも、せっかく訓練が休みなんだぜ? 俺よりミサキたちと遊んでた方がいいんじゃないか?」 「いえ。私はその、コタロー先輩と一緒の方が……」 「なんで?」  あまりに茫々(ボウボウ)とした態度のコタローに、ユージはいつもと違う理由で頭を抱えた。 「あ……あの、それは……」  ナナは紅潮した顔を地面に向けながら、しどろもどろになる。  そこへ追い討ちをかけるように「どうしたんだ?」と言いながら、コタローはナナの顔を下からのぞき込 んだ。いきなり間近に出てきたコタローの顔に驚いて、ナナは反射的に飛びのく。  すると、間合いが開いたことで撤収するのにいいタイミングだと判断したのか、ナナは 「じゃ、じゃあ発表会の日にっ……!」  とだけ言い残しながら、奥の道へと一目散に駆けていった。 「なんなんだ、ナナのやつ……?」  まだ鈍感な反応を崩さないコタローを尻目に、ユージはいたずらを思いついた子供の顔で、車へと戻るこ とを決めた。 「えへへ……誘っちゃった」  誰もいない河川敷で体育座りをしながら、ナナはひとり呟いた。  胸の鼓動はだいぶ治まっているが、先ほど目の前にあったコタローの顔を思い出すと心臓の下半分が締め 付けられて、上に飛び出してきそうな感覚が襲ってくる。頭を下げ、上目遣いに川の流れを見つめるナナの 思考には発表会当日のイメージがはっきりと映っていた。  史上初の人工ガチャボーグと共に、ステージに立っている自分。それを遠くから優しく見守っているコタ ロー。発表会が終わったら研究所から少し離れたところで待ち合わせて、さばな市を二人で並んで歩いてい く。 「コタロー先輩、きっと、一緒に来てくれるよね……?」  思いをはせるうちに、心音はどんどん高鳴っていく。まるで、心臓を破いてしまうかのように――。 「わっ!!」  とつぜん背後で発せられた大声に、ナナは心臓を押さえて立ち上がりながら「ひゃあっ!!」と奇声を上げ た。 「油断はいけませんよ、ナナさん」  背後から聞き覚えのある声がする。しかしナナは心臓の鼓動を抑えるのに必死で、振り返る余裕などない。 「重要な任務を果たしたあとこそ、アクシデントに備えて心構えをしておくべきです。古来、日本武道には 残身というものがありまして……」  ここでナナは後ろを振り返り、長くなりそうな解釈を大声で遮った。 「おどかさないでください! 私の心臓を止めたいんですか!」  普段はおとなしいナナも、今回ばかりは抗議の声を荒げた。しかし、ナナの前にいる人物――ユージは、 それでも自分のペースを崩さない。 「いやいや、私は心配をしているのですよ。約束を取り付けても、どんなアクシデントで破談になるか分か りませんからね。常に気を引き締め、最大限の警戒をしていないと……」 「なんで約束のことを知ってるんです?」  じとっ、と半目で睨まれて、ユージは語勢をストップさせた。 「立ち聞きしたんですか? 最っ低ですね」 「いや、あの、それはですね……」  先ほどコタローの前にいたナナと同じくらい、ユージの発言はしどろもどろになっている。ユージは頭を 回転させてどうにか自分の理論を探り出し、親の前で言い訳をする子供のように弁明を始めた。 「さ、先のことなんて、分からないではありませんか。明日のシン君のテストで結果が悪ければ、発表会が 延期になるなんてことも……」 「いじわるばかり言う人って、嫌いです」  訓練のときに見せる狙撃のような正確さで、ナナはユージの精神を撃ち抜いた。手塩にかけた訓練生に嫌 いだと宣言されてうなだれるユージをよそに、ナナはツンとそっぽを向きながら土手の向こうへと歩き去っ ていく。  ナナの背中が土手の向こうに消え、河川敷にひとり取り残されたとき、ユージはぼそりと呟いた。 「すみません、ナナさん。その約束は絶対に叶わないんですよ……」 3、  明くる5月1日の正午、シンは車中の人となっていた。  いつもなら自転車で研究所に向かうのだが、今日に限ってシンがマンションを出たところで待ち伏せする ように、研究所の車が置いてあったのだ。  わざわざ車で迎えに来るなんて普通じゃない。今日のテストには何かがある。シンは後部座席に座りなが ら、強張らせた表情で運転手の方をにらんだ。  前部に座って車を運転しているのは、ユージの補佐役である六節香子(ロクフシキョウコ)だ。  キョウコは170センチを上回る背丈を持っており、乱れ一つない黒のパンツスーツにノーフレームの眼鏡、 黒髪のショートカットという取り合わせが、高潔で知的な印象を与えてくる女性だ。男子の訓練生からは 「カッコいい」と好評だが、シンは硬質さを感じさせるキョウコがどうにも好きになれなかった。  以前ユージから聞いた話では、キョウコは元々ガチャフォースとは縁の無い生活をしていたそうだ。彼女 がガチャフォースに関わりを持つようになったのは、ユージが半ば人質として研究所に雇われることになっ たとき以来だという。このときユージが政府に提示した交換条件の中に、他のガチャフォースメンバーの進 路に干渉をしないことと、キョウコを補佐役として付けることを挙げていたという。しかし、ユージがどこ でキョウコと出会ったのか、なぜガチャフォースとは無関係だったキョウコを補佐につけたのかは、聞いて も答えてくれなかった。  シンは表情を変えぬまま、ルームミラー越しにキョウコの顔を見る。するとシンの緊張を解きほぐすよう な柔らかな声色が、キョウコの口から流れてきた。 「そんなに構えなくても大丈夫よ。今日のテストは、短時間で済むものだからね」  言いながら、キョウコが右にハンドルを切る。角を曲がるのはこれが最後で、あとは2分ほど直進するだ けで研究所の外門に到着する。  シンはキョウコが感情を乗せた言葉を出してきたことに驚いた。いつも事務的なことを無機質に話すだけ の人だと思っていたが、よく話してみれば意外と優しい人なのかもしれない。しかしキョウコが普段どおり に話さないということは、やはり今日が特別な日であることは間違いなさそうだ。 「もしかして、実機で戦闘をやるんですか?」  シンはシートから背中を離し、前傾姿勢になりながらストレートに尋ねた。  キョウコは一瞬口ごもったが、すぐに「その通りです」と返してきた。先ほどよりも固さを帯びた声色だ が、それでもまだ柔らかい。 「相手は誰なんです?」  シンは体制を変えぬまま、質問を重ねた。今のキョウコなら答えてくれるだろうと踏んでの行動である。 しかしキョウコは視線をフロントガラスの向こうに固定してシンの存在を遠くに追いやると、「現状で知る べき事項ではありません」と質問を一蹴してきた。いつもどおりの硬質な声だ。  シンは体勢を戻し、再びシートにもたれかかった。視線を左の車窓に移しながら、やっぱりこの人は好き になれないと心中にぼやいた。  外門で警備員からの身分チェックを受けてから、シンは車から降りた。駐車スペースは少し離れた地下に あるので、キョウコが車を置きに行くのに付き合うよりもここから歩いていった方が、研究所に着くのはい くぶん早くなる。  外門から2分ほど歩いて、研究所の正面玄関に到着する。その前にシンが立つと、ガラス張りの自動ドア が左右に開いた。ガチャボーグ研究という重要機密を扱っていることを考えればガラス張りの玄関など論外 に思えるが、この研究所が機械工学の研究施設という建前で住民の理解を取って建てられている以上、あま り軍事要塞のようにはできないという事情があった。  自動ドアをくぐってロビーに出る。円形をしているこのロビーは、いつもなら3〜4人の訓練生が設置さ れたソファーに座りながらお喋りを交わしている場所なのだが、今日に限ってその喧騒は聞こえて来ない。 今日の日程にはシンのテストしか入っておらず、他の訓練生がまとめて休みになっているせいだ。高待遇と いう対価が得られるとはいえ、ここの訓練は地獄である。みんな、トレーニングの無い日には研究所に近寄 りたくないのだろう。  シンは入口左側に備えられたカウンターの中にいる、受付兼警備員のスタッフに軽く会釈をすると、ロビ ーから左右に伸びる通路を右へと進んだ。通路の上に掲げられた案内表には<実験施設>とあるが、これも 表向きのことで、実際には訓練生たちの更衣室やトレーニングルーム、訓練用ガチャボーグの格納庫などが 存在している。  ここの通路もロビーと変わらぬ静けさで、シンはいつもより早足で進んだ。が、角をひとつ左に曲がった 先にある更衣室の前まで来て、ピタリと足の動きを止めた。通路の突き当たりに見えるトレーニングルーム の扉の前に、誰かがしゃがんでいるのが見えたせいだ。 「……誰だ?」  シンが呟いた。しゃがんでいる人物とは10メートルほどの距離があったが、静かで狭い通路には音がよく 響いた。シンの声に気づき、人物は立ち上がる。 「シン君!」  立ち上がるなり、人物はシンに向かって猛突進してきた。シンは驚いて目を見開くとあわてて振り返り、 通路を全力で逆走し始める。 「ちょ、ちょっと待って! 止まってよ!」  後方から叫び声が聞こえてくる。その声が聞き慣れたものであったことが、シンの加速した足を止めさせ た。止まったシンは、もういちど通路の奥へと向き直る。 「もう、いきなり逃げることないのに……」  シンの眼前で呼吸をわずかに乱しながら、人物は言った。人物の身長はシンの背丈よりも一回り低く、小 柄できゃしゃな印象を受ける。シンはよく見知ったその人物に向かって、眉間にしわを寄せながら感じた疑 問を投げかけた。 「ナナ、何でここにいるんだ?」  言ったシンの顔つきは、珍獣でも見るかのようである。休みの日に研究所に来るだけでも奇特なのに、ソ ファーがあるロビーではなく通路の地べたに座って待ち伏せをしているなんて、もはや奇行としか言いよう が無い。さらにナナの口から「何って……シン君の応援だよ?」と返ってきて、シンは目の前がゆがむほど の脱力を覚えた。 「今日テストするのは俺の専用機だぞ? 専用機のテストは訓練生にも非公開だって、俺と同じ待遇のナナ なら良く知ってるだろ?」   シンが“同じ”だと言ったのは、専用機を与えられた訓練生という点である。  新たに開発された人工ガチャボーグには、40機の訓練機と25機の量産機のほかに、2機の専用機が存在し ている。専用機のコマンダーは訓練生の中から選抜試験によって選ばれ、結果として総合2位のシンと、総 合3位のナナがコマンダーに選定された。  ナナの専用機はすでにテストを終え、発表会に向けての最終調整が行われている。シンよりも先の行程を 進んでいるナナが、テストが非公開であることを知らないはずはないのだ。  しかし、ナナは平気な顔で「うん、知ってるよ。それでも応援に来たかったの」と返してきた。 「……変なやつ」  表情を崩さないまま、シンがぼそりと呟く。すると突然、ナナの表情が緊迫したものに変わった。 「何をグズグズしている?」  シンにかかってきた声は、ナナのものではない。背後から別の誰かが発したものだ。頭の上から降ってく るように聞こえることから、大人のものであることは容易に判別できる。  シンはくるりと後ろを振り向き、視線を上げて声の主と正対した。目の前にいたのは60代前半と思われる 小太りの男で、その背後にはユージとキョウコが控えている。男の目は睨むように細くなっていて、背の低 いシンには、それが見下しているように感じられた。 「ご無沙汰しております、所長殿」  かかとを揃えて背筋を伸ばし、気をつけの姿勢をとりながら、シンは慇懃に言った。むろん建前上の行為 である。研究所の所長とは言っても、この人物が研究所に姿を見せることはほとんど無い。シンと会ったの も、訓練生として研究所に入ったばかりの頃に、式典で長々と励ましの言葉をもらったとき以来である。研 究所に備えられた所長室も普段はユージが使用しているので、この人物が名目だけの所長ということは訓練 生の年少組でさえしっかりと把握していた。  シンにつられて、ナナも直立不動の姿勢を取る。所長は一つ咳払いをして、再び何かを言い出す気配を見 せた。しかし絶好のタイミングでユージが割り込んでくる。 「シン君の専用機はトレーニングルームの地下に用意してあります。急いで準備をお願いしますね」 「はいっ!」  言うやいなや、シンは更衣室の扉をくぐり、中に消えていく。シンと違って行く当ての無いナナはおろお ろとするばかりだったが、急に所長の前へ出てきたキョウコに腕を引っ張られ、応接室の方へと連れて行か れた。  所長は目の前の急展開が飲み込めず、付いていけない様子だったが、 「さあ、では地下へ参りましょう」  と笑顔のユージに促されて、ようやくトレーニングルームへの歩みを再開させていった。 4、  それから5分と経たぬうちに、シンは更衣室を出た。先ほどまで身を包んでいた私服はロッカーの中に吊 り下げられ、今は訓練生用のトレーニングウェアがシンの体を包んでいる。  トレーニングウェアのデザインは8年前のデスブレンとの戦いの際にショウが着ていたものをベースにリ ファインされたものだ。ただし、色は黒と紫という暗いイメージのものから白と青に変更されており、訓練 生であることを示すナンバーが左右の二の腕に刺繍されている。シンのナンバーは“1”だ。  1年前、初訓練のときに配布されたユニフォームにこのナンバーがつづられているのを見て不可解に思っ たシンは「このナンバーには意味があるのですか?」と教官であるユージに質問を発した。実力順か訓練生 への選抜順であればコタローが1番であるはずだし、学校と同じに苗字の50音であればミサキが1番になる はずだ。自分が“1”というナンバーをもらう理由など何も思いつかないシンに対して、ユージは他の訓練 生に聞こえないよう、ささやくように答えを返した。 「君はいつまでも誰かの後ろにいるような人じゃありません。人の先頭に立って、自分で見つけた道を歩け る人物になれるよう、1というナンバーを贈ったのです」  言葉が終わった瞬間にシンは目を見開いた。自分の心がユージに見透かされていることに驚いたせいであ る。  シンは小学校5年生に上がってから従姉弟であるリンを女性として意識するようになっていた。しかし当 時高校2年生だったリンには、既にショウという恋人がいた。そのころはまだ、シンはリンたちのガチャフ ォースにまつわる話は知らなかったが、それでもリンのそばにいるショウが、自分とは比較にならないほど 強い絆でリンと結びついていることは理解できていた。もちろんリンを取られて悔しくないわけなど無い。 ショウに少しでも落ち度があったならその隙にリンを自分の物にしてやろうという欲望は常にあり、シンは その機会を虎視眈々と狙っていた。だが、そんな機会が訪れることは一度として無かったのである。それど ころかシンは、誰よりも強くて格好いいショウにいつのまにか憧れを抱くようになっていた。  ショウも、いつも後に付いてくる自分を可愛がってくれた。13歳になった今になって思うと、デスブレン との一件によって家族を失ったショウにとって、自分という弟分ができたことは嬉しいことだったのかもし れない。  兄貴分であるショウが前を歩き、弟分のシンが背中についていく。何の疑いようも無い強固に確立された 人間関係が、2人の間にできあがっていた。  だが……シンの心の底には澱(おり)が溜まっていた。澱の正体は心の主であるシンにも分からない。た だ、ショウの背中を追おうとする度に澱が溜まっていくことだけは確かなようだった。  このままショウの背中を追い続けていいのだろうか。その疑問符が膨れ上がってきた頃に、ユージはシン に“ナンバー1”を贈ったのである。 「誰の後ろでもない、俺の道を行かなきゃいけないんだ……」  ユニフォームの右肩につづられたナンバーを左手で握り締め、シンは右にあるトレーニングルームの扉を 見据えた。この奥には自分の専用機――シンにしか使えないガチャボーグが待っている。 「お前となら、道を見つけられるのか? アクイラ……」  パートナーボーグの名を呟きながら、シンはトレーニングルームの扉へと己の足を進めていった。 5、  トレーニングルームの1階部分は板張りになっていて、見た目はシンの通う中学校にある体育館とほとん ど変わらない。今日は誰の姿も無いが、普段はここで訓練生の体力を強化するプログラムが行われている。 プログラムのしんどさは、対価として支払われる高待遇の生活を投げ出してでも逃げたくなることで有名だ。  訓練生の中には、どうしてガチャボーグを扱うだけなのにこんな地獄のトレーニングをするのか、という 声も当初はあった。しかし、実際に訓練用のホワイトシグマ――デスボーグ・シグマをベースに開発された 訓練機――を扱うようになってからは、不満の声は一切聞かれなくなった。GFエナジーの放出には体力的・ 精神的な疲労がつきまとうためである。  コウたちのガチャボーグは意志を持っているため、コマンダーから送られてくるGFエナジーをどう出力 するのかを自身で決めてくれている。だから、コマンダーはガチャボーグの一挙手一投足まで管理する必要 は無い。  だが訓練生が使用する人工ガチャボーグは、どの機体も知能を持っていない。そのためガチャボーグにG Fエナジーを送信するのに上乗せして、手足を動かすための命令を送信してやらなければ、まともに歩くこ とさえできないのだ。当然、コマンダーにかかる負担は段違いに大きくなる。 「なんだか、あやつり人形みたいですねぇ……」  ホワイトシグマを受け取ったときに、ナナがシグマの細い手足を指で動かしながら言った言葉だ。人間の 全身全霊をこめて操作するあやつり人形。人工ガチャボーグの例えとして、これ以上の言葉はないだろう。  シンは入り口から直進してトレーニングルームを横切り、反対側の壁に取り付いた。何の変哲も無い壁の 一角に、開いた右手を押し当てる。すると赤い横長の光が指先から手首の方へと走りぬけていき、続いてシ ンの目線の高さにある壁の一部が左にスライドする。そうして現れた10センチ四方ほどのガラス窓の中央に は、一眼カメラのレンズのような物体が、ガラスの向こうからシンの瞳を覗いていた。  指紋と網膜による認証。トレーニングルームに入るまでのセキュリティよりも明らかにハイクラスのもの が採用されているのは、もちろんこの先のエリアが極秘の情報であふれているためである。  網膜のチェックが終わると、シンの立ち位置より1メートルほど左にある壁が奥へ後退し、大人一人が通 れるほどの通路が出現した。訓練生でも許可が無くては入ることを許されない、地下研究所への入り口であ る。  通路に入るとすぐ右に下り階段がある。そこから下の階に降りると、10メートルほどの直線の通路が現れ た。脇目もふらずに淡々と通路を通り過ぎると、突き当たりの右側に再び下り階段がある。セキュリティ強 化のため、一気に研究所まで下りられる階段は作られていない。面倒でも、こうして短い階段と通路を交互 に通過しながら降りていかなくてはならないのだ。  階段を4回降りたところで、通路の先にエレベーターが設置されているのが見えた。シンはドアの横に立 ち、研究所への立ち入り許可を与えられた者に配布されるカードキーを使って、エレベーターのドアを開け る。ゴンドラに乗り込んだら今度はパスワードを入力して、地下深くにある研究所へと続くエレベーターを 作動させる。これだけの面倒な行程を経て、シンはようやく研究所にたどり着くことができた。  エレベーターのドアが開くのと同時に飛び込んできた映像は、真っ白な壁と床に囲まれた、巨大な部屋だ った。先ほど通ってきたトレーニングルームよりも一回り大きなこの部屋が、人工ガチャボーグの実働実験 施設である。  エレベーターから降りたばかりのシンが立っているのは、その上部に張り巡らされたキャットウォークだ。 ここと実験施設の内部とは透明な防御壁で隔てられているだけなので、何の障害も無く内部の様子を見るこ とができる。今日はアクイラの実戦テストを、ユージと所長がここから見ることになるのだろう。  ユージと所長が先に行ってから、もうずいぶん時間がたっている。実験施設の奥にある研究施設の方へ急 いでアクイラを受け取らなければ、予定時刻に遅れかねない。だがシンはその場で立ち尽くしたまま、真っ 白な実験施設の中になぜか一箇所だけ存在する、黒い床を見つめていた。  かつてこの場所は、デスブレンのサハリ町における前線基地だった。デスベースと呼ばれたこの基地で1 日に数十体ものデスボーグが生産され、ガチャフォースのボーグたちへ襲撃をかけていたという。しかし地 上におけるデスフォースの勢力は日増しに弱まっていき、デスフォースのボーグ達はこの基地を捨ててデス スカイベースへと移らざるを得なくなった。  そうしてデスベースが完全に放棄されるまでの防衛を任されたのが、リンのパートナーであるダークナイ トだった。ダークナイトはデスベースがコウとGレッドに発見されたことを知って一計を案じ、Gレッドの 奪われていたデータとリンへの想いをコウたちに託し、散ったという。  ここがデスベースだったころは、施設の床と壁の大半は黒い素材で造られていた。研究所が造られるとき に白く塗り替えられたのだが、ユージの提案で、ダークナイトが果てた場所の床だけは今でも黒いまま残さ れているのだ。 「ダークナイトの墓……か」  視線を黒い床に固定したまま呟くシンの胸中には、かすかな悔しさがあった。ダークナイトとリンの出会 いも、デスベースでの決戦も、デスブレンとの死闘も、自分がいないところで起こったことだ。  当事者になれなかった自分にとって旧ガチャフォースメンバーの間に存在する絆は強固で不可侵なだけで なく、自分と無縁なものである。リンの従姉弟であり、ショウの弟分であり、ユージの生徒である自分であ っても、彼らの輪の中に入ることは不可能だ。  どうして輪に入れないことを悔しく思うのか、その理由は分からない。だがリンとダークナイトの絆の証 である黒い床を見ていると、過去の自分がアクイラを持っていればガチャフォースの一員になれたのに…… という思いがこみ上げて来ることは確かだった。 6、  地上にある応接室では、キョウコとナナが向かい合って座っていた。両者が座っているソファーの間には 低いテーブルが置いてあり、話すのに適した距離が保たれている。 「あの……勝手に来ちゃって、すみませんでした」  先に口を開いたのはナナだ。目の前に背筋を伸ばして座っているキョウコに向かい、ぺこりと頭を下げる。 「そのことでしたら構いません。頭を上げて下さい」  言われて、ナナは頭を戻し始めた。キョウコはナナと視線が合うのを待ってから、 「今日あなたが来ていなければ、明日にでも呼び出して話をするつもりでした」  と続ける。 「お話って……何でしょうか?」  わざわざ呼び出してまでするような話だ。さぞ重大な話を聞かされるのだろうと予測して、ナナはおどお どと尋ねた。ナナ専用機のトラブルだろうか。それとも発表会が延期になってしまうのか。何にしてもコタ ローとの約束が反故になってしまうことだけは言わないで欲しいと、ナナは内心に祈った。  質問を投げられたキョウコは両目を閉じてうつむき、話すのをためらった。しかしそれも数秒のことで、 いつも通りの硬質な声で、ナナへの言葉を告げる。 「あなたと縞野君との約束が、絶対に叶わないということです」 「…………はへぇ?」  奇声を発したナナの体(てい)は、目は視点が定まらず、顎は緩んで口が開きっぱなしになっている。明 らかに茫然自失の状態だ。  キョウコは話の最初に爆弾を持ってきてしまったことを後悔した。約束が叶わない理由を説明する方が本 題なのに、ナナが話を聞ける状態でなくなってしまっては本末転倒である。  その後、キョウコはどうにかナナの精神を繕いながら、後の説明を続けていった。 7、  シンは実験施設のキャットウォークを左に進んで、突き当たりにある自動ドアの前へと移動した。ドアの 脇には電卓のボタンような配置のパネルが備えられていて、ここではIDナンバーを打ち込まなければいけ ない。シンは面倒さに溜息をつきながらも、自分に与えられたIDナンバーを慣れた手つきで打ち込んだ。 「……基本スペックについては以上です。続いて、シンクロシステムについてですが……」  ドアが開くと同時に、ユージの声が聞こえてきた。どうやら隣に立っている所長に向かってアクイラにつ いての説明を行っていたらしい。一介の訓練生である自分が何ヶ月も前に知った基本スペックのことを今さ らになって組織のトップが聞いていることに呆れの感情を覚えつつも、シンはユージがいる研究施設の中央 へと向かって歩みを進めていった。 「訓練生第一期、錦織信。到着いたしました」  カカトを揃え、背筋を伸ばしてシンが言うと、こちらに背中を向けていたユージと所長が振り向く。 「遅かったな、何をしていた?」  更衣室前で会ったときと変わらぬ見下した目がシンに向けられる。シンは思わず目を細めて、にらむよう な目つきを作った。 「まあまあ。予定時刻に遅れたわけではありませんし、ちょうど説明もキリがいいところでした。シン君、 実にグッドタイミングでしたよ」  シンと所長の間に走った緊張を察知して、ユージがほのぼのとした声を挟んできた。それでも所長はシン に眼光を送ったままだが、こちらの続行もユージの発言によって阻まれる。 「アクイラの準備は整っています。私達は先に行っていますので、受け取ったら実験施設に戻ってください ね」  言いながら、ユージは自動ドアの外へと出て行った。残された所長はシンの目を見据えながら、いちど 「チッ」と舌打ちすると、ユージの後に続いて実験施設へと向かっていく。  なんで自分たち訓練生の指揮官があんな大人なのか。シンは憎悪すら帯びているような鋭い視線を、所長 の背中が自動ドアの向こうに消え行くまで浴びせ続けた。  所長の背中が完全に見えなくなってから、シンは表情から力を抜いた。しかし慣れない目つきを作ってい たせいか、顔の筋肉を緩めようとしても、目尻はすぐに下がってはくれない。そこはじきに戻るだろうと割 り切って、シンは踵を返した。アクイラを受け取るためには、さらに奥のフロアへ移動する必要があるから だ。  締め切られた地下室に、シンの靴音がひとつだけ響く。歩みが続くのなら靴音はいくつも続くはずだが、 それはたったの一回で途絶えた。その代わりに、シンの呻き声が部屋の中に響いていく。 「いだ、いだだだだっ!」  シンの両頬を、力強い指がつねっていた。シンは走った痛みに思わず目を閉じてしまったが、頬から伝わ ってくる手加減を知らない指の力から、誰が犯人なのかはすぐに分かった。まずは痛みから解放されるため に犯人の腕をつかんで頬から引き剥がし、さらに追撃を避けるため、一歩ぶんドアの方に退がって距離をと る。犯人に向かって抗議の言葉を吐き出すのは、それからだった。 「ミサキ! いきなり何てことするんだ!」  シンが叫んだ先には、シンとほぼ同じ身丈の女の子がいた。  相田美咲(アイダミサキ)。その明るくて無鉄砲で、本人の意思に関係なく他人を強力に引っ張ってしま う性格から、ユージから「2代目コウ君ですね」と評されたこともある。コマンダーとしての実力は総合4 位に甘んじているが、接近戦の攻撃力だけならシンを超えるほどの実力者だ。専用機は持っていないが、彼 女が使う量産機には接近戦に特化した改造が施されており、さらに“プラズマハルバード”と呼ばれる武器 を与えられている。 「だって、変な顔を戻したかったんでしょ?」  言ったミサキの目は、悪意をはらむどころか、まっすぐで透き通っている。その目に怒る気力を奪われた シンは、やる瀬の無い溜め息を吐き出した。 「確かにその通りだけど、つねるなんてダメだろ。そのせいで赤くなったら、普段の顔には余計に戻りにく くなるのにさ」 「あ、そっか。そうだよね」  言って、ミサキは「アハハハ」と明るく笑って見せた。シンはもういちど溜息をつきたい気分に駆られた が、今度は抑えて、ミサキに疑問をぶつけることを優先する。 「それより、何でここにいるんだ? 今日は専用機のテストだぞ?」 「ユージさんに頼まれたのよ。専用機の実戦テストの相手をしてくれ、ってね」 「……ちょっと待て」  専用機については、訓練生には発表会まで伏せられることになっているはずだ。なのにミサキが相手とい うのはどうにも腑に落ちない。大体、それくらいの事情ならキョウコが隠す理由もない。 「それじゃ、今日の相手はミサキなのか?」 「違うよ。もともと別の人が相手をする予定だったけど、ユージさんは私に変更したかったんだって。でも、 所長さんが変更を認めなかったの」  ユージが訓練生への情報非公開を曲げてまで変更したかった対戦相手とは、いったい誰なのだろう。シン は疑問と不安を抱きながらも、アクイラを受け取るため、ミサキと別れて研究施設の奥へと進んでいった。 8、  研究施設の奥にあるのは、開発施設である。最高レベルの機密情報を有するこの場所に入るには、地下に 降りる許可とはまた別に、副所長または所長の特別な許可が必要になる。  シンは、ユージがあらかじめロックの解除をしておいたスライドドアをくぐり、まだ数回しか来たことの ない開発施設の中へと身を移していった。  広大な空間を持つ実験施設や、無数のモニターや観測機器が並ぶ研究施設とは異なり、開発施設は一般的 なオフィスのように小ざっぱりとしている。簡素なデスクに寄せ集めるように並べられた端末の前には、研 究員がそれぞれ一人ずつ張り付くように座っており、時おり専門用語を散りばめた会話を隣同士でしている が、まるで部外者であるシンには、一体なにを話しているのかは全く理解できない。とにかく早くアクイラ を受け取ろうと思って手近にいる研究員の背中に声をかけようとしたとき、部屋の中ほどからシンの方へ近 づいてくる人物がいることに気がついた。 「遅かったわね、何かあったの?」  シンが知っている中で、最も柔和な声をしている女性。研究員の海原美魚(ウミハラミナ)である。  8年前に起こったデスブレンとの戦いではキラーガールの澪(ミオ)と共に狙撃役を務め、ガチャフォー スを後方から支援していた。彼女のGFエナジーは決して高い数字ではなかったが、狙撃に適した“質”を 備えていたらしく、うさぎやコタロー、ツトムといった射撃を得意とするコマンダーと比べても、突出して 高い狙撃命中率を誇っていたという。 「あら、ほっぺたが赤いわね。誰かにつねられたのかしら?」  言いながら両手を伸ばし、シンの頬を挟み込むようにさすってくる。暖かい手のひらに触れられて心臓が ひとつ跳ね上がるのを知覚したシンは、反射的に一歩飛び退いて、柔らかい束縛から逃れた。 「ごめん、まだ痛かったよね」  シンと目を合わせながら謝ってきたミナに対して、シンは視線を首ごと右へ逃がしながら「いえ……大丈 夫です」とだけ返した。その心中には自分が悪いことをしたような、誰かを裏切ってしまったような感覚が ある。どうしてそんな感覚に陥るのかはシン自身にも分からないが、とにかくこのばつの悪い感覚のまま人 前に居たくはないと願ったシンは「……アクイラを出して下さい。ユージさんを待たせていますから」と視 線を逸らしたまま事務的な態度を見せて、ミナをアクイラの元へと誘導する。 「ごめんごめん、すぐに出すからね」  言うやいなや、ミナは身を返して格納庫へと向かっていく。シンはゆっくりと首を正面に戻し、他の研究 員が相変わらず端末に張り付いていることを確認してから、足早にミナの後を追っていった。 9、 「錦織はまだ来んのか! いつまで待たせるつもりだ!」 「セットアップに入っていますから、もう2分とかかりませんよ。それより、発表会当日のことですが……」  所長がわめき散らすたびに、ユージが別の話題を振ってごまかす。実験施設のキャットウォーク上で繰り 返される光景が4度目を迎えたとき、2人の背後にあるエレベーターが『ポン』と電子音を発して到着を告 げた。  数秒の間があって、ナナとの話を終えたのであろう、キョウコがエレベーターから降りてくる。話題を変 えることで所長の怒りを逸らすのももはや限界だと思っていたユージは、すぐさまキョウコに話しかけるこ とで場の空気を変えようとした。 「お疲れ様です、六節さん。ナナさんの説得は上手くいきましたか?」 「はい。まだ精神的ショックは残っているようですが、計画の全貌を話すことで納得を得ることができまし た」 「そうですかー。それは良かった。これで発表会は安泰ですねぇー」  言いながら、ユージは所長に視線をやる。発表会はそもそも所長が全責任を負って計画したことであり、 それが成功すれば、全て所長の手柄ということになっている。人工ガチャボーグという優れた兵器の開発を 自らの功績にできれば、所長の立場は天を突くほど上昇することだろう。その輝かしい未来が安泰だと言わ れて、所長は相好を崩さずにはいられなかった。 「おお、そうかそうか。これで少なくとも1機は使えるわけだな。六節君、よくやってくれた」 「ありがとうございます」  キョウコはマナー講座の手本のような、見事な礼を見せる。ユージから見れば極めてビジネスライクで冷 徹な態度だったが、有頂天の所長は気づいていないようだ。 『アクイラ、セットアップ完了。これより実機テストに入ります』  ミナのアナウンスが実験施設の空間に響いた。続いてユージたちから見て左側にある壁、その中央に埋め 込まれた3メートル四方ほどの立方体が前方にせり出していく。立方体の面は全て透明な防護壁で作られて おり、その強度はバースト時の真Gクラッシュでさえ跳ね返すほど高い。今日のテストではこの立方体の中 からシンがアクイラを操り、相手コマンダーとの実戦を行うことになっている。 『防護壁、コンディショングリーン。アクイラのコマンダーは指令体勢に入ってください』 『了解。訓練生第一期、錦織信。指令体勢に入ります』  ミナの声にシンの応答が続くと、シンが奥のほうから立方体の中へと入ってきた。ユージの位置からは距 離が離れているため、なんとか表情を確認できる程度にしか見えないが、入ってくるなり所長に向かってガ ンを飛ばしていたのは間違いない。とっさに長身のキョウコが所長の前に出てくれたおかげで所長には気づ かれていないだろうが、気苦労が耐えない己が身を、ユージはちょっとだけ呪った。 『アクイラ、実体化を開始します。コマンダーはGFエナジーの供給を始めてください』  シンは右手を額にやり、目を閉じて集中力を高める。するとシンの正面、防護壁の向こう側に、突然1体 のガチャボーグが出現した。中空で生まれたガチャボーグは重力に従って落ちることはせず、背中の翼を煌 かせてユージたちの方へと高速で移動していく。 「おお、これが……」  目の前でスピードを落とし、ディティールをはっきりと見せたガチャボーグに向かって、所長は感嘆の声 をあげた。黒いフレームに白い装甲。マシンボーグとウイングボーグの中間といったシルエットのマシンだ が、背中に付いた大きな2枚羽と、手の側面から肩まで伸びているトンファーのような武器が強烈な印象を 与えてくる。 『形式番号JGB−21。機体名アクイラです。背中の干渉翼は出力基準の170%を誇り、腕と一体型の武装に はビームニードルガトリング、ビームランチャー、スティンガーボムが内蔵されています。この機体は中距 離戦に特化したものであり……』 「機体の説明は聞いている! 早く実戦を始めたまえ!」 『りょ、了解しました……』  アクイラを目の前にした所長の興奮ぶりは、ロボットのおもちゃを買ってもらった少年のそれのようだ。 ユージだけでなくキョウコも同じ感想を抱いたのか、2人はこっそり目を合わせると苦笑いを交わし合う。 『それでは敵機のスタンバイに入ります。敵機のコマンダーは指令体制に入ってください』  今度はユージ達から見て右側の壁から立方体がせり出してくる。シンの時と同様に防護壁の異常チェック が終わり、敵機のコマンダーが姿を現す。するとシンの胸に付いた入りっぱなしのマイクが、狼狽の声実験 施設に響かせた。 『実戦の相手って、ショウさん……!?』 10、 『シン君、聞こえますか?』  いきなり届いたユージの声に驚いて、シンは相手コマンダーに釘付けになっていた視線をキャットウォー クへと移した。キャットウォーク上では、所長に向かってガンを飛ばすことを警戒されてかユージとキョウ コが手前に移動しており、シンの位置からは所長の姿が完全に見えなくなっている。3人の中で一番シン寄 りに立っているユージの耳にはいつのまにかインカムが着けられていて、研究員のミナに代わって場内のア ナウンスを行っていた。 『対戦相手は見ての通り、旧ガチャフォースの双璧と言われたショウ君です。人工ガチャボーグの性能を測 るためのデビュー戦として最高の相手を用意しました。存分に実力を振るい、正々堂々と撃破しなさい』  階上からこちらを見やりつつ話すユージの目には、遠目からでも分かるほどに覇気が無い。シンの脳裏に、 先ほどミサキから聞いた話が反響する。 ≪違うよ。もともと別の人が相手をする予定だったけど、ユージさんは私に変更したかったんだって。でも、 所長さんが変更を認めなかったの≫  ミサキの話から察すれば、ユージはもともとショウと自分との対戦を避けたがっていた。そんなユージが 心の底から「撃破しなさい」などと言ってくるはずがない。シンは確信を持って、今の言葉がユージの本心 ではないと看破した。それと同時に(またあの所長か……)と心中に毒づく。そもそもこの勝負、正々堂々 などというものとはかけ離れている。ショウには莫大なハンデが負わされているのだ。  コマンダーが発揮できるGFエナジーの量は13〜15歳でピークに達し、それから少しずつ減少していく。 今年で19歳になるショウと、ずっと訓練を続けてきた13歳のシンではGFエナジーの絶対量が違う。しかも ガルダの手の内を全て知っているシンに対して、おそらくショウはアクイラの情報を全く与えられていない だろう。 (こんな条件で、俺とアクイラが負けるわけないじゃないか!) 明らかに勝てる勝負を与えられている。その実感がシンのプライドを逆撫でした。 11、 『アクイラ、セイフティ解除。シンクロシステムの起動を確認。また、両コマンダーのGFエナジー計測を 開始します』  ミナの淡々とした、しかしやはり柔和な声が実験施設に響き渡る。  実験施設の広さはバスケットコートが3面とれる程度だが、子供と比べても10分の1のサイズしかないガ チャボーグにとっては広大な空間である。今その中空には、内壁部に近い位置を旋回し続ける2体のガチャ ボーグがあった。  一方は黒い装甲をまとった20センチほどのガチャボーグ≪ガルダ≫。もう一方は実験施設の壁と同じ、白 いカラーの人工ガチャボーグ≪アクイラ≫。こちらは頭頂高8センチ強という小型サイズなのも相まって、 油断すればすぐに見失ってしまう。この研究所のトップである所長もそのご多分に洩れないようで、そばに 立つユージに向かって「お……おい荒木。アクイラはどこにいった?」とうろたえ気味に問いかけていた。  ユージが壁の一角を指さして大まかな方向を伝えるが、所長の視力では追いかけきれない。ユージは仕方 なくインカムに吹き込んでシンに連絡を取り、アクイラを所長の眼前に寄せさせた。 「おお、ここにいたのか。しかし、錦織はよくも目で追えるものだな」  散らかした部屋の中から大事なおもちゃを探し当てたような声を出しつつ、所長は防護ブロックの中に立 つシンの方へと視線をやる。だが、先ほどまで透明だったはずの防護ブロックは外壁と一体化するように白 く塗りつぶされており、内外の情報を完全にシャットアウトしていた。 「な、なんだあれは! 錦織はこちらを見ずに操っているのか!?」  狼狽する所長。しかしユージは冷静に対応する。 「はい。シンクロシステムの恩恵です」  シンを見やっていた所長が、ユージの方へと頭を振る。その視線に促されて、ユージは二の句をつなぎ始 めた。 「人工ガチャボーグは自意識を持たないため、一挙手一投足にまでコマンダーが指示を与える必要がありま す。裏を返せば、コマンダーが常にガチャボーグの状態を把握していなければ操作はままなりません。例え るなら、ラジコンヘリのようなものです」 「なるほど……視界の外に出られてしまえば、操作はできないということか」 「おっしゃる通りです。ガチャボーグが視界外に消えても操作を可能にするために開発されたのが、シンク ロシステムです。これにより、コマンダーの意識をガチャボーグのデータクリスタルに投影することで、視 覚、聴覚、触覚をガチャボーグと共有することができます」 「ほう、それは素晴らしい。距離に関係なく操れるのならば、偵察にも暗殺にも使えるということだな」  所長は再びアクイラに視線を戻し、感嘆した様子で見つめている。その背後で、ユージは小さく溜息を吐 いた。  もともとシンクロシステムは宇宙空間に浮かぶデスブレンとの戦いを想定して開発したものだ。なのにこ の所長は人工ガチャボーグを対人類用の兵器としか捉えていない。……いや、それは所長だけに限らない。  人工ガチャボーグの開発予算はあくまで新兵器開発のためとして割かれている。このプロジェクトそのも のが、ガチャボーグを対人類用の兵器としか想定していないのだ。  たった8年前に人類絶滅のさらに上をいく地球消滅という危機に直面したにもかかわらず、もうそのこと を記憶に留めていないというのか。ユージの溜息には、先頭に立って地球を守りぬいた者として、周囲に対 する愕然とした思いが混じっていた。 12、 『GFエナジー計測完了。訓練生第1期、錦織シン。実測値3000です』  ほぼ予測通りの結果ではあったが、それでもユージは数値の高さに感嘆した。3000といえば4年前のGブ ラック戦のとき、ちょうどピークを迎えていたコウやショウと同じ数字である。しかし問題なのは今のショ ウだ。ピークを過ぎて4年を経た数字は、どれほどになるのだろうか。 『続いて旧ガチャフォース、鷹見ショウ。実測値2400です』 「ハハッ、聞いたか荒木! これは勝ったぞ!」  ミナのアナウンスを聞くや、所長が歓喜の声を上げた。決して低い数字ではないが、シンとの開きが20% もあるとなれば、まず勝つことはできないだろう。  ユージは所長に苦みを含んだ笑いで応じると、一応の伺いを立ててから十数歩離れたところへと移動した。 その背中を目で追ったキョウコが、何かを決意したような面持ちでユージの後を追う。二人は合流したとこ ろで、所長に聞かれないほどの声量でやりとりを始めた。 「困った状況になっちゃいましたね」 「ええ。計画に不確定要素が混じるのは避けられないでしょう」 「一応、まだ一縷の望みを残してはいますが……」  言いながら、ユージは実験施設の中へと視線を転じる。透明な防護壁に隔てられた向こう側では、ちょう どガルダとアクイラの実戦が始まったところだった。  5メートルほどの距離を置いて滞空する両ガチャボーグは、戦闘開始直後に飛び道具を交錯させつつ天井 近くまで高度を上げた。互いに直撃はなかったものの、アクイラが放つビームニードルガトリングの方がガ ルダのファイヤーボールよりも性能面で上回っており、ファイヤーボールの大半が相殺されて落とされてい る状況のなかでも、ビームニードルの細長い光弾は凶暴なエネルギーを帯びたままガルダの足先をかすめて 過ぎた。 「おぉ、さすがは特別製だな!」  ユージとキョウコが離れたため解説役を失った所長は、アクイラの仕様書を片手に観戦を楽しんでいた。 いま放たれたのが主力兵器のビームニードルガトリング。銃身は腕と一体になったトンファー状の武器に内 蔵されており、ガトリングタンクの連射力と、キラーガールのアサルトライフルを超える弾速を両立させた 高性能兵器だと書いてある。  足先をわずかに焦がしたガルダは射撃戦では不利だと判断し、開始位置から高度を上げる間にチャージし ておいたファイヤーボムを発射した。これを盾にしつつ、アクイラとの距離を詰めていく。その間にも、ア クイラがファイヤーボムを下方向に回避すると読んで、ファイヤーボールの照準を低めに合わせておいた。  ガルダの予想通り、アクイラは高度を下げてファイヤーボムを回避する。しかしガルダがファイアーボー ルを放つより早く、アクイラはガルダの50センチ下方を高速ですり抜け、背後へと過ぎ去っていった。  あらかじめ照準を合わせていたのにも関わらず、発射のタイミングを逸した。ガルダはその事実に一瞬の 狼狽を見せたものの、すぐに切り替えてアクイラの方へと体をひねる。するとアクイラは、すでに10メート ル以上の彼方を飛行していた。 (なんて速さだ!)  ガルダは心中に吐き捨てた。ウイングボーグ族の平均飛行速度は秒速3メートル程度でしかない。だがア クイラは2秒足らずの間に10メートルもの距離を飛び去っている。ウイングボーグどころか、サイバーニン ジャ以上のスピードだ。 「ショウ! バーストだ!」  正面下方にいるショウに向けて、ガルダは躊躇なく叫んだ。現状の性能差ではアクイラを捕まえることは できない。バーストして能力を底上げし、アクイラを捕まえるか、それができなくても機動性を奪える程度 の損傷を与えておかなければならない。  しかし、ガルダがバーストの光を纏うことはなかった。コマンダーであるショウは、ガルダと視線を合わ せたまま無言で首を横に振った。 「なに言ってんだ! 早くしねえとまた来るぞ!」  抗議の言葉とともに、ガルダはブレードを保持した右腕を振り上げる。その腕がいつもより妙に軽く振れ たように感じて、右手にあるはずのブレードを見やった。 「これは……!?」  3段の波状になっているガルダブレードのうち、手元の1段分だけを残して、そこから先が消え失せてい た。すれ違いざまに何らかの攻撃を叩きこまれた結果なのだろうが、ガルダはブレードが無くなっているこ とを今の今までまったく認識することができなかった。  いくら接近戦に持ち込んだところで、ブレード無しで勝負ができる相手ではない。先ほどのショウの首振 りは、ここで投了すべきという意思を示したものであった。 13、  施設内にミナの声が響き渡る。 『ガルダのコマンダーより、実験終了の申し出がありました。実験を一時停止します』  アナウンスを受けて戦闘を停止したガルダ・アクイラの両機は、それぞれにコマンダーの眼前へと戻って いく。実験はまだ中断に過ぎず、これから所長が実験続行の可否を下さねばならないのだが、当の所長は判 断を仰ぎに来た研究員をそっちのけにして仕様書に夢中になっていた。 「ええと……いま使った武器はこれか?」  アニメロボット図鑑でも扱うような気楽さで、所長は仕様書をパラパラとめくっていく。さきほどアクイ ラがガルダと交錯した際、ガルダブレードを両断するために使用したハイパービームブレードの項目にたど り着いたところで指を止め、そこに書かれている概略の文章をじっとりと目で追い始める。 《両腕に装備されたユニットから前後に伸びる高出力のビームブレードで、最大出力で50センチの光刃を発 生させる。光刃は前後にスライドさせることが可能。機動性に優れたアクイラの特性を活かし、高速移動中 に敵と交錯した際に起動させ、そのまま離脱するという運用方法が基本となる。脚底部に装備されたロング ビームブレードも同様の運用を基本とする。》 「ほぅ、足の裏にも剣があるのか。どの方向から敵機とすれ違っても斬りつけられるというわけだな。まさ に死角無し。無敵のガチャボーグではないか」  満悦至極の笑みを見せながら、所長は仕様書をたたんだ。隣に立つ研究員は好機とばかりに言葉を発しよ うとしたが、それは防護壁を隔てた内部から聞こえてきたビーム音に割り込まれた。  所長から見て左から右へと細長いビーム光が走っていく。この光には見覚えがある。アクイラのビームニ ードルガトリングだ。 『攻撃をやめてください! 続行の指示はまだありません!』  突然入ってきたミナの声が、この事態が異常であることをスタッフ全員に伝えた。続行の指示がないのに 攻撃した。それはすなわち、シンが独断でアクイラを前進させ、ガルダに攻撃を仕掛けたのだ。  完全に虚を突かれたガルダは、殺到したビームニードルに左腹部を削り取られた。損傷はデータクリスタ ルに近い位置にまで達している。この状態で先ほどのビームブレードを叩きこまれたら、両断に至るのは間 違いない。  そういった最悪の事態を想像をしながらも、ガルダは急接近してくるアクイラに向けて牽制のファイヤー ボールを連射する。同時に高度を下げて回避行動に移ろうとしたが、アクイラの機動性の前には悪あがきに しかならなかった。  放たれたファイヤーボールはたやすく回避され、大きな2枚翼を全開にして飛行するアクイラが迫ってく る。距離にして3メートル。もはや1秒の余裕も無い。その右腕に光が集中し、ブレード状に変形するのを ガルダは見た。  直後、広い実験施設の中に硬質な音が響き渡る。アクイラの機体はスピードを保ったままガルダと衝突し、 2体のガチャボーグはもつれたまま、ショウが中に入っている立方体の正面に激突した。  目の前で突如繰り広げられたまさかの事態に、スタッフの誰もが言葉を失っている。重い沈黙と静寂が、 実験施設をつかの間支配した。  やがて、アクイラの機体が糸の切れた人形のように壁から剥がれ落ちた。背中の翼は2枚とも健在である にも関わらず、重力に引かれながら落ちていく。地面に機体をぶつけるまで落ちても、アクイラが動く気配 はない。機能を完全に停止させられているようだ。 「ガルダ! おい、ガルダ!!」  眼前のガルダに向かって、立方体の中からショウが叫ぶ。ショウの位置からはガルダの背面しか見えない。 背面に傷がないことからデータクリスタルを貫通されてはいないと推察できたが、それでも安心はできない。 データクリスタルに損傷があれば、ボディを二度と再生できなくなる可能性がある。 「おい、返事をしろ!」 「……うるせぇな、大丈夫だよ。データクリスタルはやられてねぇ」  ガルダは壁から身をはがし、ショウの方へ振り返って見せた。ビームニードルによって手ひどくやられて はいるが、ハイパービームブレードによる損傷は見当たらない。 『ガ……ガルダの生存を確認しました。アクイラへの緊急停止信号が間に合ったようです……』  ほっと胸をなでおろしたような、腰が抜けてしまったような、なんとも脱力した声でミナがアナウンスし た。  続いて、妙に冷静な声のユージが口元のマイクに吹き込む。 『アクイラ、ガルダの両機体を回収。すぐ修理に当たってください。それから錦織のいるボックスのドアを 今すぐロックするように。追って沙汰が下るまで、閉じ込めておいてください』  アナウンスを終えると一つ重たい息を吐いて、ユージはインカムのスイッチを切った。 「一縷の望みは絶たれましたね」  スイッチを切ったことをもう一度確認しつつ、隣にいるキョウコに話しかける。キョウコはいつも以上に 硬質な声色で「発表会当日は、錦織を拘束するための人員を用意しましょう」と返してきた。それにユージ がうなづくと、キョウコはさっそく準備をするために、キャットウォーク上に備え付けられたエレベーター へと向かっていく。  一人残されたユージは、所長の方へと歩みを進める。その距離が3歩にまで近づいたとき、抑えた声で質 問を投げかけた。 「今のアクシデント、どう思われます?」 「錦織が旧ガチャフォースを攻撃したのはプラスだな。発表会前に、良い材料を得た」  所長の顔が喜悦に歪む。このおぞましい顔を見たら、シンは所長に殴りかかるかもしれない。しかし、殴 られるときは同罪の自分も一緒なんだろうなと、ユージの心は自嘲の境地にあった。 14、  立方体に閉じ込められたシンは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。立方体の中は光さえ遮断されて いて、長くいれば闇の中に身体が溶けてしまいそうだ。シンは先ほどまでショウがいたはずの正面の一点を 見つめながら、深い意識の底に潜っていく。 意識の底には澱がたまっている。これはなんだろう。ずっと前からあることは知っていたけど、澱の正体を 知ることだけは避けてきた。避けてきた理由も分からない。ただこの澱が、ショウさんの背中を追うたびに 溜まっていくことだけは知っている。だからオレは澱をためることのないよう、ショウさんとは別の道を探 そうとしていた。ユージさんはそれを理解してくれて、ナンバー1のユニフォームをくれたんだ。 ……だけど、今はなんだか澱が少なくなっているような気がする。いままで増えることはあっても、減るこ とは無かったのに。減った原因は……ショウさんと戦ったからだろうか? いや、違う。お互いにホワイトシグマを使った模擬戦なら、これまでに何度か戦ったことがある。 じゃあ、どうして減っているのだろう? ……ああ、そうか。 勝ったからか。 どんな条件でも構わないんだ。 勝てば、減るのか。 有利な条件を与えられての戦いだったのに、俺は命令違反を犯してまでガルダに攻撃を仕掛けた。 勝てば澱が減るんだってことを、無意識に自覚していたせいだったのか。 ……でも、減ったからって何になる? 俺とショウさんでは違う。 いくら俺がショウさんに勝ったからって、意味がない。 だって、俺はいなかったじゃないか。 旧ガチャフォースに。 俺にはないじゃないか。 ショウさんとリンとの間にある絆が――。  “リン”という名前が出てきて、シンの脳裏には電流が走ったような衝撃があった。同時に、自分自身へ の失笑がこみ上げてくる。 (なんだ、単純なことじゃないか。俺はまだリンのことを諦めきれてなかったんだ。だからショウさんに勝 って、俺の方が強いんだってことを証明したかったんだ……)  自分自身のあまりにも子供じみた感情に、シンは喉を鳴らして笑い始めた。 (過去に戻ることなんてできやしない。もうどうやったって、俺が絆を手に入れることはできないんだ。リ ンのことは諦めるしかない。諦めるしかないんだ。諦める他にないじゃないか……)  背後から強烈な光が差し込んでくる。自分を捕縛しに来たセキュリティの人間が入ってきたのだろう。先 ほどガルダに対してあれほど激しい攻撃を見せたはずのシンは、何の抵抗も見せることなく立方体の床へと 身体を倒され、そのまま意識を失っていった。 15、  2011年5月2日、月曜日。カレンダーに並ぶ休日の中に、飛び石のように刻まれている平日の片翼。  この日、サハリ町に居鎮まるガチャボーグ研究所では、発表会に向けた最後の打ち合わせが始まるところ だった。会場となる第1会議室には、20畳ほどの部屋の中央に大きな長方形のテーブルが一つ配置され、そ の長辺にはそれぞれ3脚ずつのカンファレンスチェアが設置してある。入口から見て上座にある3脚の椅子 には所長とユージ、それからユージの補佐役であるキョウコが座っており、対する下座には訓練生代表とし てナナ、研究者代表としてミナが座っていた。  所長は下座のひとつが空席になっているのをジロリと見てから、悪態をつくような声色でミナに向かって 吐き出す。 「あと一人はどうしているのかね?」 「飛行機に遅れが出たそうです。ですが数分のことなので、開始予定時刻には間に合います」 「ふん……10分前に来るのが礼儀というものだろうに」  言いつつ、所長は椅子にふんぞり返る。そのままの体勢で首だけを右にひねり、今度は隣に座ったユージ に向かって「私も忙しい身なんだ。どうせ今日の打ち合わせは海原君への説明がメインなのだから、もう始 めてはどうかね?」と苛立ち混じりに提案した。これには、すかさずミナが反応する。 「待ってください。私への説明とは一体、どういうことですか?」  いつもの柔和な声を尖らせて、ミナは所長に問うた。研究者として人工ガチャボーグ開発計画に深く携わ り、長年の開発成果の発表を心待ちにしていた身上から、発表内容について知らないことなどあってはいけ ないという誠実で生真面目な思いがあったせいだ。  真剣な眼差しを向けるミナに対して、所長は相変わらずふんぞり返ったまま動こうとしない。所長に説明 を求めようとミナが唇を動かして二の句を繋ごうとしたとき、思いもよらぬ方向からかすれた声が聞こえて きた。 「ごめんね……ミナ姉ちゃん……」  ミナは目を見開いて驚いた表情を作りつつ、右隣に座ったナナの方へと頭を振る。ナナは上半身ごとうつ むいていて、その身体はわずかに震えていた。ナナの眼前にある長方形のテーブルにはポタリポタリと、透 明なしずくが落ちている。 「ナナ……どうして泣いているの?」  ナナの背中に手を添えつつ、ミナはいつもの優しい声で尋ねた。しかしナナは質問に答えることなく、嗚 咽を漏らし続けている。  ミナは顔を所長へと戻し、鋭い声色で「あなた、ナナに何をしたの!」と問い詰める。ふんぞり返ってい た所長はようやく身体を元の位置に戻し、正面からミナの顔に粘ついた視線を絡ませると「邪魔者を殺せと 命令しただけだよ」と口元に笑みすら浮かべて言い放った。ミナは立ち上がり、珍しく声を荒げて詰問する。 「邪魔者を殺す? 一体、誰が邪魔者だって言うの!?」 「そんなに詮索しなくても、ちゃんと説明してあげようじゃないか。なぁ、荒木」  所長は隣に座ったユージの肩を、気安げにポンと叩いた。 「ユージ君!? あなたも共犯なの……?」  狼狽するミナの様子を喜劇でも見るようにケラケラと笑いながら、所長はさらに続ける。 「荒木だけじゃないんだなぁ。君を除く、ここにいる全員が共犯者なんだよ。六節も、三枝も、そしてもう 一人……おお、ちょうど来たようだな」  部屋の外から、革靴の乾いた足音が聞こえてきた。音はだんだん大きくなり、続いて会議室のドアが押し 開けられる。開いたドアの陰から現れた人物の姿を見て、ミナは足元の床が消失したような脱力感に襲われ た。 「君の婚約者でもある、猫部君もね」 16、  2011年5月3日、火曜日。再び始まった3連休に合わせて、人々が各地に出かけていたころ。かつてGF コマンダーの一員としてデスブレンを退けた海原マナは、隣県のアパートを出てサハリ町にある実家に戻っ ていた。翌日に控える、人工ガチャボーグ発表会に出席するためである。  昨晩は実姉であるミナも、妹分であるナナも研究所に泊まり込みだったようで、せっかく実家に帰ってき ているのにその姿を見かけることはできない。彼女たちに電話をかけてもつながらないため、マナはずっと サハリ町で暮らしているリンに電話して事情を探ってみた。するとリンの弟分に当たる錦織シンも家に帰っ ていないとの証言が得られたため、ミナもナナも発表会の準備に忙殺されているのだろう、とマナは結論付 け、2人と連絡を取ることは諦めた。  それならば久しぶりにサハリ町を見て回ろうかと思案したとき、不意にマナの携帯電話が鳴り始める。そ の外部ディスプレイに表示された相手の名前を見て、マナは思わず頬を緩めるのだった。  電話の相手とジャングル公園で落ち合うことを約束したマナは、荷物の中から日よけ帽子をつかむと、家 族に行き先を告げる間もなく家を出ていた。マナの家からジャングル公園までは、歩いて数分の距離しかな い。ほどなく公園に到着したマナは、既に到着しているであろう電話の相手を探して視線を巡らせた。  ジャングル公園の様子は、マナがガチャフォースとして活躍していたころとほとんど変わっていない。変 わったところと言えば鉄棒に多少の錆が浮いている程度で、だれが作ったのか分からない砂山も、放置され ているバケツとスコップも、まるで当時の写真を見るかのように同じ場所にたたずんでいる。  マナは電話の相手が花壇の淵に腰かけているのを見つけると、小走りに近づいて行った。 「カケル君!」  その声を受けて、カケルの方もマナに気づく。ゆっくりと首を動かし、マナに向けて微笑みを作って見せ る。カケルの優しげな仕草は、小学生の時から少しも変わらない。 「カケル君もこっちに戻ってたんだね。サークルの用事が残ってたみたいだから、まだ帰ってないと思って た」 「本当は明日の朝に戻るつもりだったんだけどね。サスケが帰ってくるって聞いたら、なんだかいてもたっ てもいられなくて。残ってた用事は頑張って終わらせて、早めに戻ってきたんだ」 「そっか……サスケが戻ってくるのって、もう6年ぶりだもんね」  6年前に起こったGブラックとの戦いの後、全てのパートナーボーグは新しいメガボーグに向けて旅立っ ていった。2年も経たないうちにガルダとビリーは戻ってきて、それ以来ずっと地球に住んでいるのだが、 他のガチャボーグたちは1年ごとに2〜3体のペースで、帰っては旅立ってを代わる代わる繰り返していた。  しかし今回は例外で、全てのパートナーボーグが地球に帰ってくるという。彼等は4つのガチャボックス に分乗して地球に向かっているため、全てのパートナーボーグが同時に帰還するわけではないが。カケルの パートナーであるサスケは、明日の夜に到着する第1便で地球に降り立つ予定だ。 「6年ぶりか……。本当に、話すことがいっぱいあるなぁ」  カケルは息を吐きながら、感慨深げに青空を見上げた。この空から降りてくる友人と一緒に過ごした時間 よりも、離れていた時間の方が長くなってしまったことに、どこか物悲しさを感じていた。その心情を汲み 取ってか、マナは明るい声で提案をする。 「まずは発表会のことから、話したらどうかな?」 「うん。サスケ達の到着は夜になるから、発表会には間に合わないからね。本当ならもうちょっと早めに出 発して、発表会にも参加するつもりだったって聞いてるけど……でも、サスケに話せることが一つ増えたっ て思えば、嬉しいことだよね」  そう言って、カケルはまた微笑んで見せた。  明日の発表会では、マナにとって妹にも等しいナナのパートナーボーグが発表される。マナは、ナナとパ ートナーボーグの関係も、カケルとサスケのような素晴らしい関係であればいいな、と心から願った。  同刻、ナナは研究所のメディカルルームで横になっていた。昨日ミナの前で泣いてから精神的に不安定に なっており、今日の未明からメディカルルームでの投薬を受けていたせいだ。その表情には覇気が無く、両 の目じりには涙の跡が鮮やかに浮かんでいる。 「どうして、サスケ達を殺さなきゃいけないの……どうして……」  ナナはキョウコから伝えられた命令を口の中でまた反芻し、再び目じりに涙を浮かべた。 17、  2011年5月4日、水曜日。拘束を解かれた錦織シンは、研究所ロビーのソファーに座っていた。そこから ガラス張りのドア越しに見える外の景色は、すでに夕暮れの色に染まっている。  シンが解放されたのは拘束されてから丸3日が過ぎた、今日の正午になってからだった。そのあいだ外界 との情報から隔離されていたシンは、今日の発表会が地下の実験施設で行われるという情報すら、つい先ほ ど仕入れたばかりだった。 「ったく、主役を本番直前まで閉じ込めとくなんて、上の連中は何考えてんだか!」  そう吐き捨てたのはシンではない。シンの隣に座っている同い年の訓練生、近藤和人(コンドウカズト) だ。  ガチャボーグを操る実力は上の下といったところだが、小隊の指揮能力ではコタローに続いてナンバー2 の実力を持つため、彼が率いる小隊だけが他より隊も1機多い、4機での編成となっている。彼個人の人柄 を見ても面倒見のいい性格で、拘束を解かれたばかりのシンに対して、この3日間の情報を事細かに伝えて くれていた。 「そう責めてやるなよ。拘束されたのは俺が勝手にガルダへ攻撃したせいだってこと、カズトも知ってるん だろ?」 「そりゃそうだけどさ。でも正直、俺はシンの行動も理解できるんだよ。兄貴分が情けない状態になってた ら、喝を入れて奮い立たせてやるのも弟分の仕事だろ? 特にお前は、何カ月もショウさんに代わってリン さんの面倒を見てきたっていう事情があるじゃんか。俺だったらそんなの耐えられねえよ。ガチャボーグを 通して殴るなんてヌルいことはしないで、生身で直接殴りに行くね」  シンは思わず苦笑した。こうまで自分の側に立ってくれるカズトになら、少しだけ本心を打ち明けてもい いかもしれない。 「カズト……俺さ、ガルダを殴りに行ったんじゃないんだ。不意打ちまでして、全力で殺しに行ったんだよ」 「ウソつけ」  意を決して打ち明けた本心をいきなり全否定されて、シンは思わず「えっ?」と漏らした。 「おまえさ、バースト集中できたよな?」 「うん。5秒くらいだけど……」 「じゃあなんで不意打ちのときに一撃で仕留められなかったんだ? お前の専用機ってそんなにショボイ武 器しか積んでねえの?」 「いや、そもそもバースト自体使ってなくて……」 「なんだよ! じゃあ手加減してたんじゃんか。どこが“全力で殺しに行きました”だよ!」 「あ……そ、そうだな。確かに全力じゃなかったかも。使った武器だって、わざわざ効率の悪いものを選ん でいたし……」 「だろ? どんなに不満を持ってようが、お前はショウさんの相棒を殺すなんてマネはしないよ。今回のこ とだって、ホントはショウさんに気合を入れたかっただけなんだよ。“どうした! しっかりしろ!”って な」 「……かもな。俺がショウさんに勝ったところで、リン姉さんの面倒を任されてることへのうっ憤を晴らす くらいにしか、意味を為さないもんな」 「別にそれでもいいんじゃねーの? お前は板挟みになってるんだし、それくらいさせてもらえよ」  シンが「そうかもな」と微笑を浮かべて返したとき、カズトのポケットに入っている携帯がアラーム音を 鳴らし始めた。カズトはめんどくさそうに携帯を取り出すと、表示された時刻を確認しつつ、アラームを切 る。 「もう6時かよ……。ホワイトウイング隊は第1会議室集合になってんだ。シンは6時半までに地下に来い ってさ」 「分かった。遅れないように行く」 「そんじゃあな。会議室のモニターから、お前の専用機のお披露目を見せてもらうよ」 「ああ。あんまりカッコよすぎて、お前が泣き顔で交換してくれって頼みに来るのを期待してるよ」 「ぬかせ!」  カズトはシンと別れて会議室の方へと向かう。その途中、手に持った携帯電話を操作し、ある人物にコー ルした。人物は1コールもしないうちに電話を取り、カズトへの感謝を告げる。 「ありがとう、カズト君。素晴らしい内容でした。ほとんどシナリオ通りでしたね」 「俺は本心のまま話しましたからね。いや、むしろ俺の本心に沿ってシナリオが書いてあったという感じか な。シナリオの書き手を務めたのは、あなたですか?」 「……そうです」 「そりゃすごい。まるで心の中を写されたみたいでしたよ。一体どこで俺の心を読み取ったのかは知りませ んけどね。だけど意外でした」  カズトの言葉に、電話の相手が口ごもる。カズトはそれに構うことなく、言葉を覆いかぶせていく。 「こんなふうに策謀を巡らすのは、ユージさんの専売特許でしょう? なのにあなたが一人でシナリオを書 いたなんてのは、とても意外なことでして」 「……集合時間は過ぎています。早く会議室へ向かいなさい」  カズトは内心に舌打ちしつつ「わかりましたよ。六節さん」と素直を装った。間髪いれずに通話を切ると、 やや憤然とした心境で、会議室のドアを引き開けた。 18、  ガチャボーグ研究所の第2会議室は、椅子やテーブルの配置が通常とは変えられていた。前方に大型モニ ターが配置されており、後方には長机と椅子のセットが何列にも並べて置かれている。一見すると、大学の 小さな講義室のようだ。  時計の針が18時50分を回って、室内はにわかに活気づいてきた。19時からスタートする発表会の様子を見 るため、かつてガチャフォースとして活躍したコマンダー達が集まってきたせいだ。 「おいおい。出席するって話だったのに、こっからモニターを見てるだけかよ」 「新型ガチャボーグ関連の施設は機密扱いだからな。立ち入らせない方が当然だろう」  たったいま席に着いたばかりのテツヤとメットが、8年前より低くなった声で話している。どちらもスー ツを着こんでいるが、ユージと違って着なれたという印象は無い。テツヤはスーツの前をだらしなく開けて いるし、メットは場違いなほど派手な迷彩柄のネクタイを締めている。 「なんだよ、つまんねえな。コタローとユージはモニターの向こうにいるんだろ? 目の前で動いてるトコ を見られるなんて、幸せもんだぜ」 「付け加えれば、ネコベーとミナも一緒だな。どちらも研究者だから、触れることさえできるだろう」 「あーあ、こんなことなら俺も研究所に勤めるんだったぜ」 「……妥当な役職が見当たらないが」  あきれ顔をするメットを横目に、リンは会議室に入ってきた。入口に立ちつくしたまま会議室内をキョロ キョロと見渡していると、それを目ざとく見つけたうさぎが席から立ち上がって手招きしてくる。リンはう さぎの隣の席が空いていることを確認してから、わざと会議室の後方を通って近づき、うさぎの隣に腰を下 ろした。 「遅かったね。リンが最後じゃない?」 「うん。ちょっと……ね」  歯切れの悪い言葉に、うさぎはピンときたようだ。 「そっか……。彼とは、ちゃんと話したの?」  うさぎに問われて、リンは言葉に詰まった。  6年前のGブラックとの戦いが終わったあと、うさぎはみんなに向かって一つの約束を立てていた。ガチ ャフォースのメンバーもそれに次々と賛同し、うさぎが立てた約束はあっという間にガチャフォース全員の 約束になった。もちろん、リンもその中の一人に入っている。その約束とは―― 「“苦しさは、言葉にして伝えること”。おせっかいだと思うけど、リンとショウって話もせず避けあって るように見えたから」 「……そうだよね」  思い返してみれば、ケンカしてからは互いが互いを避けるばかりで、まともに話をする機会をつくること すらしなかった。あんなに大きなケンカをしたのは初めてだったから、向こうも大きく戸惑ったのだろう。 もしかしたらショウは、どこかで話をする機会を作ろうとしたのかもしれない。だけど自分はショウへの当 てつけ半分にシンを家に住わませた。それがショウを遠ざけたのは、自明の理だ。 「自分一人でこもってないで、二人で話してみるといいよ。ショウはね、ずっと前からリンに本気なんだか ら」  優しく微笑みかけるように、しかしまっすぐな視線を投げかけながらうさぎは言った。再び押し黙ったリ ンが言葉を返そうと意を決したとき、とつぜん前方に設置されたモニターの中に、スーツ姿の男2人が映し 出された。 『ようこそガチャフォースの諸君。今日という素晴らしい日に集まっていただけたこと、心から感謝するよ』  モニターの中央に映る、60代前半と思われる小太りの男が喋っている。その脇には久しぶりに見るユージ の姿があった。 『大変急な知らせで済まないが、今回の発表会はイナリ山中腹での開催となった。そう、もうすぐ君たちの パートナーだったガチャボーグが降りてくるポイントだね。発表会の詳しいプログラムについては、君たち の同胞である荒木君にお願いしよう』 「へぇ、良い演出じゃんか。俺たちのパートナーと新しいガチャボーグが一緒に映るなんてさ」  テツヤが隣に座るメットに話しかけた。しかしメットは訝(いぶか)しむような表情で、「待て、おかし いぞ。どうして機密であるはずの新型ガチャボーグを外部に晒す必要がある?」とわざと大きな声で話した。 静まり返っていた会議室によく響いたメットの声は、ガチャフォースメンバーたちの精神に波紋を起こして いく。同時に、同じガチャフォースメンバーであるユージへと全員の視線が向けられた。小太りの男に代わ ってモニターの中央に出てきたユージは、眉一つ動かさぬ冷静さで淡々と言葉を並べていく。 『ガチャボックスの到着予想時刻は本日20時56分。我々新生ガチャフォースは20時40分から現場に待機し、 これを迎撃。搭乗しているガチャボーグ4体の破壊を実行します』  会議室の空気は凍りついた。モニターの眼前に陣取っていたコウが、後ろを振り返りながらか細い声で呟 く。 「なあ……? ユージのやつ、いま何て言ったんだ?」  その質問には誰も答えない。会議室にいる誰もが、ユージの口から流れ続ける冷酷な言葉を、ただただ凍 てついた脳で受信するのみだった。 『破壊の任務に当たるのは、猫部克己、錦織シン、三枝ナナの3名。バックアップとして、近藤カズト小隊 長と小隊員の3名にも出撃を命じます』 「ユージ!! 何のためにこんなことすんだよ!!」  モニターに向き直ったコウが、腹の底から叫んだ。 『人工ガチャボーグの開発能力が、一定水準に達したからですよ』 「……なんだって?」 『もはや、古いガチャフォースは不要になったのです。むしろ危険な存在と言っていい。我々の制御下に無 いガチャボーグは全て破壊せねばなりません。ビリーやガルダも含めてね』 「バカ言うなよ! シンもナナもネコベーも、そんなことに協力するわけないだろ!!」 『ええ。協力しては頂けないでしょうね。あなたがたの存在がなければ』  その一言を聞いたとたん、ショウが椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がる。いつのまにか閉められていた 会議室の出口をドアノブを回しながら押しあけようとするが、扉はびくともしない。 「窓はどうだ!?」  ショウの叫びに呼応して、コウが窓にかかったブラインドを引き剥がす。そこには鉄板が隙間なく降ろさ れていて、水の一滴も漏らさぬ態勢が敷いてあった。 「くそ、ガルダさえいれば……!」  ガルダはユージの手中にある。ユージはこれを見越してガルダを預かると言い出したのか。 『猫部さんにとっては別室でお預かりしているミナさん。シン君にとっては大切な血縁であるリンさんと、 兄貴分のショウ君。ナナさんにとっては姉妹にも等しいマナさんとミナさんが、それぞれ人質として機能し ます。果たして彼らは、人質を見殺しにするような非道な人物でしょうか?』  会議室にいる誰もが、モニターに映るユージを鋭い目で睨みつけた。しかしただ一人、カケルだけが優し い表情でユージに語りかける。 「ユージ君。僕たちはパートナーボーグと一緒に戦ったおかげで、今こうして生きていられるんだ。僕たち の力だけでも、パートナーボーグの力だけでも、生存は勝ち取れなかった。それを人間の都合で一方的に裏 切るなんて、あまりに酷いと思わないかい?」 『大きな力は、存在するだけで脅威です。ましてパートナーボーグたちは人工ガチャボーグと異なり、各個 に意思を持っている。その意思が人間への攻撃に向かないとは限りません』 「そんなことありえねえよ! おまえだってジャックと一緒にいたから分かってんだろ!!」  テツヤが額に血管を浮かべるほどの勢いで叫びを上げる。しかしユージは、やはり眉ひとつ動かさなかっ た。 『可能性があれば、潰すべきと考えるのは妥当です』 「……袂は、分かたれたというわけか?」  言ったのはショウだ。  これまでユージは、ショウを導いてガチャフォースとの絆を結ばせ、ガチャフォースを導いて人類の生存 をつかみ取り、戦いが終わってからは自らの将来を犠牲にしてみんなの将来を自由なものにした。ショウに とってユージは誇らしい友人であり、同時に恩人でもある。そんなユージがガチャフォースメンバーを人質 に取り、ガチャフォースメンバーにとって半身とも言えるパートナーボーグたちを殺すだなんて信じられな い。ショウの一言には、友に対する万感の思いが込められていた。 『僕はいつでも正義の味方ですよ、ショウ君。ただし、僕の正義と君の正義がいつも同じ方向を向いている とは限らない。それだけのことです』  モニターの電源が落ち、会議室の空気は静止する。あとはただ一度、ショウの拳がドアを殴りつける音が、 誰もが言葉を失った空間に空しく響くだけであった。 19、  午後20時31分、シンは再び車中の人となっていた。乗っている車はまたしても研究所の車なのだが、今回 の車は前回キョウコが運転していたものよりも大型で、シートは前後3列の8人掛けになっている。運転席 でハンドルを握るのはセキュリティチームに所属する屈強な男で、中部座席に座るシンの両脇にも同じ制服 を着た人間が無言で座っている。  車が山道のカーブに差し掛かったとき、シンがちら、とサイドミラーに視線をやると、シンの乗った車に 続いて2台、同じ車が列を成しているのが見える。これにはナナとカズト、それからカズト隊メンバーの、 合わせて5人が分乗しているはずだ。彼らもシンと同じように、これからサスケたち旧ガチャフォースを討 つためにイナリ山に向かっているのだ。  人工ガチャボーグに積み込まれているシンクロシステムにより、距離がどれだけ離れようともガチャボー グを操れるはずの訓練生たちがわざわざイナリ山に向かっているのは、戦意を喪失したことによってシステ ムとの連動率が悪化し、数百メートルの範囲でしかガチャボーグを操れなくなったせいだ。戦意喪失の原因 はもちろん、戦う相手がかつて地球を救った旧ガチャフォースであるからに他ならない。訓練生にとって、 かつてデスブレンを倒した旧ガチャフォースメンバーは尊敬とあこがれの対象だった。旧ガチャフォースメ ンバーのように地球を救うために戦いたいからという動機は研究所での厳しい訓練に耐えている一因でもあ る。そのパートナーを破壊する任務を与えられると分かっていたなら、誰も訓練に耐えようとはしなかった だろう。 (どうして、ユージさんは裏切ったんだ?)  シンは心中に疑問を渦巻かせた。兄貴分であるショウとユージは友達だ。親友と言ってもいい。シンにと ってもユージはずっと尊敬してきた人物だった。なのにユージはショウも、シンも、訓練生たちも、旧ガチ ャフォースメンバーも裏切ってみせた。これまでデスブレンやGブラックの魔の手から大切な仲間を守るた めに戦ってきたはずのユージが、一体どうして所長の計画に加担したのだろうか。 (分からない……)  シンは大きく息を吐きながら、ユニフォームの左肩についた『1』のナンバーを右手で握りしめた。同時 に、リンのことに思考を走らせる。もし自分が8年前にガチャフォースのメンバーになっていて、リンと共 に戦えていたなら、リンのことを諦めることはなかっただろう。自分がリンのことを諦めたのは、ショウと リンの間に、デスブレンとの戦いで得た強固な結びつきがあるからだ。過去にガチャフォースにいなかった 自分がその結びつきを獲得することは永遠に無い。だからこそユージは自分にナンバー『1』を贈り、自分 がショウの背中を追い続けて澱を溜めていくことだけに人生を費やすことのないよう、計ってくれたのだ。 (俺を導いてくれたあなたが行く道が、こんな裏切りの道だなんて……。それじゃあ俺は、どんな道を行け ばいいって言うんですか?)  シンは右手に力を込め、ユニフォームの左肩をさらに強く握りしめた。  車のエンジンが止まり、ライトが消え、シンはセキュリティメンバーの手によって外に連れ出される。今 日の月は新月で、もともと暗いイナリ山の夜は人間の希望などたやすく吸い込みそうなほどの暗闇に満ちて いる。  シンに続いて車を降りてきたナナやカズト、小隊のメンバーもその暗闇に思考をマイナスへと引っ張られ たようで、セキュリティチームの一人が点灯させた車のライトに映し出される彼らの表情は、一様に絶望の 感情を浮かべていた。 「現在時刻、20時36分か。お前らがゴネてもう少し遅くなるかと思ったが、どうやら素直にしてたようだな」  唐突に聞き覚えのある声がして、訓練生たちは声の方向へと視線を移す。いつの間に合流していたのか、 黒いスーツを着た背の高い男がセキュリティチームの一角を分けるようにして立っていた。その手には訓練 生達が扱うのと同じ、量産型のガチャボーグ≪ホワイトウイング≫が握られている。 「おいおい、どいつもこいつもしけた面してんなぁ。これが新しいガチャフォースにとっての初任務だぞ?  きっちりやっていこうぜぇ」  どこか気の抜けた声で話しているスーツの男に、カズトは容赦なく噛みつく。 「仲間殺しの実行犯をやるっていうのに、ずいぶん積極的なんですね。人質がいるから仕方なくやるってん ならまだ人情家だと思ってましたが、猫部さんがここまで見下げた人間だとは思いませんでしたよ」  刃をむき出しにしたようなカズトのセリフを浴びても、ネコベーは平然と返す。 「そういう発言は慎んだ方がいいぜ、カズト。人質は旧ガチャフォースメンバーだけじゃねぇんだぞ? お 前が何を思おうが勝手だが、任務放棄の代償が何なのかくらい、よく分かってんだろ?」  言われてカズトは押し黙った。憎しみを込めた視線をネコベーに送った後、やるせの無い怒りを背後に生 えている樹木に蹴りの形でぶつける。その背中を見やりつつ、ネコベーは続ける。 「気乗りのしない任務かもしれねーが、俺たちに拒否権は無い。任務の内容は単純。旧ガチャフォースのボ ーグがガチャボックスから出てきたところを叩いて破壊する。これだけだ。ガチャボックスは回収して研究 所で利用するから、傷は付けるなよ。分かったか?」  ネコベーは訓練生達を見渡す。うつむいてベソをかいているナナに視線をやったところで動きを止め、再 び言葉を続ける。 「おいナナ、もう泣いてる暇は無いんだぞ。お前は狙撃役なんだ。第1射の攻撃をして戦端を開くのも、包 囲網の外へ逃げたボーグを狙い撃ちするのも、お前の仕事なんだぞ? しゃきっとしろ」 「……そんなこと、できない」 「できなきゃ、研究者のミナはともかく、マナはどうなると思う? 人質としての価値が低下したと思われ たら、容赦なく切られるぜ」 「……でも、ナオは死んじゃうんでしょ? ナオも、私にとってはお姉ちゃんだよ。お姉ちゃんを撃つなん て、できっこないよ」 「じゃあ、代わりにコタローに撃ってもらうか?」  ナナはあっけにとられた表情になって顔を上げ、「えっ?」とネコベーの顔を見た。 「コタローもイナリ山の別の場所で配置についてる。ビリーと一緒にだ。コタローとビリーの手に仲間を撃 たせるのと、お前が人工ガチャボーグを使って撃つのと、どっちがいい?」 「そんなの……」 「選べる選択肢はお前が撃つ方しかないだろ? だったら早く配置につけ。お前が使えないと判断されたら、 すぐにでもコタローが狙撃するよう、命令が飛ぶぞ」 「……そんな、私……」  戸惑うナナの肩に、シンはポンと手をやった。 「ナナが撃つ必要はないよ。……猫部さん、アクイラのビームランチャーでも第1射としては十分でしょう?」 「ああ。威力としては問題ねぇ」  シンは一度「だったら……」と前置きしてから、ネコベーの目をまっすぐ見据えて宣言する。 「旧ガチャフォースは全部、俺とアクイラでやります。他のメンバーには包囲を固めさせてください」 「そいつは認められないな。アクイラ1機だけじゃ、撃ち漏らしの危険が大きくなる」  提案を跳ね返されたシンだったが、それでもネコベーへのまっすぐな視線は曲げなかった。むしろ強くな った眼光をネコベーに送りながら、きっぱりと言い切る。 「じゃあ猫部さんも入ればいい。2機いれば、リスクは低く抑えられます」  ネコベーは「ほぅ」と感心したように息を吐きながら「……わかった、それでいこうじゃないか」と応じ た。  研究所を出る前に聞いた配置をもう一度確認してから、訓練生達とネコベーはそれぞれに散っていった。  そのポイントに向かう途中、シンは月の無い夜空を見上げた。今日は星がよく見えている。  8年前はこの夜空からイナリ山に降りてきた流れ星が、人類にとっての希望となった。だけど今、自分は 降りてくる流れ星を打ち砕かなくてはならない。それは8年前に旧ガチャフォースに所属してリンと共に戦 いたかった自分にとって、一緒に戦いたかったというその思いを粉砕することと同義だ。それによって旧ガ チャフォースは永久に滅びてしまうのだから。  そうすることで完全にリンを諦めることができれば、自分の道を行ける。ユージが引き起こしたこの裏切 りのシナリオは、結局はナンバー『1』をくれたことと矛盾しない。ユージの行動が一貫しているのだと気 付いたシンは、ユージが自分にナンバー『1』を渡してくれた時が裏切りの始まりだったのかと思い至った。 両肩についている『1』の数字が、まるで呪われた十字架のように、奇妙なほど重く感じられた。  時刻は20時54分。まもなく、新ガチャフォースによる旧ガチャフォースの殲滅が始まる。  月明かりの無い、星たちが自由に瞬く空からひとつだけ、きらりと輝く星が流れ落ちてくる。  それを地上から見上げつつ、アクイラにGFエナジーを送信し始めたシンは、あることに気がついた。 「星が……消えた?」 20、  先ほどまで輝いていたはずの流れ星が、ひと呼吸もしないうちに消え失せていた。シンは一度目をこすり、 再びあるはずの流れ星を見上げる。すると、流れ星は再び姿を現していた。 「あのガチャボックス……点滅しているのか?」  呟いたシンの視線の先で、流れ星は数秒周期の明滅を繰り返していた。サハリ町へ落下するためには減速 をかける必要があるため、それに伴って明滅しているのかとも思えたが、ガチャボックスの速度を変化させ るためにいちいち明滅を伴う必要はない。 (妙だな。何かの合図か?)  シンは心中に疑問を湧きあがらせる。ガチャボックスに乗っているボーグたちが、自分たちの殲滅計画が 動いているという情報を何らかの手段で入手したのだろうか。 (……いや、仮に知りえたとしても旧ガチャフォースに呼応する戦力はない。それに、ガチャボックスの降 下軌道は変更されていない。気付かれてはいないはずだ)  冷静な頭でそう判断したシンは目を閉じて、アクイラへのGFエナジー供給を再開させる。その瞬間、シ ンの背中を突き飛ばすように強風が駆け抜けていった。風につられて動いた木々のざわめきに精神を揺らさ れたシンは、いつのまにか自分の背中に冷たい汗が浮かんでいることを知覚した。  この感覚には、覚えがある。  これが平常時なら、感覚を覚えた時はいつだったかを記憶の中から検索するものだが、今回に限ってその 必要はなかった。シンの体ごと潰してしまいそうな強い圧迫感を持つ存在など、人生の中で一度しか遭遇し ていない。  シンは目を開き、夜空を見上げる。先ほどまで瞬いていた満天の星が全て消え失せていた。もちろん、星 たちがガチャボックスと同じように明滅しているというわけではない。“巨大な何か”が星たちの光を遮っ ているせいで、シンの網膜に光を届けられなくなっているのだ。 「まさか……あいつが?」  シンは再び目を閉じてシンクロシステムを起動させ、アクイラのアイセンサーから送られてくる映像を瞼 の裏に映し出す。  映し出された映像はシンが肉眼で見るよりもはるかに高解像度の映像だった。しかしそれでも上空には、 ただの真っ暗な空があるばかりだ。そこでシンはアクイラに、アイセンサーのモードを特殊金属に反応する モードに切り替えるよう、脳内で指令を送る。  モードが切り替わり、空一面に映し出された“者”を見たとき、シンは目を開いて叫び声を上げた。 「デスブレンだ!!」 「デスブレンが現れただと!?」  所長は座っていたパイプ椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がりつつ、驚きの声を上げた。旧ガチャ フォースメンバーを第2会議室へ閉じ込めてモニター越しに引導を渡したあとの仕事は、パートナーボーグ たちが破壊されたという報告を待つばかりだと思っていたため、研究所地下にある開発スタッフ用の休憩室 でコーヒーを飲みながらくつろいでいた。そこへ、寝耳に水の報告である。 「それは本当なのか、荒木!?」 「遺憾ながら事実です。これからの対応についてですが……訓練生達を出撃させるべきでしょうか?」  質問を投げたあと、ユージは心の中で付け加える。 (訓練生をデスブレン討伐に出撃させるのなら、人工ガチャボーグを巨大化させたうえにフルパワーで戦わ せざるを得ません。世界中にその姿をさらすとなると、人工ガチャボーグの情報を小出しにしたかったあな たにとっては大打撃でしょうけどね)  問われた所長は「ぐぬぅ……」と唸ってから「人工ガチャボーグを世界中にさらすわけにはいかん!」と 声を荒げる。  ユージは心の中でわが意を得たりと唱えながら、所長の次の言葉を待った。 「パートナーボーグの破壊は中止だ! 旧ガチャフォースを出撃させろ!」 「了解しました。指揮は私が取りますが、よろしいですか?」 「君より適任はいないだろう。善処してくれ」  ユージは「かしこまりました」と返答するやいなや、地下の実験施設に併設されている指揮所へと足を向 けた。その姿が休憩室の扉の向こうに消えてから、所長は力が抜けたようにパイプ椅子に座り、背もたれに もたれかかる。 「栄光の一歩目が、まさかデスブレンに邪魔されようとは……」 「失礼します」  不意に扉の方からかかってきた言葉に反応して、所長は首をひねってそちらを見やる。  見ると休憩室の入り口にキョウコが立っており、その背後には何故かセキュリティの人間が2人、こちら を見下ろすように立っていた。所長は不快感を隠そうともせず、キョウコに言葉をぶつける。 「一体なんだね、その2人は。こんなところで油を売ってる暇があったら、デスブレンへの対応策の一つで も……」 「“上役”より、あなたを拘束するようにとの命令です」  キョウコに割って入られても、所長は怒りの感情を見せなかった。むしろあっけにとられた様子で、口を 半開きにさせたまま静止している。そのままの姿勢で数秒が過ぎ、やっと動いた口から出てきたのは「ばか な……」の一言だけだった。 「人工ガチャボーグの開発成功による、ご自身の地位向上を目指された点については問題ありません。しか し、他勢力へ情報を売り渡すことで保身を図った点については、看過できません。後の処分については直接 “上役”が下されることでしょう」  キョウコが言い終わると同時に、休憩室に入ってきたセキュリティの人間が2人がかりで所長を取り押さ える。放心状態にある所長は抵抗のそぶりすら見せることなく拘束され、休憩室の外へと連れられて行った。  これで、所長がガチャボーグ研究所に帰ってくることは2度と無いだろう。  残された課題は、上空に現れたデスブレンへの対処のみ。 (上手くやってね、ユージ……!)  キョウコは、ユージの本心を知る数少ない人間の一人として、そう願わずにはいられなかった。 21、  かつてデスブレンと戦ったGFコマンダー達は、まだ第2会議室の中に閉じ込められていた。ドアも窓も 封鎖され、携帯電話の電波も遮断されているために、得られる外界の情報は室内前方に設けられたモニター の映像しかない。今その画面には、イナリ山のセキュリティチームから送られてくる暗視カメラの映像が映 っている。 (これが新型のガチャボーグかな?)  画面に映った約10センチメートルの機体を凝視しながら、うさぎは心中に呟いた。マシンボーグとウイン グボーグの中間といったデザインのガチャボーグが、地表から2メートルほどの位置に滞空している。両腕 に装着されたトンファー状の武装が目を引くそのシルエットを見ながら(背中の翼が無ければ、まるでアク セルニンジャね)と思考をつないだ時、会議室の2か所から異口同音に「シン……!」と切迫した声が聞こ えてきた。  うさぎは首を動かし、声のした方向をそれぞれ見やる。声を発したのは、一人は会議室の右前方に座るシ ョウ。もう一人は部屋の左後方に座るリンだ。部屋の対角線という、位置の上では最も離れた2人が同じ言 葉を発したことに煮え切らなさを感じもするが、うさぎは湧き上がってきた感情を切り捨てて、再びモニタ ーを注視した。  新型ガチャボーグの脇に、やや小柄な人影が映っている。これがコマンダーの錦織シンなのだろう。うさ ぎと直接の面識は無いが、リンやショウ、コウを通じて話を聞いたことは何度もある。その話を聞いている と、シンが優しい性格をしているということがよく伝わってきた。そんな彼が、リンとショウを人質に取ら れてパートナーボーグの破壊任務に身を投じている。 (私たちの無事さえ確保できれば、こんな任務なんかしなくてもいいのに……!)  先ほどから頭を回転させて脱出の策を練ってはいるが、妙案が出てくる気配は一向に無い。もしユージが この場所に仲間としていてくれたら、政府側との交渉の機会を作りだしてくれたかもしれない。しかし今の ユージは政府側の人間だ。彼に期待することはやめて、自分たちだけで解決しなくてはならない。 (だけど、私たちだけじゃ……)  ガチャボーグも無く、外部との通信手段も無く、交渉の材料もない。八方塞がりの状況を再認識させられ て、うさぎは意図せぬうちに溜息を吐いていた。 「なんだ? 上空に何かあるのか?」  おもむろに聞こえてきたメットの声に、うさぎは口を結びなおしてモニターを見つめた。画面に映るシン が上空を見上げながら何かを叫んだかと思うと、セキュリティの持つカメラが空に向けられる。向けられた 先にはただの真っ暗な空があるばかりだったが、会議室に閉じ込められたコマンダーの全員が“異常な何か” を感じとっていた。  座っている椅子と体の接地面に向かって、内臓が押し下げられるような圧迫感がある。それを知覚すると 同時に8年前の記憶が各々の脳裏にフラッシュバックし、この圧迫感を放っている“者”の正体を誰もが確 信した。 「おい、ユージ! ここから出してくれ!」  コウがモニターに向かって叫びを上げる。ユージがこちらの声を聞いている保証は無かったが、それでも コウは一心不乱に叫びを上げた。 「デスブレンが来てるんだろ! 俺たちが戦わなくちゃ、地球のみんなが危ないんだぞ! お前がホントに 正義の味方だっていうんなら、地球を守るのが役目だろ!」 『……いやぁ、全くそのとおりです』  モニターの映像が切り替わり、インカムをつけて椅子に座るユージの姿が映し出された。ユージの背後に はミナが控えている。この映像は地下のどこかから送ってきているものだろう。 「ユージ、お前……!!」 「やめておけ。今はデスブレンへの対応が先決だ。ユージ、我々は何をすればいい?」  テツヤがこらえきれない怒りをぶつけそうになるのを制しつつ、メットが尋ねた。ユージはミナに第1会 議室へも映像を送るよう伝えてから、手早く指示を出していく。 『GFコマンダー、ならびに訓練生の諸君はロビーに集合。そこに用意されたデータクリスタルにGFエナ ジーを送信してもらい、デスブレンと地球の間に2枚のバリアを形成します。ただし、Gレッド、ガルダ、 サスケ、ナオ、ミオのコマンダーと、訓練生第3小隊、第4小隊は各々のガチャボーグを受領。研究所の防 衛に当たってください』 「受領だと? Gレッドたちはイナリ山に降りてくるはずじゃないのか? それにデスブレンへの攻撃は誰 が担当するんだ?」 『パートナーボーグたちはガチャボックスから離脱し、研究所に降下してもらいます。先ほどその旨を伝え る通信を行い、彼らから了解の合図も受け取りました。ガルダも研究所の外へと解放しますので、該当コマ ンダーの方は研究所の外への移動をお願いします。デスブレンへの攻撃ですが、こちらはイナリ山に展開し ているチームが担当します』 「……なるほどな。了解した。作戦行動に移る」  メットが言い終わると同時に、会議室のドアにかけられていたロックが音を立てて解除される。GFコマ ンダー達はドアに近い順にロビーへと繰り出していくが、メットだけはモニターの前に残っていた。 「おいメット、なにやってんだ! 早く来いよ!」  コウが促すも、メットは足を動かそうとはしない。コウの方を一瞥しながらいつもの冷静な声で「たった 今、ユージから副官への就任を頼まれた。僕は後から行く」と言い渡した。 「わかった。じゃあ早いとこ指揮を頼むぜ!」  コウは素直に応じ、会議室の外へ出ていく。  全てのGFコマンダーが退室した後、メットはわざわざ部屋のドアを閉めてから、再びモニターの前に陣 取った。その表情は険しい。モニターの中に映るユージの姿を真正面から見据えながら、メットは断罪する ように言い切る。 「ユージ……オマエは無能だな」 22、   囚われていたGFコマンダー達が去った後の第2会議室は、無音でありながら緊張に満ちていた。モニタ ーの前に凝然と立つメットの身体から室内へと、怒りの感情が染み出していることで、空気が硬質なものに 変換されているせいだ。メットは立ち位置を変えぬまま唇だけを動かし、腹の底に溜まっていた疑念をユー ジへとぶつける。 「オマエはパートナーボーグ破壊計画を利用していたようだな。イナリ山に派遣した錦織の従姉弟やネコベ ーたちに、パートナーボーグの破壊などさせる気は毛頭無かったはずだ。あいつらは最初からデスブレンへ の攻撃チームとして想定されていたのだろう」 『そうですね』  ユージは無機質に言葉を返してきた。メットはかわまずに言葉を続ける。 「我々を会議室に閉じ込めたのも、ロビーに用意されたデータクリスタルへ速やかにGFエナジーを供給さ せるため、ロビーのすぐそばにある会議室から出ないよう管理していただけに過ぎない」 『……』  ユージは眉ひとつ動かさず、無言で返してきた。その様子から、メットは結論を言うよう催促されたと判 断し、改めてユージの目を睨みつけてから、言葉を吐きだした。 「これほど準備が整っているのは、最初からデスブレンの出現を想定していたとしか思えん。オマエは…… わざとデスブレンを呼んだな?」 『その通りです』 「ふざけるな!」  メットはモニターに詰め寄った。怒りに震える語調で、ユージを糾弾していく。 「オマエの目的はパートナーボーグ破壊の阻止か? それともガチャフォースメンバーの将来を守ることか? どちらも我々にとって意義のあることだが、地球に生きる全ての者にとっては取るに足らない矮小なことだ。 その程度の目的を達成するためだけにデスブレンを呼びこみ、地球破壊のリスクを発生させるとはな。無能 も無能、最悪の指揮官がやることだ」 『否定しませんよ。むしろ正論です。しかしさすがはメット君。激高しながらも冷静な思考をされている。 当然ながら、私がこの愚策を選択した理由にもお気づきなのでしょう?』  メットは大きく息を吐いて血の上った頭をクールダウンさせると、左手でネクタイの結び目を押し下げな がら「デスブレンを呼んでも確実に勝利を収められる……それだけの要素が当然あるんだろうな?」と追及 した。 『もちろんです。あるひとつの条件さえ満たせば、我々の勝利は揺るぎません』  イナリ山の中腹では、ネコベーのもとに訓練生達が集まっていた。だが、シンの姿は無い。  デスブレンが出現してすぐにネコベーから下された集合命令は、各々の操る人工ガチャボーグのデータク リスタルを通して、イナリ山に展開中だった全員が受け取っているはずだ。シンがその命令を認識していな いはずがない。 (シンの奴……俺の命令を無視しやがったな。行き先は研究所か)  瞼の裏に映るレーダー映像を確認しつつ、ネコベーは心中に毒づいた。しかし指揮官として負の感情を表 に出すことはできない。目の前に待機している訓練生達には、シンはあくまで別任務を与えられたのだと説 明してから、本題であるデスブレンへの攻撃要員選抜を始めた。 「デスブレンへのアタックは、俺とカズト小隊を合わせた計5名で行う。装備は全機C装備だ。まず優先す べきは、射撃攻撃でデスブレンの砲塔を全て破壊すること。デスブレン本体への攻撃はその後でいい」 「C装備ですか、そりゃあ面白い。思い切り暴れてやりますよ」  相手がパートナーボーグからデスブレンに変更されたせいで、訓練生達の士気は高まっている。訓練生の 中でも最高潮にやる気に満ちているカズトが自身の率いる隊員のまえで宣言してみせると、ほか訓練生たち も次々にアタックへの意気込みを口にする。  だが、アタックチームから外されたナナだけは浮かない顔をしていた。 「あの……私はどうしたら……」 「ナナの任務はシンを追うことだ。あいつは研究所防衛のため、一直線にアクイラを飛行させている。その 後を追って研究所へ向かえ。デスブレンは研究所を狙ってデスボーグを大量投下しているそうだ。俺たちが デスブレンを倒しても、研究所がデスフォースに占領されてちゃかなわないからな」 「わかりました。でも、状況次第では私もアタックチームに合流させてくれませんか?」 「そうだな。いざとなったらシンとナナにもアタックチームに合流してもらおう。ただし、合流のタイミン グは俺かユージが命令する。それまでは研究所の防衛に専念してくれ」 「了解しました。猫部さんも、みんなも、どうか気をつけて!」  言って、ナナは走り出す。ナナ本人が移動しなくてもパートナーボーグの操作そのものは行えるが、研究 所が見える位置からパートナーボーグを操った方が、シンクロシステムの連動率をより高められるためだ。 (お姉ちゃんたちはまだ研究所にいるはず……8年前に守ってもらったぶん、今度は私が返さないと!)  ナナは手持ちのデータクリスタルにGFエナジーの供給を始める。データクリスタルはまず2枚の干渉翼 を発現させ、自身を宙に浮き上がらせる。そしてナナの胸の前に来たところで煌(キラ)びやかに発光し、 一気にガチャボーグの全身を発現させた。  頭頂高11.2センチメートル。平均的なガチャボーグよりもやや大きめなサイズの本体に、背中には大型の 2枚羽。その手には弦のない弓が握られている。ガチャボーグはその弓を腰の裏にジョイントさせると、翼 の出力を上昇させ、地上から2メートルほどの高さにまで浮き上がる。 「さあ行くよ、アルナイル! 私たちでみんなを守ろう!」  初めて外の空気に触れたばかりのアルナイルは、ナナの叫びに呼応して一直線に飛び立っていった。 23、  ナナがアルナイルを発現させたころ、シンは山道を駆け下りていた。先行させたアクイラはもう見えなく なるまで離れているが、右目だけを閉じたシンの瞼の裏には、シンクロシステムを通じて送られてくる映像 が鮮明に写っている。その映像がコウの家を映し始めたとき、シンは思わず苛立ちを口にした。 「くそっ、研究所はまだか……!」  シンがアクイラを研究所に向かわせている理由はただひとつ。リンのそばで戦うためだ。8年前にガチャ フォースの一員として戦うことができなかったシンは、リンとショウとの間にある強固な結びつきを得るこ とができなかった。そのせいで、リンのことを諦めた。  だが今、デスブレンは確かに存在している。6年前の戦いでGブラックが倒されたことによって、デスブ レンに連なるものは完全に消滅したはずだった。どうしてデスブレンが再来したのかは、全く分からない。 だがシンにとっては再来の理由などどうでもいいことだ。  未来永劫、結びつきを得る機会が巡って来ないはずだった自分に最大のチャンスが回ってきた。この奇跡 のような出来事を、絶対に逃してはならない。 「リン……俺を見ていてくれ! 俺はショウさんよりも強いぞ!」  シンはGFエナジーの供給量を一層高め、その全てをアクイラに送信する。アクイラは受けたエナジー全 てを推進力に変換させると、サハリ町の上空を駆けていった。 24、  サハリ町の南東に位置するガチャボーグ研究所。そのロビーでは、かつてデスブレンと戦ったGFコマン ダー達と、これから初めての実戦を経験する訓練生達が2つの輪を作るように並んでいた。輪の中央には金 属製の立方体が置いてあり、その天面にはデスブレンの攻撃から地球を守るシールドを発生させるためのデ ータクリスタルが埋め込まれている。ロビーに集まった新旧のコマンダー達は、その立方体に向かって一心 不乱にGFエナジーの送信を行っていた。  やがて研究所の屋上に、10センチ四方ほどの小さなシールドが2枚、吹けば消えてしまいそうなくらいの 弱いエネルギーで発生する。それはヒラヒラと舞う木の葉のように、頼りなく宙に舞上がった。 『シールドの発生を確認しました。シールド発生装置のエナジーリミッターを解除します』  ロビーにミナの声が流れた。その瞬間、2つの輪を作っているコマンダー達のそれぞれ半数がバーストを 発動させ、一気にGFエナジーの出力を上げた。  強力なGFエナジーを受けたシールドは瞬く間に拡大しながら高度を上げ、デスブレンに肉薄していく。 上空に到達するまでにはさらに広さと厚みを増していき、やがて夜空の全てを覆い尽くした。 「おー、すっげぇ! 8年前のシールドとは比べもんになんねぇくらい頑丈そうだな」  研究所の外で待機していたコウが感嘆の声を上げると、隣で夜空を見上げていたカケルが「あのときは4 人で1枚のシールドを作っていたからね。今度は12人で2枚重ねのシールドを作っているから、耐久力は全 然違うよ」と応じる。 「だが、すでに投下されたデスボーグもいるはずだ。ヤツらが地上に降下してきたら、激戦になるぞ」  言ったのはショウだ。すでにガルダを受領しており、いつでも戦闘できる態勢に入っている。ショウはそ ばで待機している訓練生達に目をやると、 「お前たちは初陣がデスブレン戦になってしまったな。怖かったら前衛を俺たちに任せて、サポートに徹し ろ」  と気遣いを見せる。その場の訓練生達はそれに感謝して首を縦に振って見せたが、一人だけ例外がいた。 「だいじょーぶだいじょーぶ! 私たちが何とかするって!」  真上を指さしつつ、場違いなほど明るい声を出したのはミサキだった。彼女の頭上には量産機であるホワ イトウイングを改造したガチャボーグ≪グライド≫が浮遊しており、得物のプラズマハルバードを天に向か って突き出している。 「そっかそっか! そりゃあ安心だな! 頼りにしてるぜ、ミサキ」 「任せといて! どんどん斬りこんでやるんだから!」  2人だけで盛り上がっているコウとミサキを尻目に、ショウは「……以前から思っていたが、なんだか似 ているな。このふたりは」と呆れ半分の溜息をついた。  訓練生の編成において、ミサキはどの小隊にも属していない。それは現行最強のコタロー、専用機を持つ シンやナナと同じ扱いだ。小隊単位ではなく個人単位での運用をされるのは高い実力を評価されてのはずだ が、ショウが以前ユージから聞いた話では、ミサキが絶望的なまでの射撃下手なせいで、ミサキが入ること によってフォーメーション戦術が大きく制限されてしまうからこそ、小隊から外されたという側面も強かっ たらしい。  ショウは過去に行われた、ホワイトシグマを使っての模擬戦のことを思い出していた。ミサキは型にはま れば爆発的な能力を発揮するが、そうでないときはあっさり撃墜されるタイプだ。相棒として冷静な支援役 がいてくれればこういうムラを発生させることなく、安定して能力を発揮するのだろうが……。 「ミサキ、模擬戦の時のように突っ込みすぎるなよ。おまえの格闘能力は支援機のフォローがあってこそ活 きるんだからな」 「大丈夫。ミサキのフォローは私が担当するわ」  いきなり後方からかかってきた声に、ショウは振りむいた。見ると研究者用の白衣を着たままのミナが、 ロビーの外へ出てきていた。上空にシールドを張る作業を完了したことで研究員としての役目を終えたミナ は、ここから先はGFコマンダーとして作戦に参加することになっている。 「本来ならアクイラかアルナイルがあなたの支援役なんだけど、今回は私で我慢してね」 「ううん。ミナさんが後ろにいてくれるなら、安心して戦えるよ」  8年前の激戦をスナイパーとして戦い抜いたミナなら、ミサキの支援役として不足は無いだろう。ショウ は安堵して、視線を上空へと向けた。ちょうどその時、イナリ山の方角から飛び立ったホワイトウイングの 部隊がデスブレンに迫ろうとしていた。すでに数十キロの大きさに巨大化しているホワイトウイングの姿は、 地上からも見て取れる。その装備を見て、ショウは驚きの声を上げた。 「可能な限り防具を外したうえで、両腕にビーム砲を装備とは……ずいぶん攻撃的な判断だな」 「デスブレンの攻撃は強力だからホワイトウイングでは受けきれないと、克己は判断したんでしょうね。回 避に重きを置いたんだと思うわ」  ミナの解説にショウが「なるほどな」と相槌を打つ。その言葉に覆いかぶさるように、ミサキが声を上げ た。 「あっ、上空にGレッド達の反応だよ! そのもっと上にデスボーグの反応!」 「どうやら、パートナーとの再開を喜んでいる暇はなさそうだな」  ショウはガルダにGFエナジーを送り、空高く羽ばたかせた。 「Gレッド達がこちらに合流するまで、上空で防衛線を張る! 訓練生はガルダに続け!」 25、  アクイラの眼下に見えるサハリ町の人々は、ようやく星の瞬きが消えうせたことに気付き始めたようだっ た。その原因がデスブレンの巨体であることに気づく者はまだいないようだが、これは時間の問題だろう。 8年前に刻みつけられた恐怖を払拭できた人間など、そう多くない。あのとき明け方の空に浮かんだデスブ レンの姿を、この真っ黒な夜空に重ねてイメージする人間がじきに出てくるはずだ。  8年前のシンも、デスブレンを見上げて怯えることしかできない無力な人間だった。だが今は恐怖など微 塵も感じていない。それは3年ものあいだ抑圧されてきたリンへの想いを、GFエナジーとして爆発させて いるからだ。  驀進(バクシン)するアクイラのアイセンサーに、研究所の屋上から放たれたバリアが映る。これでデス ブレンからの直接攻撃を受ける可能性はなくなった。しかし、研究所に向けてデスボーグの軍団が降下して いる。  シンは両目を閉じて、アイセンサーをレーダー併用モードに切り替えた。見えている視界に、戦闘機のヘ ッドアップディスプレイのように、レーダーから得られた情報が重ね合わせられる。アクイラの正面、遥か 遠方にあるガチャボーグ研究所にはホワイトウイングやグライド、ガルダの反応がある。彼らは高度を上げ つつあり、上空に位置するGレッド達を援護するために、デスブレンから投下されたデスボーグの軍団と対 峙するつもりのようだ。 「その他にもレーダーに反応している点があるな……デスフォースの別働隊か?」  アクイラから見てやや左手側の上空に1機のデスボーグ反応があった。そのデスボーグはだんだん右に寄 りながら、コウの家に向かって高度を下げている。アクイラがこのまま進み続ければ、敵が降下しきる前に コウの家の上空を通過してしまうため、敵に背後を取られる形になる。  敵が格闘ボーグだったならそれでも問題はないのだが、シンはわざわざ進行方向を変えて、デスボーグに 迫っていった。 「この識別反応……デスアークじゃないか!」  デスアークがかつてタマが操っていたデスボーグであることは、当時ガチャフォースに所属していなかっ たシンでも知っている。デスアークは頑強さと高火力を誇るフォートレスボーグであり、8年前の戦いにお いては、デスブレンに対しての総計ダメージでトップの座に輝いている。  デスブレンとの戦いが終わったあと、デスアークの本体はタマが所有していた。しかしそれはGブラック との戦いの最中(サナカ)、ネコベーとメットに破壊されているはずだ。 「どうしてデスアークがいるのかは知らないけど……俺の邪魔はさせない!」  デスアークとの距離を50メートルにまで詰めたシンは、両腕に装備されたトンファー状の武器をランチャ ーモードに切り替えた。トンファーの先端が外側にスライドし、奥にある大きな銃口を露わにする。アクイ ラは飛行速度を保ったまま、両腕の銃口からビームの奔流を走らせた。  どれだけ飛行速度を上げようとも、どれだけ複雑な機動をしようとも、静止時と同じ精度で攻撃ができる。 それがシンの能力であり、高機動型ボーグであるアクイラを渡された理由の一つである。その能力は今回も 遺憾なく発揮され、アクイラから放たれた2条の光は、装甲の弱いブリッジ部分をやや上方から直撃した。  デスアークの装甲は数センチの深さまで削られたが、ひるんではいないようだった。すぐに対空砲と主砲 に火が入り、接近してくるアクイラに向けて集中砲火を浴びせてくる。  シンはアクイラの機体を上下左右に振って回避しながらも、両腕をデスアークに向けて突き出し、ブリッ ジ部分にビームニードルガトリングを撃ちこみ続けた。ミリメートル単位でのズレすらなく1点に集中して 撃ちこまれたビームニードルによって、デスアークの装甲はさらに削られる。  そしてアクイラがデスアークの真上をパスする瞬間、シンは削られたブリッジ部分に向かって右トンファ ーの先から特殊な弾丸を撃ちこんだ。弾丸は長さ3センチほどの釘のような形状をしており、釘の胴部がデ スアークのブリッジ部分に突き刺さったあと、釘の頭が装甲の表面に引っかかり、静止する。  その2秒後、アクイラがデスアークの後方へ10メートルほど飛び去ったときに、デスアークの体内に埋ま った釘の先端部分が直径50センチほどの爆発を起こした。  アクイラが放った“釘”にはICBMやウォーキングボムに搭載されている爆薬と同じものが内蔵されて いる。それがデスアークの内部で爆風を起こし、船体の中央部に埋め込まれたデータクリスタルをいとも簡 単に蒸発させた。  データクリスタルを失ったことで残された体躯を消滅させつつあるデスアークから離れながら、シンはレ ーダーからデスアークの反応が消えたことを確認した。戦闘そのものは十数秒のことだったとはいえ、飛行 ルートを変えたせいで1分程度のロスになってしまっている。シンは内心で舌打ちし、アクイラの進路をま っすぐ研究所に向かうように再調整した。  その瞬間、シンはアクイラを通して誰かの言葉を聞いた。 「ヤ……メ……ロ……」  声の発信源は後方。デスアークがいた方向だ。シンはもう一度レーダーを確認してみたが、やはりデスア ークの反応は消失している。 「ただの聞き違いか。早くリンのところへ行かないと!」  確かに聞こえたはずの声だが、今のシンにとってはどうでもいいことだった。背後で消滅しつつあるデス アークになど目もくれず、アクイラは一直線に飛び去って行った。 26、  遥か高空で繰り広げられる激戦は、一つの結末を迎えようとしていた。  5機のホワイトウイングの活躍によって、デスブレンの砲台はすべて破壊されている。デスブレン本体か ら発射されている氷塊もホワイトウイング達の連係攻撃によって阻まれ、直撃するものは一つとしてない。  8年前に比べて圧倒的に有利な戦局を機械ごしの目で見据えながら、ネコベーは独白した。 「ここまでダメージを与えてるのに、αウイングが一機も飛んでこねえとはな。ユージの言った通り、今回 のデスブレンは自分以外を巨大化させるエナジーは持ってねえのか」  ネコベーはホワイトウイングを飛翔させてデスブレン本体――今回は巨大な脳ではなく、巨大なデータク リスタルになっている――を真正面に据える位置に移動すると、カズト小隊に左前方へ展開するよう、身振 りで指示を出す。するとそれまでネコベーの後方に付いていた訓練生達の4機が、喜々としながら配置につ いた。 「お前ら! 猫部さんが俺たちにアタッカーを譲ってくれたぞ! 応えて見せろ!」  ダイヤモンドフォーメーションの先頭を務めるカズトが、小隊員たちを鼓舞する。  ネコベーが単独で囮になり、小隊を組んでいる4機のホワイトウイングが一斉射撃を行う。それがネコベ ー達の狙いである。デスブレンがネコベーを無視してカズト小隊へ攻撃を集中させる恐れもあったが、デス ブレンはホワイトウイングの数を一機でも減らしたいと判断したのか、思惑通り氷塊をネコベーに集中して 放ってきた。 「ワリぃが、8年前から逃げ足には自信があってな!」  ネコベーはデスブレンから少しずつ後退しながら、氷塊を上下左右にかわしていく。その間にカズト小隊 は各機の両腕に装備されたツインビーム砲から放てるだけのビームをデスブレンのバリアに叩きつける。  やがてデスブレン本体を包む八面体のバリアが砕かれ、むき出しになった本体へとビームの群れが殺到し た。  バリアが破られるのはこれで7度目。デスブレンに与えたダメージ量は、かなりの数値になっているはず だ。 「さて、そろそろ頃合いかな」  ネコベーは過去に何万回と行ったシミュレーションデータを呼び出して、これまでのこちらの攻撃命中回 数から、デスブレンの耐久値を推算した。 「残り40%か……こっからだな」  ネコベーの言葉がちょうど終わったころ、デスブレンはを氷塊による攻撃を止め、4発の弾丸を秒間10連 射する攻撃へとシフトした。  アクイラを追って研究所に向かっていたアルナイルは、上空の異変に気づいて足を止めた。先ほどまで真 っ暗だったはずの夜空に、無数に放たれる赤いビームの光が輝いている。  アイセンサーをレーダー併用モードに切り替えてみると、放たれ続けている4条のビームの焦点には、ど うにか回避を続けているネコベーのホワイトウイングの反応があった。 「あんな攻撃……ホワイトウイングじゃ、いつまでも避けきれない」  ホワイトウイングの性能と照らし合わせれば、撃墜されるのは時間の問題だろう。そして、上空にいる5 機は全てホワイトウイングだ。このままでは負けが決まってしまう。ナナはアルナイルとアクイラをデスブ レンへのアタックチームに加えるべきと判断し、アルナイルに内蔵されている通信機を起動させた。 「ユージさん、上空は劣勢です。アルナイルとアクイラを……」 『許可できません』  ナナは唖然とした。今の段階で援護に向かわなければ、ネコベーとカズト小隊の全滅は目に見えている。 そうなれば、デスブレンに正対する者は誰もいなくなるのだ。 「そんな! 上空で戦っているみんなを見殺しにするんですか!?」 『現状でも勝算は十分にあります。ナナさんは引き続き、アクイラを追ってください』 「勝算って……援軍もなしにどうやって勝つんですか? 納得できません」 『勝利に必要な時間はすでに稼ぎました。あなたはただ、彼を信頼すればいい』 「彼って、まさか……」 27、 「やばいな、そろそろ限界か」  ビームをかわし続けるネコベーは、回避行動を維持しながら自機の状態を確認した。両翼はまだ軽傷のま ま残っているが、脚は両方とも失っている。左腕のツインビーム砲も直撃を受けて破損し、使用不能になっ ている。ネコベー自身のGFエナジーと集中力も途切れつつあり、ホワイトウイングの機動性は損なわれ始 めていた。  容赦なく殺到するデスブレンのビームがいよいよネコベー機の左翼を直撃し、翼にいくつもの穴をあける。 まともに飛行することすら困難になったホワイトウイングは、格好の的になった。 「ちっ、ここまでかよ……」  無数のビームに機体を砕かれながら、ネコベーは8年前の記憶を呼び起こしていた。  あれはまだコウが転校してきたばかりのころ。タイマンで決着をつけようと、コウをイナリ山に呼び出し たことがあった。だがネコベーは1対1の約束を一方的に破棄し、最初に繰り出したチェーンソーナイトが 倒されると同時にキツネのマグネットロボを呼んで、卑怯にも2対1の勝負を仕掛けた。今となっては恥ず べき記憶だ。 「8年も経って、あの時と同じマネをするとはな……いや、今回は違うか」  あのときは自分のくだらないプライドと下卑(ゲヒ)た勝利のため、戦場にキツネを呼びだした。  だけど今は違う。地球を守るために、ガチャフォースのみんなを守るために、あいつの名前を呼ばせても らおう。だれよりも強い、あいつの名前を。  ネコベーは大きく息を吸い込み、腹の底から叫んだ。 「コタロー!!」 「はい、猫部さん」  イナリ山の頂上に配置されていたコタローは、デスブレンが現れてから今まで少しずつビリーに送り続け ていたエナジーを一気に爆発させた。ビリーの全身が金色のバースト光に包まれる。 「ビリー、いけるな?」 「OKだ」  コタローがビリーに声をかけると、ビリーは右のリボルバーだけにバーストを集中させる。リボルバーの 内部には特殊な弾丸が込められており、発射の時を待ちわびていた。  ビリーは右リボルバーをデスブレンに向けてまっすぐに構える。構えた先の上空ではネコベーが1秒でも 時を稼ごうと、半壊したホワイトウイングを必死に操作していた。 「仲間が稼いでくれた時間だ。無駄にはできないぞ」 「わかってるさ、コタロー。お前のGFエナジー全部、この弾丸に込めて撃ち抜く!」  コタローとビリーが見上げる先で、ネコベーのホワイトウイングがデータクリスタルを砕かれ、消滅を始 めていた。デスブレンは照準をカズト機に移動させ、ビーム光を夜空に再び輝かせる。  ビリーがリボルバー内の特殊弾丸を放ったのは、その瞬間だった。撃ち出された弾丸は高度を上げるにつ れて巨大化していき、デスブレンに迫っていく。それがガチャフォースメンバーと訓練生達が造りだしたバ リアに到達すると、高速できりもみ回転を始めた。 「ミナさん達が作り上げた、デスブレンを倒すためだけのドリル弾だ。受けて見ろ、デスブレン!」  ドリル弾はバリアを下から削るように貫くと、さらに巨大化しながらデスブレンの中央部に突き刺さった。 突き刺さると同時に減速し、回転数を急激に上げていく。  デスブレンはとっさに本体下部の転送装置を起動し、ドリル弾を本体上空に逃がそうとした。しかし、ガ チャボーグ本体でないただの弾丸は転送させることができない。  ドリル弾は真空の宇宙に竜巻を起こさんほどの勢いで回転しながら、徐々に上昇していく。まずデスブレ ンの転送装置を潰して使用不能にし、続いて中央部にめり込んでいく。デスブレンのビームがいくら強力で あろうとも、自身の内部に侵入した弾丸を破壊するほどの射角に設定することはできない。デスブレンは何 もできぬまま、黙って弾丸の貫通を許すしかなかった。  ドリル弾がいよいよデスブレン本体のデータクリスタルに到達する。どうにか弾丸を止めたいデスブレン は、それまでカズト小隊に向けて放たれていたビームを全てドリル弾に向けた。しかし眩いバースト光に包 まれたドリル弾には、傷一つ付けるのがやっとだった。  ドリル弾はデスブレン本体であるデータクリスタルを真下から削りぬき、上空へと突き付ける。それでも 速度を落とすことなく、地球の重力を逃れて宇宙へ登っていく。  コタローが持てる全てのGFエナジーを込めて放ったドリル弾の足跡(ソクセキ)には、たった一発の弾 丸で砕かれた、デスブレンの無残な亡骸が残るのみだった。   28、 「デスブレンが落ちた!? そんな!」  デスアークを撃墜した後、アクイラを研究所へ向かわせていたシンは、デスブレンの反応がレーダーから 消えたことに驚愕した。デスブレンからの指令が無くなっては、デスボーグも動かない。これではリンの前 で戦うことのないまま、戦いが終わってしまう。 「でも、もしデスブレンが“脱出”していれば……」  シンはリンから過去に聞いた話を思い出し、まだ戦いが終わらない可能性があることに気がついた。祈る 気持ちで、研究所付近のデスフォース反応を探り始める。100機以上のアクティブ反応が返ってきて、シンは 「よし! まだ生きてる!」と歓喜の声を上げた。  だが、研究所との距離もまだ離れている。このままではアクイラが研究所に到達する前に“新たなデスブ レン”が倒され、デスボーグの活動が止まってしまうかもしれない。どうにかしてアクイラを加速させなけ ればと思案したシンの脳裏に、ある誘惑がよぎる。  ――アクイラを巨大化させればいい。  巨大化には3つのデメリットがあるため、イナリ山からはあえて通常サイズのままで行程を消化してきた。 デメリットとは、巨大化させれば活動時間が数十分に制限されてしまうこと。流れ弾の走る距離が大きくな って周囲に被害を与えやすくなること。そして小さいサイズの敵を狙いにくくなることだ。 しかし、巨大 化したアクイラの能力なら10分もあれば敵の大半を仕留められる。周囲への被害は、なるべく高度を上げて から格闘主体で戦うか、地上に貼りついて上に向けて射撃を行うようにすれば少なくて済む。狙いが付けに くい小さな敵など、他のガチャボーグに譲ってやればいい。  シンは思いついたデメリットの数々を理由をつけて打ち消すと、アクイラに20メートル大に巨大化するよ う、迷わず命令を下した。アクイラが間に合わなくては、元も子もないのだ。 「アクイラのGFエナジー実測値が3300を超えました。コマンダーの精神高揚が異常レベルに達しています」  キョウコの声が、指揮所に座るユージの耳に届いた。指揮所のオペレーターは、GFコマンダーとして出 撃したミナに代わってキョウコが務めている。その声を受けたユージは、いつもの冷静さで次の一手を判断 した。 「予定通り、ミサキさんと第2小隊に準備をさせてください。それから、セキュリティチームは配置につい ていますね?」 「配置完了しています」 「了解しました。すぐ作戦行動に移ってください」  デスブレン出現後にシンが命令を無視して研究所に戻ってくるという状況は、以前から想定していたこと だった。シンの心理状況を把握しているユージなら、この程度の予想など造作もない。  おそらく“新たなデスブレン”がもうすぐ研究所を狙ってくるだろう。そのとき、シンと“新たなデスブ レン”の接触だけは何としても避けねばならない。ユージはアクイラのモニタリングデータを注視しつつ、 キョウコに命令を下した。 「錦織シンとアクイラのシンクロシステムを遮断。同時にアクイラを機能停止させ、第2小隊とグライドを 回収役に当ててください」  巨大化の命令を下したシンは、狼狽していた。命令を送信した瞬間に、瞼の裏に映っていたはずのアクイ ラの視覚情報が何の前触れもなく消え失せたせいだ。視覚情報が消えるその時まで、アクイラが飛行してい た空域にはデスフォースの反応は無かった。敵機の攻撃を受けて撃墜されたとは思えない。ならば、これは 味方の仕業なのだろうか。  そうシンが思考したとき、今度はシンの意識が宙を舞い、ブラックアウトした。シンが気づかぬうちに忍 び寄っていたセキュリティチームの手によって、意識を奪われたのだ。 (リン……俺……は……)  意識が途切れる瞬間、シンの脳裏にあったのは高校の制服に身を包んだリンの姿と、芳しい髪の香りだっ た。 29、  あっけなく散ったデスブレンの亡骸は、その大部分が消滅を迎えていた。一部残ったパーツは地球の重力 に引かれて落下を始めている。8年前は地球に降り注いだデスブレンのパーツが貴重なサンプルとなり、各 国のガチャボーグ研究に火を付けたものだが、結局はサンプル数が少なすぎたことと、パーツそのものが地 球の科学力では扱いの難しいものだったことから、研究は袋小路に陥った。  唯一の成功例が、ユージが副所長を務めるサハリ町のガチャボーグ研究所だが、その成功要因はサハリ町 のデスベースを研究施設として流用できたことやオリジナルのガチャボーグを所有していたことだけでなく、 とあるガチャボーグからデータの提供を受けたことにもあった。  2003年10月8日。デスブレンの襲撃を明日に控えたこの日に、小学5年生のユージはジャックと共にさば な町のデスベースを訪れていた。デスフォースがデススカイベースへと撤退する際に打ち捨てられたこの基 地は、長い間管理者を失っていたことで基地の全機能が停止している。もはや廃墟となるのを待つばかりの 空っぽな建造物であったが、ユージは明確な目的を持ってここに足を踏み入れていた。 「よお、来たな」  デスベースの最奥にあるデスボーグ生産施設の一角で、ビームウイングレッドは待っていた。ユージを見 つけるなり声をかけ、腰かけていた壊れたデスアイから飛び上がる。 「話とは何ですか、レッドさん」  口を開いたのはユージだ。ビームウイングレッドはちょうどユージの目線の高さで滞空すると、腕を組み ながら問いを投げかける。 「デスブレンを倒したあと、どうなると思う?」  レッドには答えが分かっている問いだった。それでもわざわざユージに尋ねた理由は、彼に将来を託せる だけの力量があるか試すためである。 「条件によります」  まずは期待通りの答えだった。レッドはもともと軽い声の調子をさらに軽くして問いを重ねる。 「へえ、どんな条件なんだ?」 「この間のサイバーデスドラゴンのようにデータクリスタルを破壊することで完全消滅するかどうかです。 もしデスブレンが消滅せずに自身のパーツを地球にばら撒けば、それを回収して研究しようという者が必ず 現れるでしょう」  そこまで答えを聞いたレッドは、クチバシの端を引き上げながら言葉を挟んだ。 「結論から言えば、デスブレンは消滅しない。俺たちの時代の観測データから、デスブレンの一部はデータ クリスタルからのデータ以外によって構築されていることが分かっている。俺たち警備隊が着けている鎧や 兜と一緒だな。これはデスブレンが最初のメガボーグを破壊したときから変わっていないそうだ」 「どの部分が消滅しないパーツなのか、はっきりしたデータはあるのですか?」 「いいや、詳しいデータは無えよ」 「それじゃあこちらでパーツを全部回収することは無理ですから、何にしても研究は始まってしまうわけで すね。いずれは人工のガチャボーグも作られるようになるかもしれません」 「……お前、ホントに子供か?」  レッドがこれから話そうとしていることこそ、ユージがいま口にした人工ガチャボーグに関係することだ ったのである。 「おっしゃる通り子供ですよ。それで、今の答えで合格ですか?」  試すために問答していたはずなのに、いつのまにか完全に先を読まれている。レッドは苦笑を浮かべなが ら赤い兜に右手をやった。 「まったく、頼もしいんだか末恐ろしいんだか……」 「安心してください。ボクはいつでも正義の味方ですから」  半ばふざけた口調のユージを前に、レッドは嘆息を吐き出した。そして兜にやっていた右手を下ろすと、 再び口を開いた。 「今からお前に4つのデータクリスタルを渡す。さっきここの施設を一部再起動させて作ったものだ。1つ 目は俺のパーソナルデータだ。これまでの戦闘記録や俺の生体記録が記されている。2つ目は未来のメガボ ーグに存在するデータベースのコピーだ。様々なガチャボーグの情報だけでなく、新メガボーグに存在する 技術や歴史の全てまで記載されている」 「……とてつもなく重要なデータですね。それだけあればデスベースを再稼働させることも、あなたをベー スにした人工ガチャボーグを作ることもできる」 「そして3つ目はデスブレンの餌。4つ目はあのお嬢さんに渡すための計画書だ」  レッドの説明からでは内容がいまいち把握できず、ユージわずかには顔をしかめて「詳しくお願いできま すか?」と聞き返す。 「分かりづらくてスマンな。デスブレンは新しい星に着いたとき、その星の中でなるべく知能の高い種族の 中から1体を選んでデータを引っ張り出す習性がある。新しい星のことを知るためにな」 「……」  ユージは否応なくショウの顔を思い浮かべた。デスブレンの習性についてはすでにショウから聞いていた からだ。その犠牲者が彼の父であったことまで、全て含めて。 「3つ目のデータクリスタルには高いレベルの知能反応を発生させるための細工と、デスブレンに誤解を与 えるための恣意的な情報を中に入れている。これがあれば、誰かがデスブレンのせいで犠牲になることを避 けられるし、俺の計画も実行できるようになる。これを4つ目のデータクリスタルと一緒に、お嬢さんに渡 してもらいたい」  ユージはレッドの言葉の内容を思考回路の中へと投げ入れた。そして浮き出てきた疑問点をレッドに問い ただす。 「最初に試されたとき、あなたは私に人工ガチャボーグを作れと仰りたいのだと思いました。しかし、それ なら先に説明した2つのデータクリスタルはともかくとして、後者の2つにはどういう意味があるのですか? 」 「これは取引なのさ、ユージ。お前が得られるのはデスブレン亡きあとの地球をコントロールできるだけの 情報だ。これさえあれば、ガチャフォースのガキどもが委員会……おっと、ここでは政府と言ったか。それ に拘束される事も無くなるし、地球上のパワーバランスを掌握することだってできる」 「そのかわり、何をしろと?」 「ガチャフォースと人工ガチャボーグの力を以て“災い”を撃破してくれ」  レッドの口調はいつもと打って変わって、懇願するようなものになっている。それはユージにとって慮外 なことだった。 「失礼ですが……あなたは故郷のことを忘れたとばかり思っていました」 「新メガボーグの死にたがりどもなんざ、どうなったっていいさ。それでも故郷の土には愛着がある。砕か れずに済むならその方がいい。それにあのお嬢さんは、新メガボーグ以外に帰るところが無いからな」 「ブルーさんは新メガボーグに帰って、デスブレン打倒を目指すと?」 「おそらくな。まだ迷いがあるようだが、デスブレンとの戦闘中には答えを出すだろう。もしそういう考え に宗旨替えするんなら、それは俺の影響でもある。死にたがりの一人だったあのお嬢さんが“災い”を倒す と決意して生きるための道を模索し始めても、一人で新メガボーグに戻ったって勝算はゼロだ。だったらせ めて勝算のある戦いをさせて、生き延びる可能性を与えてやりたい。それが影響を与えた者としての責任だ。 まぁ、お前たちにもリスクを迫ることになるがな。それを実現できるのなら、俺は明日の戦いで体当たりし てでもデスブレンを倒してみせる。俺の命を使う場面が来たなら、いつでも命令をくれ」 「……もしブルーさんが決意をされるのなら、それは私たちの影響でもあります。あなただけに責任を取ら せはしませんよ」  ユージは右手を差し出す。 「その取り引き、受けましょう。ガチャフォースメンバーと地球の未来、そして未来のメガボーグのために」 30、  コタローのドリル弾に本体を貫かれたデスブレンは、その巨体のほとんどを泡がはじけるように消滅させ た。消滅せずに残った一部のパーツは地球の重力に引かれて落下を開始したが、空一面に貼られたバリアに よってそのすべてが受け止められた。  あとは宇宙に向けてバリアを上昇させてやれば、全てのパーツを回収不能にできる。それを実行するため、 ユージはキョウコにアナウンスを出すように命令を下した。受けたキョウコはユージの方に視線を遣ったま ま無言で頷くと、コンソールに向き直ってアナウンスのスイッチを入れた。 『第2小隊を除く訓練生、及びガチャフォースメンバーはバーストを使用し、バリアの高度を上げてくださ い』  ユージはその背中を見ながら眼前の通信機器を起動させ、研究施設で待機している研究員に、ある装置の 使用状況を確認する。 「ワープジャミングの稼働状況はどうですか?」 「良好です。中心は研究所の裏門から200メートルの地点に設定しています」 「了解しました。引き続き保守をお願いします」  言い終わると同時にユージが研究員との通信をオフにすると、その耳にアナウンスを終えたキョウコの声 がかけられた。 「レーダーに新たなデスフォース反応。消滅したデスブレンから離脱したデスボーグが、地球上へ降下して います。縞野コタローが開けた穴を通って、イナリ山に向かっているようです」 「イナリ山にいる、デスブレン攻撃部隊の状況は?」 「残存する4機のホワイトウイングは稼働限界時間を超えたため、巨大化を解いてイナリ山に撤退していま す。縞野もGFエナジーが尽きており、戦闘に耐えられる状態ではありません」 「デスブレン攻撃部隊には研究所への撤退を命じます。上空から降下しているデスボーグに対しては巨大化 させたアルナイルをイナリ山に配置し、可能な限り撃破してください」 「猫部さん! 大丈夫ですか!?」  イナリ山の頂上から中腹へと降りてきたコタローは他の者に目もくれず、いきなりネコベーに駆け寄った。 ネコベーの体は地面に置かれた担架に移され、それをセキュリティの人間が車に運び入れようとしている。 「……よぉ、コタローか」  ネコベーは目を閉じたまま、弱々しく答えた。  シンクロシステムを使用したままの状態で自機が破壊されるとコマンダーに一時的な意識障害が出ること は、訓練生なら誰もが知っている。通常なら自機が破壊される直前にシンクロシステムをオフにするのだが、 ネコベーは1秒でも時間を稼ぐため、最後までシステムをオンにし続けたのだ。 「……良くやったな。大した奴だよ、オマエは」 「猫部さんが身体を張ってくれたおかげと、ミナさんたちが造った弾丸のおかげです」 「……そうかい」  言って、ネコベーはわずかに口の端を持ち上げて見せた。 「……すまんが、俺はしばらく眠る。あとは……ユージと……」  意識を失ったのか、ネコベーの言葉がストップした。ちょうどそのタイミングで担架が車に搭載され、セ キュリティの人間がドアを閉めて車を発進させる。コタローは離れていく車を見送りながら、足元から聞こ えてくるビリーの声を耳にした。 「あの姿を見てると、初めて会ったとき俺を取り上げようとした奴とは思えねえな。人間ってのは変わるも んだ」 「……もう許したことだろ、ビリー。猫部さんは俺たちの偉大な先輩だよ」  呟いたコタローの背後で、別の車のドアが乱暴に開かれる。中に乗っていたカズトがドアから体を乗り出 して「コタローさん、イナリ山に展開中の部隊には撤退命令が出ています! 早く乗ってください!」と叫 びを上げた。 「あぁ、了解したよ。だけど、なんでそんなに焦ってるんだ?」 「ここには巨大化したアルナイルが陣取るそうです。なんでも、新しいデスブレンを倒すまでのあいだ、バ リアに開いた穴から降下してくるデスボーグを狙撃するためだって話です」 「新しいデスブレンか……なるほどな。どうりでデスボーグがまだ動いてるわけだ」 「知ってるんですか!?」 「ああ、6年前に戦ったことがある。そいつの名前はGブラックだ。デスブレンの記憶とダークナイトの魂 を持った、Gレッドそっくりの姿をした奴さ」 31、  ミサキの操るグライドは、研究所上空を飛び回るデスボーグ・シグマの1体に急接近した。得物のプラズ マハルバードをプラズマ発振状態にして、デスボーグ・シグマに向かって大きく振りおろす。第三者が見れ ばいとも簡単にかわせそうな大振りの一撃だったが、デスボーグ・シグマはその一撃をまともに浴びて脳天 からまっすぐに両断された。 「次ィ!」  背中の干渉翼を全開にして、グライドは手近にいたデスボーグ・ラムダに襲いかかる。先ほどのデスボー グ・シグマと同じように一刀両断にしようとしたが、今度はグライドの頭上にもう1機デスボーグ・シグマ がいてビームを放ってきていた。  ミサキはとっさにハルバードのプラズマを解除し、目の前のデスボーグ・ラムダに向かって突きを繰り出 す。突きは紙一重のところで右方向に回避されたが、それはミサキの計算通りだった。繰り出した突きは右 方向に回避されるよう、あえて的の中心を外していたのだ。  グライドは腕を引いて、ハルバードを自身の方へと引き戻す。するとデスボーグ・ラムダの右腿の裏にハ ルバードの鉤爪部分が突き刺さった。グライドは身体を上方に向かって捻りながらハルバードを大きく振り まわして十分な遠心力を発生させると、一瞬だけプラズマをオンにする。ハルバードが刺さっていたデスボ ーグ・ラムダの右腿はプラズマの熱で融解して鉤爪から解き放たれ、ハルバードから高速で離れていく。向 かう先は上方にいるデスボーグ・シグマだ。  デスボーグ・ラムダはデスボーグ・シグマともつれ合い、共に空中で動きを止める。その瞬間を見逃さず に放たれた遠距離からのバスターキラーレーザーが、2体のデスボーグを一度に爆散させた。 「さすがミナさん! いい腕してる!」  ミサキは隣に立っているミナの技量を褒めてみせた。ミナはそれに微笑んで返すとスナイパーにふさわし い冷静な目で戦況を判断し、ミサキに次の行動を促す。 「このあたりの敵の数は落ち着いてきたみたいね。あとは私たちだけで大丈夫だから、あなたは不時着した アクイラのところへ先行しなさい。第2小隊もすぐにあなたを追うわ」 「うん、わかった! ……でも、どうしてアクイラだけトラブルが起きちゃったんだろうね。なんだかシン 君がかわいそう」  いつも明朗快活なミサキが珍しくしゅんとしている。その様子が気にかかったミナは「かわいそう?」と 聞き返した。 「うん。だってせっかく厳しい訓練に耐えたのに、地球の平和のために戦えるチャンスに戦えないんだよ? それじゃシン君がかわいそうだよ」 「ミサキは優しいのね。でも本当ならこんな戦いなんて存在しない方がいいわ。いつ地球が破壊されてしま うか分からない状況なんて、とても辛いことでしょう?」 「私もそう思うよ。……でもシン君は、ずっと見えないところで努力してたのに」  シンがずっと見えないところで努力をしていたことを、何故ミサキが知っているのだろうか。もしかして ミサキは、ずっとシンのことを見つめていたのではないか。そう思ったミナは「ミサキ、あなたもしかして ……」と思わず口にしていた。 「えっ?」  言われても、ミサキはきょとんとしている。その目にはいつもの純粋無垢な瞳が浮かんでいた。 「……いいえ、何でもないわ。とにかく早くアクイラのところへ行ってあげなさい。一刻も早く回収して修 理すれば、戦闘終了までにまた出撃できるかもしれないでしょう?」 「うん、そうだね!」  ミサキは表情をパアッ、と明るくして「じゃあ行ってきます!」と元気よくグライドを北西に向けて発進 させる。その様子を見ながら、ミナは(まだ無自覚なのね……)と心の中で独白した。  ミナが独白したのと同じタイミングで、キョウコのアナウンスが流れてくる。 『研究所裏門からワープアウト反応を検出しました。ガチャフォースは研究所裏門へ移動してください。訓 練生は引き続き、正門の守りを固めるように』 (いよいよ、Gブラックが来るのね)  6年前の戦いでは、ミナはGブラックと戦うことなく終結を迎えている。あのときはガチャフォースの誰 もがリンを守ることができず、みすみすGブラックに引き渡してしまった。もうその轍は踏まない。ミナは 志を同じくするガチャフォースメンバーともに、研究所の裏へと向かっていった。 32、  ガチャボーグ研究所のロビーでは、バリアを張る役目を終えたガチャフォースメンバーたちが各々に体を 休めていた。  リンもうさぎから渡された紙カップを受け取り、ロビーに設置されたソファのひとつに体を預ける。カッ プに入っている冷たいスポーツドリンクを二口で飲みほしたとき、メガネをかけたスーツ姿の若い女性がロ ビーに入ってくるのが目に入った。女性の外見がメガネとスーツの組み合わせだったことから、シンがたま に話していた“六節さん”ではないかと思ったが、それにしては若すぎる。どう見ても自分達よりも年下だ。  その女性はロビーで待機していた訓練生第1小隊の3人に近づくと、「トレーニングルームに集まってく ださい。そこで各自の機体を受領し、研究所内の警備に当たってもらいます」と新たな命令を伝えた。訓練 生の3人はうなづき、トレーニングルームへの移動を始める。リンは女性もそれに付いていくのだと思って いたが、意外にも女性はリンの前に近寄ってきた。 「はじめまして。あなたが錦織リンさんですね」 「あなた、もしかしてツトム君の……」  リンは女性の面影に覚えがあった。ツトムによく似ている。 「はい。よく似てるって、いつも言われます」 「やっぱり、ツトム君の妹だったのね。妹がいるって話は聞いてたけど、まさか研究所のスタッフだったな んて……」 「高校に通いながら、ここで簡単な手伝いをさせて貰っています。将来はミナさんみたいに、研究員になれ ればいいんですけどね」  言って、ツトムの妹ははにかんでみせる。 「あっ、それよりユージさんからの伝言があるんです」 「私に……?」  リンは不思議に思った。ガチャボーグを持たない自分に、ユージは何をやれと言うのだろうか。 「はい。ユージさんからリンさんを地下に案内するよう、仰せつかっています」 「どうして私だけを?」 「理由は、ユージさんが直に説明されるそうです」 「そう……」  リンは釈然としない思いを抱きながらも、ソファから体を起こして研究所の奥へと向かっていった。  研究所の地下にある指揮所では、キョウコとメットの声が交錯していた。 「Gブラック、ワープアウトします!」 「ガチャフォース、一斉射撃!」  モニターに映る研究所裏口の映像に、球状の光が現れる。地上2メートル程度の高度に浮かぶそれに向か って、Gレッドのビームガトリング、ガルダのファイアーボール、ミオのアサルトライフル、サスケのシュ リケンが一斉に飛んでいく。  球状の光はそれらが着弾する直前に消え失せ、中からガチャボックスを出現させた。  ガチャフォースの放った攻撃はガチャボックスに直撃し、船体の表面を削っていく。浮かんでいたガチャ ボックスが重力に引かれて地に落ちるまでの1秒ほどの間に、そこから1体の黒いガチャボーグが飛びだし てきた。 「Gブラックだ!」  ショウが反射的に叫んだ声が、モニターの脇に備えられたスピーカーから聞こえてきた。  モニターを見つめていたユージは細い目をさらに細め、黒いガチャボーグを凝視する。 「6年前とは、少しばかり姿が違いますね……」  6年前に現れたGブラックは、Gレッドの外見をそのまま映した姿をしていた。それはダークナイトの一 部から作りだされたGレッド型のボディに、デスブレンの記憶情報をインプットされたものという生まれの 事情に由来するものだ。しかし今回のGブラックは、目には紫色のバイザーを装備しており、右肩に装着さ れたプラズマブレードには刀身が見当たらない。今回のGブラックは何かが異なるのだろうか。ユージは疑 念を募らせながらも、あくまで冷静な声で「各機、接近戦は避けて射撃戦に勤めて下さい」と命じた。  4機の集中砲火により、Gブラックは防戦一方になっている。ときおり手持ちのビームガンや頭部に装備 されたバスターレーザーを放っては来るが、散発的な攻撃では百戦錬磨のガチャフォースを崩すことなどで きはしない。Gブラックはじわじわと装甲を削られ、ガチャフォースに一歩も接近できないままダメージを 受け続けている。  そのとき、ユージの椅子の背後にあるドアが開いてリンが姿を見せた。 「ユージ。私だけ地下に呼んだのって、どうして……」  そこまで言ったところで正面に据えられたモニターが目に入ったのか、リンは驚きの声を上げる。 「あのガチャボーグ! まさか!」 「ようこそリンさん。地下にあなたを呼んだ理由は、すでにご理解頂けたと思います」  リンはモニターからユージの背中へと視線を移し、落ち着くために息を深く吸って吐いてから、理解でき た内容を一口に述べる。 「私を地下に呼んだのは、Gブラックから遠ざけるためということね……」 「その通りです。今回のGブラックは6年前と異質なもののようですが、リンさんを狙って来ないとは限り ません」 「気遣いは受け取るわ。でも私はもう二度と、みんなに刃を向けたりしない」 「……心強いお言葉です。それだけの意思があれば、彼女と共に戦うこともできるでしょう」 「彼女? それって誰の……」 「デスフォースのエアボーグ部隊がGブラックに接近!」  リンは疑問を口にしようとしたが、それはキョウコの声に遮られた。間髪いれずにユージが「機数と方角 は?」と聞き返す。 「およそ20機。研究所正門方面から接近しています。訓練生第3小隊、ならびに第4小隊が突破を許したよ うです」 「待機中の第1小隊に出撃命令を。敵エアボーグ部隊のGブラック接近を阻止してください」  キョウコは放送設備のスイッチを入れると、ユージの言うとおり第1小隊に出撃命令を伝えた。その放送 が終わると同時に、メットが口をはさんでくる。 「20機が相手だぞ、たった3機のホワイトウイングでは手が足りん」 「時間さえ稼げれば構いません。もうすぐ、味方機も到着します」 「味方機だと……?」  戸惑うメットをよそに、ユージは笑みを見せる。 「ほら、来たようですよ」  指揮所にいる全員がモニターを注視する。映像は研究所裏口のものから研究所上空のものに変わっており、 エアボーグの編隊が裏口方面へと飛行している姿が映し出されている。その先頭を飛行しているブルースト ライカーに向かって高出力のビーム攻撃が浴びせられ、青い機体はいとも簡単に撃墜された。  リンにもメットにも、ブルーストライカーを撃墜したビームには見覚えがあった。それはかつてガチャフ ォースと共に戦い、デスブレンとの決戦で果てたビームウイングレッドのビームに酷似していた。 「今のビームって……」 「そんなはずはない。ヤツは死んだ。ガチャフォースの全員がその瞬間を見ているんだぞ」  メットはモニターに映像を送っているカメラの向きを調整し、ビームの発射点へと向ける。そこに映って いたのはカメラに向かって近づくように飛行を続ける、1機の青いウイングボーグだった。 「……ギリギリのタイミングでしたね、アリスさん」  誰にも知られることのない小さな声で、ユージが呟いた。視線の先にあるモニターには8年ぶりに見るビ ームウイングブルー≪アリス≫の飛翔が、鮮明に映し出されていた。 33、  アリスのウイングビームが再び放たれ、今度はオレンジファイターが撃墜された。第1小隊が駆る3機の ホワイトウイングもアリスと合流し、左腕に装備されたツインビーム砲で各個にエアボーグを撃破していく。 壊滅した編隊の中から1機だけ抜け出したデスボーグ・ミューも、地上にいるミオのバスターキラーレーザ ーによって爆散し、全てのエアボーグがGブラックと合流することなく撃墜された。これでGブラックを救 援できる戦力は、研究所周辺から全て消失したことになる。  ユージはモニターに映る、なすがままにやられるGブラックを見ながら思考を巡らせていた。今まではG ブラックの体内にGFエナジーが十分に残されており、巨大化するかもしれないことを前提に作戦指揮を執 っていたが、もしそうならばここまで簡単にやられたりはしまい。ユージはGブラックにGFエナジーがさ ほど残っていないと判断し、ミナとミオに命令を下した。 「20メートル大への巨大化を命じます。射撃武器を用いて、一気にケリをつけてください」  命令を受けたミナは意識を集中させ、GFエナジーを高めていく。  ガチャフォース最年長の23歳であるミナのGFエナジーは既に1600にまで低下している。これは訓練生の 平均をやや下回る数字であり、もはやパートナーボーグを数十キロメートルの大きさにまで巨大化させるこ とはできない。20メートルの大きさに巨大化させるのがやっとで、それを実行するためのGFエナジーをパ ートナーに送信することにも、十数秒の時間がかかってしまう。  その十数秒のうちに、Gブラックはミオが巨大化することを察知した。Gブラックは体内に少しだけ残さ れていたGFエナジーを使い切って一瞬だけ20メートルに巨大化し、サハリ町方面に向かって逃げるように ジャンプする。ジャンプの飛距離はさほど伸びず、Gブラックは研究所とサハリ町を隔てる森に落下した。 「ガチャフォースはGブラックの追跡を開始してください。ただしアリスは研究所に待機し、パートナーの 到着を待ってから追跡に参加してください」  ユージは座席の後ろに立っているリンの方へ向き直り、アリスのパートナーとなるため地上に上がっても らうことを要請しようとしたが、先に「私がアリスのパートナーになるわ」とリンに言われてしまった。  ユージは「私が頼むまでもありませんでしたね」と苦笑し、快諾する。リンはそれに微笑みで返すと、踵 を返して地上へと向かっていく。しっかりと地を蹴って進んでいく足音に心強さを感じながら、ユージはマ イクに声を吹き込んだ。 「訓練生はGブラックに近づかないように。追跡はガチャフォースに任せ、各自デスボーグの撃破に専念し て下さい」 34、  体が重い。腕も脚も、地面に杭で打ちつけられているかのようだ。かろうじて動かすことのできた手足の 指先を動かしていると、だんだん腕や脚に血流が起こり始める感覚が湧いてきた。 (動かないと……動かないと……)  ただひたすらにそれだけを願って、手足の指先をがむしゃらに動かし続ける。そのたびに腕と脚は少しず つ軽くなっていき、やがて違和感なく動かせるようにまで回復した。 (戦わなくちゃいけないんだ……リンのために!)  シンはだるさの残る体を無理やり起こして、地面を踏みしめ直立した。右腕をみぞおちの位置に当てなが ら目を閉じ、専用の周波数で流れている研究所の通信に耳を傾ける。 『Gブラックはエアボーグに乗って低空飛行しながら、ジャングル公園に向かって逃走中。エアボーグはデ スアークと共にサハリ町に降下していた機体だと思われます』  Gブラックという名前に既知感を覚えたシンは、おぼろげな意識のまま記憶を探った。シンがまだ小学1 年生だったころ、リンが行方不明になったことがあった。リンの両親はまた何者かに誘拐されたのではない かと心配したが、このときリンは数日間で帰ってきた。  シンはリンとの同居を始めてから、そのときの詳細を本人に尋ねてみたことがある。そのときリンが答え てくれた内容は、Gブラックによって精神を不安定にされ、洗脳を受けて連れ去られたというものだった。 (Gブラック……リンを苦しめたやつか!!)  怒りのあまり、全身の血液が沸騰したようだった。体に残っていただるさはその熱で一気に蒸発し、おぼ ろげだった意識も鮮明になっている。 (さあ、行くぞ!)  シンはGFエナジーを爆発させ、自分自身を金色の光で包みこんだ。背中にある干渉翼にもありったけの GFエナジーを送信し、ジャングル公園に向かっての飛翔を開始した。 「アクイラが不時着したポイントに高いGFエナジー反応! アクイラの再起動を確認しました!」  突発的にキョウコが叫んだ内容は思いもよらないものだった。ユージは一瞬だけ言葉を失ったが、すぐに 「今のシン君の状態をセキュリティチームから報告させてください」と指示を飛ばす。少しの間があって、 報告を受けたキョウコが声を上げる。 「セキュリティチームからの報告です! 錦織シンは依然、意識を失った状態のまま研究所に搬送中とのこ とです」 「コマンダーが意識不明の状態のまま、ガチャボーグだけが動いている……? 現在の情報を統合するとそ うとしか思えませんが、このような現象は起こり得るのですか?」  問われたキョウコはユージの方へ振り向き、神妙な面持ちで返答する。 「シンクロシステム開発陣の一員として答えるならば、起こり得ないと断言します。シンクロシステムはコ マンダーの意識をガチャボーグのデータクリスタルに投影するシステムなので、コマンダーが意識不明の状 態で使用することは不可能です。しかもアクイラは、こちらからの強制停止信号によって電源を落とされて いました。この状態ではシステムを起動することすらできません」 「それでは一体、何が起こって……」  ユージは過去の体験からあるケースを思い出し、ハッとした。それと同じことが起こっているのではない かとの疑念を胸中に膨らませていく。 「……アクイラにプライベート通信を開いてください」  喉から絞り出されるような声だった。キョウコはコンソールに向き直り、アクイラへの回線を開く。 「本部からアクイラへ。聞こえていますか?」 『……通信感度、良好。訓練生第1期、錦織シン。アクイラと行動を共にしています』  行動を共にしている。この一言だけで、ユージが事態を確信するには十分だった。 「シン君。あなたがいるのは、アクイラのデータクリスタルの中ですね」 『そうですよ、ユージさん。意識を失う瞬間、アクイラの中に俺の意識を滑り込ませました』  シンのこの言葉には、キョウコが技術者として反応する。 「意識を“映す”のではなく、“移す”ということ? そのような機能はシンクロシステムに実装されてい ないはずですが……」 『技術的なことなんか知りませんよ。それより俺には、そっちと話すつもりなんかありません。アクイラの 電源を勝手に落とし、俺をセキュリティチームに拘束させるような人たちとはね!』  あわててユージが口をはさむ。 「待ってください。私たちの行動には理由があります。あなたをGブラックに近づけるわけにはいかないの です」  言いながら、ユージは自分の無力さを痛感していた。自分の言葉では、何を言おうと決してシンを止める ことはできない。せめてこの場にリンがいてくれれば、説得の仕方もあっただろうに。 『何を今さら。俺に進むべき道を見つけろと言ったのは、一体誰ですか?』 「……」  自分の存在はシンにとって、もはや憎悪の対象でしかない。そう確信したユージはあえて言葉を返さずに 無言を貫いた。ただ成り行きを見つめることしかできなくなったユージに対して、シンから絶縁の言葉が告 げられる。 『これ以上、俺の邪魔をしないでください! 俺はいつまでも、あなたやショウさんの後ろにいるような人 間じゃない!』   アクイラとの間に開いていたプライベート回線が音を立てて切断された。それでもキョウコはオペレータ ーらしく、よどみない口調で事実を伝える。 「アクイラ側から通信を遮断されました。こちらからの強制命令も受け付けていません」 「強制停止信号は?」 「……受け付けません」  もはやアクイラは研究所の制御下にはなく、シンそのものとなっている。信号を受けるも受けないも、シ ンの意思ひとつで決められる状態だ。ならばシンに命令を出すのではなく、他のメンバーに命令を出すこと によって事態の収拾を図るほかにない。 「アリスを20メートルに巨大化させ、ガルダ、Gレッド、サスケ、ミオの4機を連れてGブラックのもとへ 急がせてください。それからミサキさんのグライドも、アクイラの後を追わせるように。ただしGブラック が撃破されるまでは、グライドは戦闘区域外で待機するよう伝えて下さい」  そう言いながらも、Gブラックに最も早く接触するのはアクイラであると、ユージには分かっていた。  ガチャボーグの巨大化は20メートル大と数十キロメートル大の2つの大きさにしかなれず、なってから数 十分後に巨大化は解除され、反動でガチャボーグの運動性能は著しく低下する。通常のガチャボーグであれ ば巨大化途中での解除は不可能だが、先ほどのGブラックや今のシンのように、データクリスタルの中から 直接GFエナジーを引き出せる状態にあるならば巨大化の途中解除が可能になる。さらに言えば、巨大化し ていた時間が短ければ、それだけ反動も少なくなる。  シンは間違いなく20メートルの大きさになって、Gブラックとの距離を一気に詰めるだろう。アクイラと 他のガチャボーグでは推進力に差があるし、公園までの距離もアクイラの方が近い。いくらガルダやアリス を巨大化させて急いだところで、間に合いはしない。 (恐れていたシナリオの通りだ……)  ユージは珍しく、重い溜息を吐きだした。指揮官としてあるまじき行動だという自覚はあったが、そうせ ずにはいられないほどの疲労感が、体中に流れていた。 35、  シンは20メートルに巨大化したアクイラの動きを、ジャングル公園の北300メートルのところで止めた。 そのままの姿勢でレーダー情報を呼び出し、Gブラックの動きを探ってみる。  Gブラックと思われる反応が公園を東から西へと横切っている。その周辺を6体のウイングソルジャーが 取り囲み、イーグルジェットに乗って逃走するGブラックを警護していた。Gブラックはこちらが巨大化し て攻撃してくるのを恐れているためか、周囲に人がいるところを選びながら低空飛行を続けている。  公園にいる人々はイナリ山の上空からビームアローを撃ち上げ続けるアルナイルを不安の表情で眺めるば かりで、誰も動こうとはしない。もしアクイラが巨大化したまま攻撃を撃ちこめば、公園にいる人をビーム の熱に巻きこんでしまうことだろう。 (とにかく、Gブラックを公園の外れまで追い込むしかない)  シンはやむを得ず、巨大化したアクイラを通常のサイズに戻した。ここから公園に到着するまでにはおよ そ1分かかる。シンの後方からはミサキのグライドが向かっており、研究所ではガチャフォースの面々がな にやら動きを見せているようだが、どちらかが到着するまでには猶予がある。その前にGブラックを倒して 手柄とし、リンへの手土産にしなくてはならない。 (ショウさんなんかじゃ、リンを守れないんだ。デスフォースを倒すための力だって、精神力だって、俺の 方が勝ってる。一人でGブラックを倒して、それを証明してやる!)  シンはアクイラを低空飛行させて公園に立ち尽くす人々に気づかれないようにしながら、ジャングル公園 に東側から侵入した。いったん南側へ大きく回り、Gブラックの真南100メートルの距離を維持しながら敵 の様子を観察する。Gブラック、ウイングソルジャー共に特別な武器は持っておらず、蛇行しながら西へと 向かっているだけだ。  シンはGブラックの一団が人の足元から離れ、15メートルほど先にいる別の人の足元へと移動しようとし た瞬間、アクイラを急発進させてGブラックへと迫った。  アクイラに気づいたウイングソルジャーたちは、アクイラとGブラックとの間に滞空してGブラックを守 る盾となった。各個にアローショットを放ってアクイラを狙ったが、デスアークの全門発射を回避できるシ ンに対してはあまりに貧弱な火線だった。アローショットはことごとく回避され、逆にアクイラが放ったビ ームニードルガトリングに胸を貫かれ、あっけなく5機のウイングソルジャーが夜の闇に消えた。残った1 機もアクイラの脚底部から発振されたロングビームブレードにデータクリスタルを貫かれ、音もなく消滅す る。  護衛のウイングソルジャーを全て失ったGブラックは、アクイラに背を向けて北へと逃げだした。Gブラ ックが乗っているイーグルジェットの速度はアクイラに比べて9割未満でしかなく、やすやすと追いつける。 通常サイズでの攻撃ならば他人を巻き込むこともないので、倒そうと思えばいつでも倒せる状況だったが、 シンにはGブラックが公園の外に出るまで待たなくてはならない理由があった。  人工ガチャボーグのアイセンサーの映像は研究所で録画されている。しかし、今のアクイラは研究所との リンクを遮断しているため、当然ながら録画もストップしている。このままではシンがGブラックを倒す場 面を映像に残し、リンに見てもらうことができない。アクイラ側で行っている遮断をやめれば録画は再開さ れるだろうが、研究所とのリンクを復活させてしまえば、その回線を経由して強制停止命令を送りこまれか ねない。ならばシンにできるのは、こちらに急速接近しているミサキのグライドの前でGブラックを仕留め、 そのアイセンサーに映像を記録させることだった。  グライドの位置はマナの家とジャングル公園のちょうど中間で、バーストを使用しながらこちらに向かっ ている。アクイラと合流するまでには1分もかからないだろう。シンはあと十数秒でGブラックがグライド のアイセンサー有効範囲に入ると推算しながら、グライドへのプライベート回線を開いた。 「ミサキ、聞こえるか?」 『シン君! ……よかった。通信が繋がらなかったから、心配したよ』 「話は後だ。今はGブラックを仕留めることを優先しよう」 『そ、そうだね。私はユージさんから戦闘区域外での待機を命令されてるけど、シン君は?』  シンにとって、ミサキに下されていた待機命令は好都合だった。これでグライドを記録者としてスムーズ に使用できる。シンは内心で愉悦の笑みを浮かべながら、通信を続けた。 「俺はアタッカーを務める。可能な限り俺一人で仕留めてみせるけど、もし撃ち損じてもGブラックをミサ キの方へ誘導する。そのときは挟みうちで仕留めよう」 『わかった! 私はGブラックの真東の位置で待機するよ!』 「了解。俺とGブラックの動きを見失うなよ……くれぐれも、な」  シンの声は無意識に低くなっていたが、ミサキはその意味に気付くことなく、いつもの無邪気な声で、 『だいじょーぶ! シン君のことなら誰より見てるんだから!』と言葉を返す。ミサキの言葉には無自覚な 恋愛感情が含まれていたが、シンにとってはただの好都合な言葉にしか聞こえなかった。 「その意気だ、絶対に見失うなよ。……それじゃ、仕掛けるぞ!」  アクイラは公園の北に広がる小さな林を低空飛行で突っ切ると、そのままの勢いで北に進み、田園地帯へ と機体を踏み入らせる。Gブラックは田園地帯の上空20メートルほどを進んでおり、シンはその10メートル 真下に滑り込んだ。その位置から直上へと2門のビームニードルガトリングを放ち、イーグルジェットの両 翼を粉砕する。それでもなおイーグルジェットはブースターを吹かせて逃げようと試みたが、アクイラが続 いて放ったビームランチャーに機体の後部を貫かれ、ブースターを使用不能にされてしまった。  Gブラックはイーグルジェットから飛び降り、さらに自身のバーニアを吹かせて北に向かって逃走を続け る。アクイラはGブラックに向かって飛びあがりつつ、左腕をイーグルジェットの方に向けてビームニード ルガトリングを放ち、イーグルジェットの中央部にあるデータクリスタルを蒸発させた。 「覚悟しろ、Gブラック!」  シンは吼えながら、アクイラの左腕にハイパービームブレードを発現させる。Gブラックが悪あがきで放 ってきたバスターレーザーも、それに続けて放ってきたビームガンもたやすく回避して、アクイラはGブラ ックに肉薄する。30センチの間合いにまで近づいたとき、アクイラはバーストを集中させた左腕を振りまわ してGブラックを逆袈裟に斬りつけた。Gブラックが後退したために身体を両断することはできなかったが、 ビームガンを持ったまま突き出されていた右腕の、その肘から先を切り落とすことができた。  Gブラックも覚悟を決めたのか、怯むことなく左手の中にブレードを握りしめると、バーニアを吹かせて 前進に転じながら横なぎに切りつけてくる。しかしシンには通じない。シンは右腕を身体の前で縦に構える と、前進してGブラックの懐に潜り込んだ。Gブラックの腕の動きはアクイラの右腕に遮られ、胴体が無防 備になる。シンはこの瞬間を見逃さず、左腕のハイパービームブレードをGブラックの胸に向かって突き立 てた。胸の内部に格納されているデータクリスタルはビームの高熱に貫かれ、溶融する。  Gブラックは動きを止め、力が抜けた四肢をだらしなく下ろした。背中のバーニアも機能を停止しており、 一切の浮力を失ったGブラックの体は、剣を突き立てたままのアクイラと共に力なく田園地帯へと落下して いった。 36、 「やったぁ!」  ミサキはいつもの無邪気さで歓声を上げた。  彼女が目の当たりにしているのは剣を突き立てたアクイラと、ゆっくりと消滅していくGブラックの姿だ。 2機のガチャボーグは姿勢を変えないまま、重力に引かれて地表へと向かっている。  ミサキは喜びの余韻が消える間も置かず、自身のGFエナジーを愛機の翼へと送信し、2機のガチャボー グに向かって空を滑っていく。 『止まりなさい!』  いきなりデータクリスタルに届いたキョウコの叫び声に「ひゃっ!」と驚き、ミサキは反射的にグライド を制止させた。 『あなたには戦闘区域外での待機を命じたはずです。許可なくGブラックに接近することは許されません』 「でもGブラックはシン君が倒したんですよ! 停止命令はGブラックが倒れたら終わりなんでしょ!」  もともと直情型ではあるものの、ミサキの声はいつになく感情的になっていた。キョウコの語勢も何故か いつもとは異なり、ミサキに対して強くあたってくる。 『まだGブラックの完全消滅には至っていません! 接近することを禁じます!』 「そんな! せっかくシン君が……」  ミサキはいきなり言葉を切り、グライドのアイセンサーをGブラックの方へ向ける。向いた先ではGブラ ックの消滅が終焉を迎えており、最後まで残っていた頭部が風に吹かれる霧のように消えていくところだっ た。それを見て、ミサキは口の端をにんまりと引き上げる。 「キョウコさん、今の見ましたよね! じゃあ近づきます!」  ミサキはキョウコの返事を待たず、グライドを急発進させた。 『待ちなさい! まだ許可を下した訳ではありません!』  キョウコの言葉などどこ吹く風で、ミサキの駆るグライドは一途に滑空していく。  レーダーに映る範囲には、敵機の反応は一つたりとも存在しない。もうこの空間は戦場ではないのだ。緊 張の解けた空間の中をシンに向かって近づいていくミサキの表情は、喜びに満ちていた。  グライドのアイセンサーには、地面にしゃがんでいたアクイラがゆっくりと立ち上がる姿が映った。ミサ キは勝利の喜びを分かち合おうとシンに向かって通信を送ろうとしたが、その直前にグライドに右方向への 回避行動をとらせた。アクイラの右腕から放たれたビームニードルガトリングが、グライドに向かって発射 されたためだ。 「シン君!? どうしたの!」  ミサキは表情に緊張感を戻しながら、次の攻撃に備えてグライドに戦闘機動を続けさせる。ミサキはアク イラが攻撃してきた原因について、先ほど不時着の原因となったトラブルが解消しておらず誤動作を引き起 こしたのではないかという仮説を頭の中に浮かべた。しかし、それはアクイラの異変によって真っ向から否 定される。  アクイラの全身を包んでいる白い装甲が、まるで無数の焼印を押されたかのように黒く染まっていく。そ れに続いて、装甲の内部にある黒いフレームもグレーに変色していった。 「ど……どうしたの? シン君……」  明らかに異常なアクイラの様子に、ミサキは身を震わせた。重大な異変が起きていることを直感で理解し、 恐怖を覚えたためだ。そのせいでグライドへ送り続けていた機動命令もストップする。 『避けろ、ミサキ!』  いきなり聞こえたシンの声に、ミサキは反射的にグライドに高度を上げさせた。いつもであれば攻撃が来 ることを直感で察知して回避行動に移れるのだが、恐怖に縛られた状態ではシンの声を聞くまで回避行動に 移れなかった。  再び放たれたビームニードルはグライドを直撃することなく彼方へと消えていったが、ミサキにとっては 自分が無事であったことなど二の次だ。シンの声が聞こえたことに希望を見い出し、すがるように通信を送 る。 「シン君! 大丈夫なの!?」 『デスブレンがアクイラの中に入ってきてる! 俺ごとアクイラを取り込むつもりだ!』  “俺ごと”という一言にミサキは戦慄した。シンはシンクロシステムを経由してアクイラを操っているの ではない。どういうシステムを使ったのかは分からないが、アクイラの中にいるのだ。 「そ、そんな……。私、どうしたら……」 『避けろ!』  三度、アクイラがビームニードルガトリングを放つ。ミサキはまたシンの声に反応して回避したが、今度 は足先に被弾してしまった。 『くそっ! 味方を撃ったり、デスブレンに乗っ取られたり……せっかくリンのために……』 「……リンさん?」  呟いたミサキの心臓が、ズキリと痛んだ。どうしてそんな痛みを感じるのかは分からない。しかし重い実 感のある痛みに、ミサキは思わず胸を押さえる。それと同時にシンの言葉がこれ以上続かないことを願って いた。なぜこれほどまでにシンの言葉が続かぬことを願うのか、ミサキにはまだ理解できない。しかしこの 願いが――胸の中心をギリギリと締めつけるこの痛みが、心の奥底から汲み上げられたものであることはよ く分かる。 「やめて……」  か細い声でミサキが呻く。自らの魂を削られるような苦しみの中でやっと口にできた言葉だったが、シン の言葉を止めることはできなかった。 『リンのために、戦えるっていうのに!!』  ミサキは胸の中心を槍で貫かれたような感覚に陥った。開いた穴に向かって体が収斂していく感覚が、意 識の全てを支配する。次第に止まらなくなるほど涙があふれ出し、ミサキは慟哭した。その叫びに重ねて、 シンは苦悶の声を上げる。 『あたまが……! やめろ、俺は……!!』  巨大化したアリスは、5体のガチャボーグとそのコマンダーを乗せてジャングル公園の北側に到着した。 舗装された農業用の道路に足をおろし、5人と4機を乗せた両の手のひらを地面に近づける。中央に乗って いたコウが真っ先に走りだし、地に落ちたグライドのもとに近づいた。グライドには大きな外傷は見当たら ないが、何故か地に落ちたまま動きを見せない。 「ミサキ! どうしたんだよ!」  コウはグライドに向かって声を張り上げる。ミサキからの返事は無く、コウはさらに言葉を続けた。 「アクイラとGブラックはどこに行ったんだ? ミサキ、答えてくれ!」 『……シン君……シン君が……』  返って来たのは、ただ漏れ続ける嗚咽のみだった。 37、  サハリ町地下にあるガチャボーグ研究所の指揮所は重い空気に包まれていた。アクイラの位置情報をロス トしてから、もう10分が過ぎようとしている。グライドのアイセンサーに残された映像から、デスブレンに 乗っ取られたアクイラがイナリ山方面に飛び去ったところまでは確認できたが、それ以上の情報は全く入手 できていない。  ユージは先ほどから何の更新もない、アクイラの情報が表示されている手元のモニターから視線を上げた。 そのままキョウコの方を見やり「ガチャフォースと訓練生の撤退状況は?」と尋ねる。 「イナリ山で迎撃を続けていたアルナイルは巨大化限界時間を超えたため、コマンダーと共に回収しました。 現在は研究所の車でこちらに向かっています。そのほかのコマンダーについては、全て撤退が完了していま す」  シンがさらわれた状況下でも、キョウコは声の抑揚を見事に抑え続けている。ユージはその姿勢に感服し つつも、自身の疲労を隠しておくことはできなかった。疲れが混じった声色で、指揮所に詰めているキョウ コとメットに向けて労いの言葉をかける。 「……デスブレンの撃破作戦はこれで一段落です。ナナさんとアルナイルが撤退を完了するまでにはまだ時 間がありますので、その間にお2人は休憩をとって下さい」  ユージの右前方に座っていたキョウコが椅子から立ち上がる。メットもそれに続いて立ち上がり、ユージ の表情を見やった。 「ユージ。休憩に行くのも結構だが、その前に聞きたいことがある」  ユージは覚悟を決めたように息を吐き出し「……ええ。いまさら隠し事はしませんよ」と重々しくも、ど こかいつもの軽さを含んだ口調で答える。そんなユージに対し、メットはいつも以上に冷徹な声で問いを投 げた。 「どうして訓練生達をGブラックから遠ざけていたんだ?」   ユージはよどみのない口調で返答する。 「洗脳の危険性があるためです。シンクロシステムを使っている訓練生の機体は、通常のガチャボーグに比 べて洗脳される危険性が大きい。訓練生の中でトップクラスの強さを持つシン君といえども、Gブラックと 接触すれば洗脳される可能性は十分にあります。ましてや、自分自身の意識をガチャボーグに移していると なれば……」 「何故それを事前にシンに伝えなかったんだ?」 「Gブラックに近づくなと言ったところで、リンさんへの想いにとらわれている彼は命令を無視する。その 確信がありました。現に彼はデスブレン出現と同時に持ち場のイナリ山を離れ、研究所に向かっています」 「だからアクイラを強制停止させ、本人も拘束したんだな。事前に伝えても命令無視されるだろうし、シン が通信を受けたときに近づくなと言ってしまえば、むしろ逆効果になる可能性もあったわけだ」  ユージはうなづき、悔しそうに奥歯をかみしめる。 「所長が推し進めていたガチャフォース殲滅作戦の立案の際、訓練生の配置をデスブレン出現を見越したも のにすることはできました。しかしアクイラを作戦から外すことだけは、私の権限ではどうしてもできなか った……」 「……オマエのことだから、シンに錦織のことを諦めさせるような工作もやっただろうな」  うつむきながらメットは呟いた。この問いにユージが答えるより早く、メットの隣に立ち尽くしていたキ ョウコが口を開く。 「それは私が担当しました。シンクロシステム使用時には、被使用者に悟らせることなく、直接脳内に質問 を投げかけることができます。答えが返ってくる確率は低いですが、正確性の面では信用できるものでした。 私たちはその情報をもとにしていくつもの工作を行っています。シン君にナンバー1の制服を与えたり、実 戦テストの相手をガルダからグライドに変更しようとしたり、近藤カズト君にこちらが用意したセリフを言 わせたり……」 「なるほどな。オマエ達の権限でできることは、やっていたということか」  同情的なメットの言葉を受けても、ユージはそれに甘えることを良しとしなかった。首を横に振り、 「だからといって、この事態を引き起こした責任が免除させるわけではありません」と自責を固持する。 「……ならば、どうする?」 「私たちの“上役”と話をして住民の避難をさせます。その後はガチャフォースと訓練生をひとつにした新 生ガチャフォースを組織し、シン君の奪還及びデスブレンを消滅させるための作戦を実行します」 「なるほどな。しかしそのためには、これまでの経緯と現状を、少なくとも“上役”とやらと新生ガチャフ ォースのメンバーには報告せねばならんぞ? 無論、オマエの失策も含めてな」  あえて最後の一言を付け加えることで、メットはユージを試した。ユージがここまでの失態を演じたのは、 デスブレンとの戦いを始めてから一度も無かったことだ。犯した失態を正面から受け止め、これ以降の指揮 を冷静に執ることができるのか。ユージの返答から、その判断をするつもりだった。 「当然です。私がこの研究所に入った理由は、みんなを助けるため。そのためなら私の下らない自尊心など、 守るべきものではありません」  メットは口元にうっすらと笑みを浮かべ「フン……いいだろう」と短い言葉を吐いた。それがユージに対 する、メットなりの信頼の表現だった。 38、  イナリ山から戻ってきたナナは、車から降りて研究所の正面玄関に向かった。重い体を引きずりながら、 いつもと変わらぬガラス張りの自動ドアをくぐってロビーに入る。正面の壁に掛けられている時計の針は、 すでに23時を回っていた。  初陣を終えたばかりの体には、処理しきれないほどの疲労が蓄積している。まるで長距離走をさんざん走 った後のようだ。  疲れているのはナナだけではなく、各地で戦っていた他の訓練生も同じだった。ロビーのソファーは訓練 生達で埋め尽くされており、そのどれもが仰向けになって目を閉じている。ナナもそれにならって疲れた体 をソファーに横たえ、仰向けのまま目を閉じた。 「……ナナ、お疲れさま」  他の訓練生に配慮してか、控えめな声がナナにかけられる。ナナは聞き慣れたその声に反応して、大きな 目をパチッと開いた。 「起きなくても大丈夫よ。そのままで聞いて」  ミナが前かがみになりながら、こちらを覗きこんでいた。 「連絡よ。60分後にトレーニングルームに集合。そこでミーティングを行うわ」 「うん、わかった。ミナ姉ちゃんは、これからミーティングの準備なの?」 「……そうなの。だから、もう行かなくちゃいけないの」  そう言って去ろうとするミナが表情が陰らせるのを、ナナは見逃さなかった。とっさに「ミナ姉ちゃん、 一つだけ聞かせて」とミナを引きとめ、質問を投げかける。 「みんなは……無事なんだよね?」 「……」  ミナは沈黙を保ったまま、ナナの頭を撫でた。  ナナから見えるミナの表情は、優しくもあり、悲しさを帯びているようでもあった。  応接室では、ユージとキョウコがある人物と向かい合わせで座っていた。その人物の背後にはSPが張り 付いており、ドアの外にも1人が待機している。それだけでも部屋の空気に緊張を走らせているのだが、座 っている3人が纏う雰囲気の方が、ずっと緊張感に満ちていた。 「……以上が、現在までの経緯です」  重苦しい空気の中、ユージが話を締めくくった。それを聞いた目の前の人物は、小さく息を吐き出す。 「研究所の副所長である私の立場からは、デスブレンを撃破してアクイラと錦織シンを奪還する方針こそが 最上の策。奪還を諦めて防衛に徹するという方針が次善の策だと判断します」  目の前の人物は腕を組み、思案に入ったようだ。それに向かって、キョウコが話を促す。 「……いかかでしょうか、多摩川長官」  180センチを超えるがっしりとした体格に、あごに蓄えたヒゲ。いかにも武人といった風貌のこの人物こ そが、ユージ達の“上役”を務める多摩川大綱(タマガワタイコウ)長官である。年齢はもうすぐ70に到達 するはずだが、50歳と言われても信じてしまいそうなほど、覇気と活力に溢れている。今回もユージから緊 急の電話を受けるやいなや、空路で駆けつけるというバイタリティの高さを見せていた。 「重要なのは……」  多摩川長官が口を開いた。ユージとキョウコは固唾を呑んで聞き入る。 「第一に、デスブレンを撃破することで侵略者の脅威を取り除くこと。同じく第一に、アクイラと錦織シン を速やかに取り戻すこと。よって、荒木君の出した最善の策こそが、我々が取るべき方針だ。そのために必 要な措置を行うためなら、持てる権限の全てを行使する」  それを聞いたユージはテーブルに用意されていた湯のみを手に取り、ぬるくなった緑茶を口に含んで口内 の乾燥を潤す。飲み干した後で短く息を吐き、その一瞬で長官に要求すべき事項を頭の中でまとめた。湯の みを置いてから、それを一気に並べていく。 「では、さばな市の南西部と、サハリ町全域の住民を避難させて下さい。避難期間は100時間あれば十分で す。それからアルナイルの試作武器の使用許可、並びにアクイラの破壊許可をお願い致します」 「わかった。使用許可と破壊許可については、いまここで書類を作成してしまおう。避難については、3時 間後までに計画を策定し、話も通しておく。明日の正午までには、避難を始められる状態にしておこう」 「ありがとうございます」  ユージとキョウコは声をそろえ、慇懃に礼をした。  すぐにテーブルの上に書類が運ばれ、多摩川は手を休めることなくサインを続けていく。その途上、多摩 川は珍しく私的なことを話し始めた。 「タマが使っていたデスアークが、また現れたそうだな」 「えっ? ……ええ、そうですが」  まさか私的な話をされるとは思わず、ユージは戸惑い気味に返答した。 「アクイラに撃墜されたというが……タマはデスアークと一緒にいたのか?」 「いいえ。デスアークはあくまでガチャボーグのみで行動しており、コマンダーの存在は確認されておりま せん」 「そうだな……。今回のデスブレンは遥か未来から来たというから、タマがいるはずはないな」  多摩川の直感は論理的に間違っていないと、ユージは思った。  デスブレンが生存していた未来の世界では、地球は砕かれている。その大きな要因は、ビームウイングレ ッドとアリスがガチャフォースにいなかったことだ。タマをデスフォースから逃がしたのも、オロチに記憶 を取り戻すきっかけを与えたのも、ショウと離れたガルダをガチャフォースに導いたのも、この2体の存在 が大きく影響している。もしこの2体が歴史に介入していなければ、ガチャフォース側の勝利は無かっただ ろう。ガチャフォースの勝利が無いということは、タマもオロチも、ずっとデスコマンダーの一員のままと いうことになる。しかし機械生命体のガチャボーグと違って、人間の体しか持たない彼らが遥か未来まで生 き続けたということは考えにくい。そうなると、シンがコクピットを消滅させるやり方で撃破したデスアー クが、コマンダーを連れないで行動していたことには合点がいく。 「それでもやはり、孫であるせいかな。気になってしまうのだよ」  多摩川は最後の書類にサインを終え、それをユージに手渡した。その目には慈愛の感情が浮かんでいる。 「荒木君。ガチャボーグ部隊を指揮できるのは君しかいない。どうかこの一件で、デスブレンの脅威を終わ りにしてくれ。そして君が望んだように、人工ガチャボーグの存在意義が、対人類用の兵器だけに終始しな いような世の中を作っていこうではないか」 「……はい」  ユージは反射的に涙が出そうになった。多摩川はユージの失策を受け入れたうえで、指揮官として続投さ せる判断を下してくれた。それだけではない。ユージがどうしてデスブレンを未来から呼び寄せたのか、そ の真意を見事に言い当てて見せたのである。これまでユージの接してきた上司や年長者は、ユージの真意を 汲み取ってくれるどころか、理不尽な物言いをしてくるばかりだったというのに。  ユージはこみ上げてきた涙をこらえながら立ち上がると、まっすぐに多摩川の顔を見つめた。 「私は決して、ご期待を裏切りません。過分なご期待を頂き、ありがとうございます」  そう言って頭を下げるユージの様子を見て、多摩川は優しい笑みを浮かべた。そのまま席を立ち、SPを 連れてドアの外に出ていく。  ユージはその後ろ姿が見えなくなっても、頭を下げたまま動かずにいた。こぼれてきた涙のひとしずくは、 となりに立つキョウコがそっと、ハンカチで拭ってくれた。 39、  ナナは周囲の訓練生達が起き上がる音に反応して、閉ざしていたまぶたを開けた。まわりに倣ってソファ ーから体を起こすと、ロビーの掛け時計が午前0時過ぎを指しているのが目に入った。ミナと話をしたのは つい数分前の出来事だと思っていたが、いつのまにか眠りに落ちてしまっていたらしい。  目じりをこすりながら、ナナは昨夜のことを思い返した。19時過ぎに旧ガチャフォースの殲滅命令を受け てから、デスブレンの撃破、そしてGブラックの追跡という任務は、たった4時間のことでしかなかった。 激動ともいえるその初陣によって生じた疲れが、知らぬ間に睡眠へと陥らせたのだろう。しかし1時間足ら ずの睡眠で疲れが癒えるはずはなく、全身に広がるだるさは抜けきっていない。  それでもナナは躊躇(ちゅうちょ)することなくソファーから立ち上がり、トレーニングルームに向かっ て確かな足取りで向かい始めた。先ほどのミナの態度からすると、この戦いで訓練生や旧ガチャフォースの メンバーに損害が発生した可能性がある。ミナは詳細を教えてくれなかったが、ミーティングに参加すれば 真相が分かるはずだ。 (できるなら、みんな無事でいて……)  ナナは祈りながら、トレーニングルームに足を踏み入れていった。  入ってすぐに、左方に人だかりができていることに気付いた。人数は50人ほどで、その三分の一はナナと 同じユニフォームを着た訓練生だ。残りはパートナー連れの旧ガチャフォースメンバーと、研究所の主要ス タッフで構成されている。左奥にあるステージの上にはユージとキョウコが立っており、説明用の資料に目 を通して、内容をチェックしていた。  ナナは素早く訓練生達の中に入り込み、誰が来ているのかをひとりずつ確かめていった。6人目のカズト の出席を確かめたとき、不意にカズトと目があった。  目が合うなり、切羽詰まった表情で「ナナ! ミサキとシンは一緒じゃないのか!?」と迫るカズトに対し て、ナナは無言で周囲を見回した。カズトの言うとおり、シンとミサキだけがいない。ナナはカズトに向き 直り、「デスブレンが現れる前に会ったきり、1度も……」と消え入るような声で呟いた。 「そうか……。お前たち3人は特別だからな。俺はてっきり、お前たちは別の場所で説明を受けるから、こ こに来ないんだとばかり思ってたんだ。でも、ナナがここに来たってことは……」  カズトもナナも、同じことを考えていた。シンとミサキだけがここに来ないということには、何らかの理 由があるはずだ。その理由とは、先ほどの戦いの中で発生したものである確率が高い。そして、戦いの中で 最も発生しやすいことといえば……。 「……いや、そうとは限らねえな」  カズトはあえて暗い考えを否定した。どのみち、真相はこれからの説明で明らかになる。ならば、今の段 階で余計な推測をする必要は無い。 「うん、そうだね。とにかくユージさん達の話を聞かなくちゃ」  ナナもカズトと同じに、余計な推測をすることをやめた。壇上のユージに視線を移しながら、シンとミサ キが無事であることを心中に祈るばかりだった。 「それでは、ミーティングを開始します」  マイクを通じたユージの声は、広いトレーニングルームに良く通った。 「まず私は皆さんに、8年前から現在までの経緯をお話ししなくてはなりません。今回のデスブレンの出現 は、8年前のある出来事に起因しているのです」 40、  5月5日、午前11時30分。激動の一夜が明けたガチャボーグ研究所は、デスブレン消滅作戦の作戦本部と しての機能を発揮し始めていた。24時間体制での索敵を可能にするための人員が追加されたり、地下での籠 城を可能にするための物資を運び入れるために、研究所の外では見慣れない運搬車が行き交っている。日常 では考えられない光景だが、研究所に近い住民は既に避難を完了しているため、その目を気にする必要は無 かった。  物資の運びこみなどは多摩川が手配してくれた人員と研究所のスタッフに任せ、夜中のミーティングに参 加していたメンバー達は研究所のそこここに待機しながら、各々に激戦の疲れを癒していた。  その中の一人であるキョウコは地下の研究施設で、設置された端末を扱っていた。端末に付属したキーボ ードの実行キーを押し、シンクロシステムの起動を命令する。システムが立ち上がるまでには2分ほどかか るだろうと判断し、その間に画面の表示を切り替えて連動率表示画面を呼びだしてから、キョウコは座って いる椅子の背もたれに体重を預ける。そのままメガネの奥の瞳を閉じて、夜中に行われたミーティングのこ とを思い返した。  ユージが最初に説明したのは、8年前のデスブレンを倒したときからこれまでの経緯だった。ユージたち 旧ガチャフォースがデスブレンを倒した翌日。ユージはビームウイングブルーのアリスを未来に帰す際に、 2つのデータクリスタルを渡していた。その片方はこれからアリスが取るべき行動を示した指令書になって おり、もう片方はデスブレンのとある習性――到着した星の中で最も知能が高い種族から1体を選び出し、 その情報機関を取り込むという習性――を利用した疑似餌ともいうべきものだった。疑似餌のデータクリス タルは、高度の知能反応を発信し続けるトランスミッターの役割と同時に、内部のデータに恣意的な情報を 入れることで、デスブレンに誤った情報を与える役割を持たされていた。 「ここからは、私が話そう」  ユージがここまで説明したとき、リンの隣に浮遊していたアリスが、壇上にいるユージのもとへと飛行し て近づいてきた。ユージはキョウコからハンドマイクを受け取ると、それをアリスの口元に近づける。アリ スは集まった50人の聴衆に向かって、抑揚の小さい声で話し始めた。 「未来のメガボーグに帰った私は、まず指令書のデータクリスタルを開封した。その中に書かれていたのは、 疑似餌のデータクリスタルを用いてデスブレンの行動を操るという計画と、私がデスブレンと共に現在の地 球に転移するという計画だった」 「疑似餌のデータクリスタルには、どんな情報が入っていたんだ?」  壇の下から声が飛んだ。研究所スタッフの誰かが質問を投げたようだ。アリスはそちらに視線を移してか ら、律義に答える。 「一つ目は、転移機が新メガボーグに存在するということ。二つ目は、転移機を使ってワープした先にはデ スブレンがかつて破壊し損ねた地球という星が存在するということ。三つ目は転移機までの侵攻ルートで、 四つ目はその起動方法だ。デスブレンは破壊衝動の塊だからな。これだけの情報を与えてやれば、転移機を 使用して地球に侵攻しようと決意するのは間違いない」  律義に答えたアリスに向かって、先ほど質問を投げた研究員から「ありがとう」と感謝の言葉が贈られる。 アリスは視線を正面に戻すと、引き続き話を始めた。 「話を続けよう。私は指令書の内容に従って、デスブレンに疑似餌のデータクリスタルを回収させた。デス ブレンはデータクリスタルの情報を読み取って体内に取り込むと、私の思惑通り、すぐに転移機のもとへと 侵攻を開始した」 「読み取るってのは分かるけど、体内に取り込むってどういうことだ?」  今度の疑問の声はコウのものだった。 「そのままの意味で受け取ってもらえばいい。デスブレンは少なくとも一つの星の破壊を終えるまでの間は、 読み取った情報媒体を自分のコアの外観として体内に取り込むんだ。8年前に地球で戦ったデスブレンも、 コアの外観はそういう姿だったはずだ」  コウは8年前に戦ったデスブレンの姿を思い浮かべた。コアとして中央に浮いていたのは、人間の脳だっ たはずだ。 「それじゃ、あの脳みそって……」 「……外観は俺の親父のもの、ということだ」  コウの言葉に続いたショウの答えによって、場は沈黙に包まれた。しかし、それはショウがすぐに打ち破 る。 「みんなが気にかける必要は無い。もう整理がついたことだからな。……アリス、話を続けてくれ」  アリスはショウを見ながら「分かった」と応じると、説明のための唇を開いた。 「私はその隙に乗じて装備庫に忍び込み、簡易転移機を2つ奪取した。そのあと、デスブレンが起動させた 転移機の光に乗って地球にやってきたというわけだ」 「デスブレンの侵攻で混乱状態にあったとはいえ、よくそんな重要装備を盗めたな」  発言したのはショウだった。ショウは過去に、ビームウイングレッドから簡易転移機を渡された経験があ る。そのときはただのお守りだと言い添えて渡されており、正体が簡易転移機であるとは知らなかった。だ が後に、自分が渡されたものの正体についてユージに尋ねていたため、簡易転移機が大きな価値を持つこと は十分に理解していた。 「指令書に書いてあった計画が完璧だったおかげだ。警備隊のトップクラスだったフォルトが策定した計画 だからな。それくらいこなせるさ」 「フォルト……?」 「誰のことだ? もしかして……」  参加者の口々に湧きあがった疑問の声には、ユージがハンドマイクで答える。 「ああ、そうでした。まだ皆さんには話していませんでしたね。フォルトというのは、ビームウイングレッ ドさんの名前です。私が知ったのも、彼が残した警備隊の組織図を見てからのことでしたから、話すタイミ ングを逸したままでした。すみません」  ユージはハンドマイクをアリスの方へ戻し、話の再開を促した。 「私の未来での行動は以上だ。こちらに来てからの行動は、皆の知っている通りだ」  アリスは飛翔して壇上から降り、リンの隣に帰っていく。ユージはハンドマイクをキョウコに返すと、胸 元のピンマイクのスイッチを入れた。 「それでは、今度は私の行動をお話しする番ですね。私もアリスさんと同じく、デスブレンを倒した翌日の ことから話を始めましょう」